太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

日本料理屋のヤミヤミソース

2021-03-19 11:57:48 | 食べ物とか
うちの村にできた、日本料理レストランに行った。
私は知らなかったのだが、オープンして半年ぐらいたつのだという。

店の名前は「絆」。
エントランスを入ったところ

一緒に行った義両親は、これを見て「ジャパニーズ!!」と喜んでいたが、
私はなんとなく嫌な予感がした。
日本ぽいけど、なんかわざとらしすぎやしないか。
それは夫も同じだったようで、テンションが下がっている。



店内には寿司のカウンターがあり、ボックス席が20ほど、テーブルが15ぐらいで、なかなか広い。
平日の夜だというのに、地元客でいっぱいだ。
名前を書いて、しばらく待っている間にメニューを読んでいた夫が
メニューの文字を指さして見せた。

 Chikken Teppanyaki

綴りが変。 正しくは Chicken 。
その下にも延々と、間違ったスペルでチキンが並ぶ。
「たぶん中国人だよ。日本人なら印刷する前に確認するさ」

4人でいろいろ頼んでシェアしようと、天ぷらやから揚げやサラダを頼み、
私はその店の売りの一つであるらしい、鉄板焼きにした。
フィレ ミニョンと海老のコンビネーション。

まず出てきたのが、サラダと天ぷら。
サラダは、普通。
天ぷらは、衣がやけに固い。
揚げたてだから、まあ美味しいけど、天つゆが、いけない。
甘くて、親子丼やかつ丼のタレみたいだ。
塩で食べたほうがいいなと思ったけど、そのまま食べた。


鉄板焼きは、プレートにサイコロ状の牛肉と、小指ほどのサイズのエビ、
茄子とズッキーニとブロッコリーを細かく切って炒めたのと、ご飯、太い麺が乗ってきた。
これで2500円は、ちと高いのではないかなあ?
麺は、お好み焼きに入れる麺に似ていて、具なしで炒めてある。
食べてみると、甘い。
例の甘い天つゆで味付けしたのではないかと思われる。

「こちらが鉄板焼きのソースで、2種類あるの。こっちが醤油ベースで、
これがおすすめのヤミヤミソースよ」

Yummyは、「美味しい」の意味。
見た目は黄色っぽいマヨネーズで、なめてみると、食べたことがない味。
マヨネーズに砂糖と酢をどかっと入れて混ぜた味といえばいいだろうか。
醤油ベースのほうは、焼き肉のタレをうすめたような。
結局、どちらのソースも使い場所がわからないまま、そのまま残したけど。

私はグルメでもないし、食のハードルは低いほうだと思う。
大抵のものは、美味しく食べられる。
けれど、この、すべてがうっすら甘い不思議な味は、美味しいとは思えない。

この店が、まずいというのではないと思う。
ハワイの地元民にとって、日本料理はこれでいいのであって、実際に多くの人がリピートしているようだ。
私の場合、日本のカレーを食べたインド人が、「なんかこれは激しく違う」と思うのに似ているかもしれない。


期待はしていなかった。
していなかったけど、やっぱりどこかでちょっぴり期待をしていたようで、がっかりした。
ホノルルまで行けば、ちゃんと日本人が作っている、ちゃんとした日本料理のお店がいくらでもあるけれど、
この田舎でそれを求めるのは、やっぱり無理なのである。







久しぶりの青空

2021-03-19 11:10:53 | 日記
ハワイに降った大雨は、地滑りや冠水をあらゆるところで引き起こし
マウイ島では、土砂で生活道がふさがれてしまったところもあった。
我が家はコオラウ山脈の真下だけれど、高台になっており、
山に降った雨を海に流す溝(溝といっても、ただの雑木林にしか見えないのだが)が敷地のすぐ横にあるので、冠水することはないのだけれど、
そこを流れる雨水の音がすごくて、夜中などまるで川っぷちで寝ているみたいだ。

今日は、久しぶりの青空が見えた。

2階の三角窓から見えた虹(中央あたり)

3週間前にベッドの脚にひどく足の小指を打ち付けてから、
スニーカーを履けなかったのと、雨続きだったのとで、しばらくウォーキングをしていなかった。
夫を送り出してから、1時間ほど家の中のことをしたあと歩くことにした。

暑くも寒くもなく、涼しい風が気持ちがいい。
肌に太陽の熱があたるとチリチリする。
あー、人間は太陽光線が必要なんだなあと思う。


春休みに入ったこともあって、ハワイには毎日多くの人が降りたつ。
それに伴って、職場も一気に多忙になり、気が付けばうっかり週に3日も働いている。
それは良いことなんだけど、のんべんだらりの生活にすっかり慣れ切った身には、ちと辛い。
多忙になっても従業員数はミニマムだから、1日が過ぎるのが速い。

このまま、コロナがなかった頃に戻るのだと信じている人達が殆どで、
けれど私は、こんなに大きなことがあったんだから、踏切版を蹴った勢いで
なんかもっととんでもなく素敵な世界に飛んでゆくほうがいいな、と思う。










妄想コースター

2021-03-17 13:04:49 | 日記
私のことを、前向き志向だとか楽天家だとかいう人がいる。
それは並々ならぬ努力があって、かろうじてそう見えるというだけで、実際はとんでもない話である。

私の妄想ジェットコースターの、下りの勢いと傾斜角度といったら、回転するのも含めて富士急ハイランド以上だと思う。



たとえば昨日、昼休みに夫と電話で話をした。
これは私が家にいるようになってから始まった日課で、夫が毎日電話をかけてくる。
私が仕事の日でも、同じだ。

夫の声に、元気がなかった。
「How are you?」と聞いて、「Good」は良くて、「Fine」はまあまあ、「OK」とくれば、それはかなり悪い。
夫が「OK」と言った途端、私の妄想コースターは ガッチャン と角度を変えて、一気に加速度をつけつつ下り始める。
それは次のような経路をたどる。



腰痛がひどいのか(最近、昔痛めた腰がぶり返している)
職場で嫌なことがあったのか(うまくいかない人たちがいる)
まさかまた仕事を辞めるとか言い出すのでは
この時期に仕事を探すのは大変
いや、もしそうなっても、それは大局的に見て良いことだからに違いない
そうは言っても、正直なところ転職なんかもう御免
まあでも病気や怪我で働けなくなるより、いいか・・・・



急降下で、たった10秒でここまで落ちる。
底をつくまで落ちたら、電話を切ったあと、えっちらおっちらと登るのだ。
落ち込む気持ちをなだめすかし、不安をあおる妄想を根気よく書き換え、
家に帰ればにこにことしている夫を思い描き、
10秒で下ったのを盛り返すのに、何時間もかかる。

帰宅すると、夫はにこにこはしていないが、そう淀んでもいなかった。

「ランチを食べようとしたらさ、ランチボックスごと地面に落としちゃって
今日は何も食べられなかったんだ」

なんだ、そんなことかー・・・・・
電話をしたとき、それを言ってくれればよかったのに。
電波が悪くて、ほんの少ししか話さなかったんだけど。



「何か自分にとって重要なことがあるとき、最悪の事態を想定しておくの、そうすれば落胆が少なくなるから」
そう言っていた友達がいる。
私の場合、わざわざ想定などしなくても、瞬時に最悪の事態まで勝手に行ってしまうのだ。
それどころか、最悪の事態まで行った「あとの」想定や、慰めまで含まれている。


私のこの妄想コースターは、母から刷り込まれたのではと思っている。
母は、私がシュノーケルに行くと言ったら
「あんた、このまえどこかでシュノーケルで死んだ人いたよ、大丈夫なのかね」と言い、
メールで知り合った友達の話をすれば、
「メールで出会って殺されたり犯罪に巻き込まれる人が多いんだってよ」
と言わずにおれない人なのだ。

一方、父は事が起きた時の騒ぎは大げさで、悲観的なことを言い立てるのだけれど、
割とすぐに切り替えて、明るい面をみつけてケロリとしている。
母の場合、切り替え地点というものはなく、諦めることでやり過ごす。


私は母の、じっとりとした暗い部分と、
父の切り替えの速さを両方受け継いでいて、ようやくバランスをとっている。

この妄想コースター、我ながら辟易としてしまうのだが、
妄想コースターに乗っていることも気づかずに、ただ振り回されていた頃を思えば、
少しは成長しているのではないかと思うようにしている。
嫌ならコースターを降りればいい、それだけのことができない私の言い訳。




黄色いじゅうたん

2021-03-17 12:02:48 | ハワイの自然
ハワイは、4月から6月にかけてが一番きれいだと思う。
プルメリアの樹は、冬場は剝げチャビンだったのが、愛らしい花をつけ始めるし
ピンクテコマは、日本の桜に似ていて、咲く時期も近い。

ピンクテコマの樹


私が1番好きなジャカランダも、そろそろ紫の花が咲き始めている。

庭のアガパンサスも、蕾をつけた。
5月になると、こんなふう

ピカケ(ジャスミン)も咲く。




ホノルルで

とりわけ目立つのが、ゴールデントゥリー。
萌えたつような鮮やかな黄色い花は、そこだけ輝いていて、どんなに遠くにあってもすぐにわかる。
樹の下には、一面の黄色いじゅうたん。

「ギンコーみたいだね」

夫が言った。
ギンコーは、銀杏の樹。
言われてみれば、日本の神社の敷地にそびえる大銀杏の、あの黄色と似ている。
ピンクテコマで桜を思い、ゴールデントゥリーで銀杏を思うハワイの春。





思いがけず役にたったもの

2021-03-13 19:17:04 | 日記
幸せなことに、この1年近く、せせらぎを見ていない。

注)せせらぎとはゴのつく、あの虫のこと。名前も書きたくないので、伊坂幸太郎氏の小説から引用。
えぐい表現は出てこないケド、苦手な人はスルーしてください




何の虫が嫌いといって、あんなに嫌いなものはない。
アレに比べれば、毛虫などかわいいものだ。

ついさっきのことである。
階段を降りようとしたら、独特の気配を感じた。
この、誰かが見ているような気がする、というのが、私のせせらぎセンサーで
知らなければ済んでしまうものを、なぜか私は見つけてしまう。

視線を追えば、壁にせせらぎがいた。
それも、けっこうデカいやつ。
こんなとき、悲鳴なんか出ない。ただ息をのむ。

頼みの綱の夫は、休日なので夕方からお酒を飲んで、早々とベッドで高いびき。
さすがにそれを起こすのは気が引ける。
かといって、このまま見過ごすわけにもいかない。
殺虫剤はないし、食器洗剤だとあとの掃除が大変だ。まして階段はカーペットなのだ。
見たくはないが、視線をそらすと奴は動き出す。
視線はそのまま、猫が爪とぎをするのを防ぐために階段においてあったタオルを手さぐりでつかみ、
その端をしっかり持って、手首のスナップを思い切りきかせて一撃をくらわした。
これは長年かけて私が編み出した(おおげさな)、瞬殺!脳震盪の技である。
洗剤や殺虫剤で家が汚れることもなく、ヤツに近づかずに済む。

せせらぎは私の一撃でころりと階段の隅に落ちた。
さて、実はこれからが問題。
これをどうするのか。
ティッシュでつまんで捨てられるぐらいなら困りはしない。
どんなにティッシュを重ねても、ヤツの感触が指に伝わってきそうで鳥肌がたつ。
ティッシュをかぶせて、明日の朝、夫に頼もうとも思ったが、
夜中に猫たちが見つけないとも限らない。
厚手のゴム手袋をして、ティッシュ30枚ぐらい重ねようかと思ったが、
それにしても腕の長さしか離れていないので、腰が引ける。

そこで、ふと思い出した。
先日、ダイソーに行ったときに買った、なんでもピッカーを。


職場で、地面に落ちているゴミを拾うのにいいかと思って買って、
実はまだ使わないで、車の中に置いたままにしてあったのだ。
ハンドルを握るだけで、先っぽでものをつまめるようになっている。
私はそれを持って来て、ティッシュの束と、一撃したタオルをかぶせたヤツをつまんだ。
うまくつまめて、そのまま庭に出て、ジャングルの中に捨てた。
使ったタオルは、もったいないけど捨てた。
家に入ってドアを閉めたら、ドッと疲れた。


せせらぎなんてバッタと同じ、と思っている夫や義両親には、これがどれだけ重荷なのかわからないだろう。

なんでもピッカーがなかったら、私はいったいどうやってこの場を切り抜けただろうか。
これを買った自分に感謝。
ダイソーに感謝。


かくしてなんでもピッカーは、階段下の物入れが定位置となったのである。