太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

だから、直感

2021-03-27 15:51:22 | 日記
カイルアの、静かな住宅地にある友人の家に、空き巣が入った。
友人が仕事に出かけている半日ほどの間に、窓ガラスを割って中に入ったようだ。
ダンナさんのパスポートやSSNカード(ソーシャルセキュリティーカード)などは金庫に入れたあったので大丈夫だったが、
友人のパスポート、SSNカード、エンゲージリング、現金などが盗まれてしまった。
運転免許証の書き換えが迫っているので、SSNカードが必要になる。
SSNカードを再発行してもらうには、パスポートがいる。
パスポートを再発行するには、戸籍謄本がいるので日本の家族に頼む・・・・
そういう書類は面倒でもどうにかなるけど、エンゲージリングなどの思い出のものは、どうしようもできない。
在宅のときに押し入られて怪我をするよりはよかったよ、と慰めるしかない。

「直感があったんだよ、何度も」

友人が言った。

現金を銀行に入れなきゃ、と何度か思ったのだが、まあそのうちにと延ばし延ばしにしていた。
その日、仕事に行くのにエンゲージリングをしていこうかな、という思いがよぎったのだが、
仕事に行くだけだから、と思い直して置いていった。

ああ、わかる。
そういうこと、ある。

夫の叔母の車を借りて(私の車は修理中)出かけて、レッカーされたことがあった。
車を離れる時、なぜか知らないが、私は叔母の車のライセンスナンバーをしっかり頭に叩き込んだ。
車をとめた所に戻ったら、車がない。
みまわすと近くにポリスカーがいたので、警察官に叔母の車のナンバーを言うと車載のコンピューターで調べてくれ、レッカーされたことがわかった。

「ごめんね、警察はここまでしかできないんだけど」

と言ってレッカーされた場所の電話番号をくれた。
でも車のオーナーでないと引き取れないという。
「そんなあ!叔母は今ドイツにいるのに・・」
「そりゃ大変だ。叔母さんが戻るまで保管するとすごい金額になるよ」
さらに調べてくれて、叔母の夫と共同名義になっているから、叔父でも受け取れるという。
それで叔父に電話をして、迎えにきてもらい、車を引き取れた。

もし、あのとき、叔母の車のナンバーを覚えていなかったら、その日のうちに引き取ることはできなかっただろう。
意味もなく車のナンバーを頭に叩き込んでいるとき、気づけばよかった。
でも、その「頭に叩き込む」という行為も、ある種の直感ではあっただろう。


友人は早速セキュリティシステムに登録したという。
直感は、理由もなくふっと頭をよぎるから、
それらしい理由があるエゴの声に負けてしまう。

「直感、大事だねぇ・・・・・」

二人でしみじみ言い合った。





1年、夢をみた

2021-03-25 08:05:39 | 日記
ロックダウンして仕事に行かなくなったのが、昨年の3月20日。
あれからほぼ1年。
夏過ぎから、週に1日程度働くようになり、
それが2日になり、いきなり今後は4日から5日体制になると判明したのが昨日。
今日だって、休みのはずが緊急呼び出しで出勤。
ロックダウンするのも突然だが、フルタイムに戻るのもいきなりで、
心身ともに調整が、ちと大変。

家にいるだけでひとの役に立てて、
仕事をしていないのに失業保険がもらえて、
思えば1年、いい夢をみたと思うが、
しかし、私は断じて、夢をみる前の世界には戻らない。
この夢は、なんかもっとおもしろいところに続いているに違いない。

そんなことを思いつつ、今から出勤。






ルウを使ったカレー(今さら)

2021-03-24 10:32:54 | 食べ物とか
私が作るカレーは、コリアンダーやターメリックなどのスパイスだけで作るのと、日本のカレールウを使ったのと2種類ある。
これらは似て非なるもので、カレールウを使ったカレーを、我が家では「ジャパニーズ カレー」と呼んでいる。

私はジャパニーズ カレーを、少なくとも、中学の頃には母がいなくても作っていたと思うので、
かれこれ何十年も作っていることになるが、
つい先ごろになって、このジャパニーズ カレーのコツを、私は発見してしまった。

まあ、コツといっても私のことなので、ほんとにしょーもないことだから覚悟してほしい。

それは、なんと!


箱書きに書いてある分量の水を入れることだ









ほらね。
「( ゚Д゚)ハァ?」という多くの顔が浮かぶ。
普通の常識的なみなさんは、ちゃんと測って入れていると思う。

私が何十年もどうやっていたかというと、野菜を炒めたら適当に水を入れ、
野菜が柔らかくなったら適当にルウを割り入れていた。
だから、時には濃いような味になり、時にはスープカレーぽくなったが、
そんなもんだと思っていた。

それが、数か月前に作った時に、ふと箱書きを読む気になり、分量通りの水を入れてみたら、
「え!!カレーってこんなに美味しかったの!!」
という驚きのカレーができたのだ。

カレールウは2種類を混ぜて使うほうが美味しい、ということぐらいの知識はあって、
試行錯誤の結果、ジャワカレーとろけるカレー(共に辛口)のミックスが1番美味しいと思う。



もっと他にも美味しい組み合わせがあるのだろうが、ハワイで買えるカレールウには限りがある。
この二つは中身が二つに分かれていて、ひとつが5皿分になっており、
双方を5皿分ずつ使うと、ちょうど10皿分になるのも都合がよい。
カレーは多めに作って温め直しながら食べるのがいい。


あとは、仕上げの頃にガラムマサラを振り入れるぐらいか。


このコツを(コツとは言えないだろうけども)知ってからは、毎回ピタッ!と味が決まる。
しょーもないコツで申し訳ない・・・・・





今日のワイキキ

2021-03-22 14:28:32 | 日記
今日は思い切ってワイキキに出かけた。
何日も前から、月曜日はワイキキに行くぞ、という心づもりをしないと腰が上がらないのだ。
ワイキキでは、2か所のギャラリーに私の作品をおいてあり、
そのインベントリー(在庫チェック)のために、月に1度は行く。
もう一つのギャラリーはカハラにあって、それは週末に夫の運転で行ってもらうことが多い。
1度にカハラもワイキキも、では私には荷が重い。

カラカウア通り

春休みで、目に見えて旅行者が多い。
パンデミック前には及ばないにしても、ロックダウン後の、ゴーストタウンのようなワイキキでは、もうない。
黄金期のワイキキが渋谷の交差点だとすると、今は吉祥寺の駅前といったところか(どういう比喩だ?)

クヒオ通りもカラカウア通りも通らずに、フリーウェイをおりたらカパフル通りをまわって
動物園の駐車場に車をとめる。
なるべくワイキキ繁華街の中に車で入りたくない私は、歩くことをいとわない。
キャスター付きのスーツケースに作品を詰めれば、ゴロゴロと引っ張ってゆくだけでいいし、運動にもなる。




1時間分しかパーキングチケットを買わなかったので、ギャラリーで話し込むと時間が足りなくなる。
残り5分というところで、速足で車に向かう私は日本人。
夫も含め、ハワイの人はこういうときに焦らず、のんびりしている。
路上のコインパーキングでも同じだ。
「だーいじょうぶだよぅ」
と呑気にしている夫をしりめに、今にも駐車時間をチェックする人が私の車に近づいているような気がして気が気ではない。
実際、マイクとランチをしたあと、急いでヨットハーバーの駐車場に戻ったら、
チェック係の女性が私の車の前にいて、なにかを書き込んでいたことがあった。
「今戻ったところーーー!!!」
叫びながら走ってゆくと
「チケット、買ってないよねえ?」
と言う。
「買いましたよ!ほら!」
チケットのレシートを、グラブコンパートメントの上に出しておいたのだが
日よけのカバーの下になっていて見えなくなっていた。
私が行かなければ、無料で停めたことになっていたところだった。


人々の表情は明るく、マスクを外せば、以前となんら変わりはない。
ワイキキビーチにも、けっこうな人が出ていた。
ワイキキは好きじゃないけど、やっぱりある程度は賑やかなほうが街が元気に見える。




老親をみまもる

2021-03-22 08:38:40 | 日記
実家の近所のグループホームにいる母が入院したのは、3月の初め頃だ。
肺に水が溜まったとかで、持ち直してはいるが、原因を調べてみようということになった。
数年来の持病であるパーキンソン病は、薬のおかげでそれほど進行していないようだけれど、
軽い脳梗塞がみつかった。
その影響で、うまく飲み込むことができず、日頃から聞き取りにくかった言葉も、さらに聞き取れなくなった。

救急車で運ばれて、病院で目が覚めた時
「あれ、戻ってきちゃったのかね」
と母が言ったそうで、三途の川のほとりまで行ったのかも。




私の母は、自分の母親を幼いときに亡くしたので、子供のために長生きしたいのだと言っていた。
こんなときにお母さんがいてくれたら、と何度も思いながら生きてきたのだと思う。
実際、私はずっと母を頼りにしてきた。
何人かの友人たちが親を見送っても、私は「お香典いくら包んだらいい?」といった些細なことでも母に聞いていた。

ある時を境にして、頼りにする側とされる側が入れ替わる。
離れている私より、一緒に暮らしている姉のやりきれなさ、負担は想像にあまりある。
加速度的に、ひとつひとつ、物事ができなくなってゆく親を見守る切なさは、
そこまで老いる前に親を亡くした人にはわからない。
けれども、頼りたいときに親がいなかった寂しさは、私達にはわからない。

姉が言う。
「ずっと頼って、子供でいたかった、と思うけど、それでも長生きしてくれてるのはありがたいことだよね」


私の世代は、親が健在ならば介護世代ど真ん中。
手に負えなくなって施設に親を入れたけれど泣きたくなっているとか、義理の親までみている人もいる。
老親をキーワードに、見知らぬ人とも気持ちが通じることがある。
日本でレンタカーを借りた時の受付の女性は、
独り暮らしの父親を老人病院に入れたのだけど、遠いのでなかなか行けないことも、
行っても悲しくなるばかりなのも辛いのだと、涙を浮かべて言った。




母がいるのは、姉が勤務している病院だ。
姉いわく、
「私とTさん(姉の夫)でお母さんのリハビリをしようとしても、やりたくないのか、ボーっとして知らん顔のくせに、
リハビリの若くてハンサムな先生が来たら、顔がパーっと明るくなって、
妙にハキハキしちゃってさぁ。呆れちゃったよ」

今のところ、母は大丈夫なようである。