太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

塩ピーナッツとアドバルーン

2020-11-21 07:31:33 | 日記
子供の頃、家族でデパートの上の階にある大食堂に行くと、
テーブルの上に塩ピーナッツのガチャガチャがあった。
画像を探してみたが、これしか見つけられなかった。


これは大きいが実際は、テーブルの上に置けるほどの大きさで、上の部分が楕円のような形だったように思う。
料理が出てくるまでの間に、お金を入れて(金額は忘れた)レバーを引くと
白いギザギザの丸い紙の上にナッツが出てくる。

ピーナッツの代わりに、星座占いが出てくるのもあった。
自分の星座にダイヤルを合わせて、レバーを引くと、くるくると巻かれた紙が出てくる。



静岡市の繁華街には、当時、松坂屋と西武デパートと、田中屋デパートがあった。
田中屋はその後伊勢丹デパートになり、西武デパートはパルコになった。

私たち家族がよく行ったのは、松坂屋だっただろうか。

大人になってから、懐かしくて姉と松坂屋の大食堂に行ってみたことがある。
見本が並んだショーケースには、国旗が立ったお子様ランチもあった。
鮮やかな緑のジュースにバニラアイスが浮いた、クリームソーダもある。
塩ピーナッツ以外、子供の私が何を食べたのか記憶にない。

金属とビニールの椅子を、がたがたと音をさせて引く。
安っぽいリノリウムの床は、たぶん、当時のままだ。
姉と私は、ホットケーキとコーヒーを頼んだ。
大きく切り取った窓からは、空がよく見えた。

アドバルーンが、よくあったよね」

若い人たちは、アドバルーンが何なのか知らないだろう。

歳末セールだとか、大安売りだとかいう文句を大きく描いた垂れ幕を
上に大きな風船をつけて、デパートの屋上から浮かせるのだ。
昭和30年代から40年代にかけてが隆盛期だったらしい。
昔はそれほど高い建物がなかったから、遠くからでもそれが見えた。

それからほどなくして、大食堂はなくなった。
おしゃれで豊かになった若い家族は、もうそんなところには行かないのだろう。


記憶には、層があると思う。
子供の頃の記憶は、記憶の中の底辺にどっしりと厚く鎮座しており、風化しない。
その上に重なってゆく新しい時代の記憶は、
時に混ざりあったりして、それほど鮮明ではないことが多い。
時代によっては、何があったのか細かく覚えていない時代もある。
年をとると、昔のことばかりよく思い出すのは、そういうことなのかもしれない。
痴呆になった祖母は、生家に帰る、と徘徊してばかりいたし、
息子である父のことを、兄だと信じて疑わなかった。
祖母の中で、台座以外の記憶はすべて風に飛ばされて消えてしまったのだと思う。


ガチャガチャの塩ピーナッツの塩気を、舌が覚えている。
街に行くときだけ履いた、革靴の赤を目が覚えている。
風化しない思い出を、繰り返し少しずつ取り出しながら、私は今を生きている。