Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてⅢ

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印が趣味です。
生きた証として好き勝手に書いております。(笑)

京都霊山護国神社(2020年2月11日参拝)

2020年08月24日 | 神社
八坂庚申堂から続いて京都霊山護国神社へ。

ここは坂本龍馬と中岡慎太郎の墓があるということで、
数々のテレビに取り上げられるほど有名な神社です。

そんな神社に数々の有名無名を問わず、
各地の神社を参拝してきた私が初めての参拝となります。

かくいう私の専門は戦国時代で幕末は全く興味がありません。
坂本龍馬に対しても何の思い入れもありません。(^^;

そんな私ですから坂本龍馬の色が余りにも濃すぎる京都霊山護国神社は、
特に参拝したいという欲求がありませんでした。

ぶっちゃけ今日もそんなに欲求は無いのですが、
食わず嫌いはイケナイと思い参拝することにした。


所在地:京都市東山区清閑寺霊山町1
御祭神:国事殉難者約7万3千柱
創建:明治元年(1868)
社格:内務大臣指定護国神社・別表神社



【由緒】


文久2年(1862)時衆霊山派の正法寺の朱印地の中の、
神道葬祭場霊明社において有志者による神葬祭が行われた。

ご祭神は菊理媛神・速玉男命・事解男命の三神(他に相殿三神)。

慶応4年(1868)明治天皇から維新を目前にして倒れた、
天誅組等の志士達の御霊を奉祀する為に、
京都・東山の霊山の佳域社を創建せよとの詔・御沙汰が発せられた。

それに感激した京都の公家や山口・高知・福井・鳥取・熊本等の諸藩が相計らい、
京都の霊山の山頂にそれぞれの祠宇を建立したのが、
神社創建の始まりであり招魂社である。

当初の社号を霊山官祭招魂社と称し、社格は官祭社に列し国費で営繕されてきた。

昭和11年(1936)支那事変(日中戦争)をきっかけとして、
国難に殉じた京都府出身者の国事殉難者を手厚く祀ろうという運動がおき、
霊山官祭招魂社造営委員会が組織され、境内を拡大して新たに社殿を造営した。

昭和14年(1939)4月1日、内務大臣布告によって、
現在の社号である京都霊山護国神社と改称された。
戦後は宗教法人・神社本庁の包括下におかれ国家の手を離れた。
GHQ占領下においては京都神社に改称していたが、独立後は元の社名に復した。


【鳥居】


神社には駐車場が無いので、
ここから歩いて神社へ向かう。


【狛犬】



【維新の道】




運動不足だと地味にしんどい坂道です。




振り返るとこんな感じ。


【霊山歴史観】



【境内】


神社のHPでは駐車場が無いと書かれているが、
境内の左端方に車を停めてる人がいた。

停めていいんでしょうか。


【社殿】





【狛犬】


お参りを済ませた後は龍馬のお墓に行ってみましょう。

拝観料が必要となります。


【石段】





【高知県招魂社】





【風景】



【吉村寅太郎】




吉村寅太郎とは土佐藩士で天誅組総裁。


【坂本龍馬・中岡慎太郎墓所】





【風景】




八坂の塔が見れてなかなか良い風景です。


【坂本龍馬・中岡慎太郎銅像】





【木戸孝允墓】





【木戸松子墓】


木戸孝允の妻で芸妓の幾松の墓。

木戸孝允と同じく正二位の官位を与えられているとは。
そんなに凄い嫁だったのかな。


【山口藩招魂社・霊山招魂社】


他にもいろいろなお墓がありましたが、
ほとんど無名な藩士のものでした。

これにて京都霊山護国神社の参拝終了。


【維新の道】



【鳥居】



【八坂の塔】



【御朱印】



京都霊山護国神社は歴史上の偉人のお墓参りが出来る神社。

幕末や坂本龍馬が好きな方にとって、
心安らげるとても大事な神社であることは理解出来ました。(^^