太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

日本人失格か。

2020-11-22 14:43:12 | 日記
昔からぼんやり生きてきた私は、人が当然知っていることを知らない。
それに自分が興味のあること以外は、何度聞いても覚える気がないので、
ずっと知らないままでいるというのも情けない。

どこを見ても日本人しかいなかった場所から、外に出てみると
自分が日本人だということを認識させられることが非常に多くなる。
日本では、私は単に「シロ」という名前の人物だったのが、
ここでは「日本人の」「シロ」という名前の人物になる。
そして、空恐ろしいことに、私を日本人の代表だと勘違いされることがあるのである。

たとえば、クリスマスパーティによばれて行ったら、
「巻き寿司を作ってほしい」
と言われたことがあった。
日本土産の「巻きす」、海苔、炊いたお米を用意されて私は途方に暮れた。
私は巻き寿司を食べるのは大好きだが、作ったことは1度もないのだ。
一緒に行った日本人の友人も
「大ーーー昔に作ったきりで覚えてないよぅ・・」と弱音を言う。

日本人は全員巻き寿司が作れるはず

彼らは当然のように、そう信じている。

1日おきぐらいに作っているだろうから、目をつぶってもできるはず

もしかしてそのぐらいに思っているかもしれない。
注目の的になった私と友人は腹をくくった。
私は巻きすの上に海苔を広げて、どこかで見たような記憶の、海苔の3分の2ぐらいにご飯を乗せる。
具を端っこに並べて、エイ!と巻いてゆくと・・・・

巻かれていくはずの具が、押されて外に飛び出て、
巻きすにご飯がくっついてべちゃべちゃになった。
(そのときの人々の顔といったら)
友人が挑戦すると、ゆるいけど巻き寿司らしいものができた。
やっぱり1度作ったことがあるのとないのでは違うものだ。



そして今回、困ったのはお米だ。

「ライスはお米にどのぐらいの水で作るの?」

そう聞かれて、私はなんということでしょう、答えられなかった。
炊飯器についてくる米カップでお米を測り、炊飯器の内側の線まで水を入れるということしか、私は知らない。
鍋でお米を炊くことなど絶対にないから、知らなくても困らない。
困らないから、知ろうともしない。

ここで知ったかぶりをしても仕方がないから、

専用のカップでお米を測って、炊飯器の表示する量の水を入れるからわからない

と断ったうえで、
「お米より、ちょっと水が多め」
と言った。
「へえ、だいたいどのぐらい?」
再び窮地に陥った私はヒラめいた。
小学校の飯盒炊飯で、飯盒でお米を炊くときに習ったじゃないか。

「お米の上に手のひらを沈めたとき、水が手首までくるぐらい」

ここで、手首のどの辺だ、ぐりぐりの骨か、最初の皺か、などと突っ込まれたら困ったことになったが、相手は

「ほう!!!!」

とやけに感心してくれたので助かった。


さすがに日本人として恥かも、と思った私はあとで調べてみた。

お米1に対して、水が1.2

米カップは1合=180mlで、水が200mlということらしい。
さらに、手首の話は飯盒には有効でも、ほかの鍋ではどうかわからないらしい。


日本人だからって、みんな着物の着付けができるわけじゃないし
みんな着物を持っているわけでもない。
期待しがちなのはわかるのだ。
私だって、イタリア人だったらパスタが上手に作れると思ってしまう。
しかし、頼むから、この私に関しては過度な期待をしないでほしい。
日本民族の代表のように見られるには、私はあまりにもお粗末なのである。