太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

どんでん返し

2020-11-08 10:48:40 | 日記
私には難しいことはわからないけど、
誰も予測もできないような世界に、私たちは移行してることぐらいはわかる。


1年前、家にいるだけで社会のためになる、なんて誰が予測しただろう。
何か月も働かないで、お金がもらえるなんて誰が予測しただろう。
日本の書類から、ハンコが消えてゆく流れになると誰が予測しただろう。
アメリカ人がマスクをしまくると誰が予測しただろう。


コロナウィルスがただの風邪?
ワクチンさえ打てばインフルエンザと同じ?

私は違うと思う。
地球規模で、いや、宇宙規模で何かが再生してゆくキッカケになったと思う。
むしろ、そのために起きたことだったかもしれないとさえ思う。


この1年、予測もできないことばかりが起きてきたのだから、
これから地球が、人間がどうなってゆくのか、誰も予測しようがない。
予測できないから、不安か。
予測できなくても、楽しみか。
どちらを取るかは、自由だ。

これはどんでん返しの劇だ。

窮地に立たされ、切羽つまっていた半沢直樹が、
切り札を手に入れ、立て板に水の舌鋒で相手をやりこめる爽快さ。
祖父母が「水戸黄門」の再放送をいつもみていたように、
私は池井戸潤の小説を手元において、筋を知っているどんでん返しに何度も溜飲を下げている。


「早く元の生活に戻るといいね」
と言う人たちがいる。
私は適当に話を合わせておくけれど、私は元の生活じゃなく、
もっともっと楽しくてハッピーになるほうがいい。
それが具体的にどんなことなのか、体験したことがないからわからんけども、

『なんか知らないけど、想像以上にすっごくハッピーなやつね』

とオーダーを出しておく。



子供の頃、靴を買うと、店員さんに履いていた靴を箱に入れてもらい、新しい靴を履いた。
母はいい顔をしなかったけど、父は自分がそうしているものだから、私にもそれを許した。

新しい車が出ると、父は祖父と喧嘩してちゃぶ台をひっくり返してでもそれを買った。
父と出かけたディーラーで、私が一目ぼれした小型の外車を、
父は自分のことのようにはしゃいで、私に買えとしきりに言った。(支払うのは私だしね)


履き慣れた靴は心地よいけど、新しい靴は履いているだけで心が躍った。
ヨーロッパ車は電気系統が弱くて壊れてばっかりだったけど、
その車に乗ると、ワクワクが止まらなかった。

新しいもの好きで、切り替えが早くて単純なのは父譲り。
父はコロナウィルスのことなど知らずに逝ってしまったけれど、
今、父がいたらどう思うのだろうか。

「誰も予想しなかったようなスンゴイ楽しい世界になるかもよー」

私がそう言ったら、

「まーたアンタはそんな変なことばっか言ってぇ」

と言うと思うが、
実際に世界が変わったら、父は真っ先にそれを楽しめてしまうに決まっている。