※2017年4月7日に投稿したものを再度投稿します。
組織的犯罪処罰法(共謀罪)は神聖天皇主権大日本帝国下で制定された治安維持法の現代版である事を疑ってはならない。
1925年の治安維持法制定に当たって、小川平吉司法相は貴族院で「無辜の民にまで及ぼすという如き事のないように充分研究考慮を致しました」「決して思想にまで立ち入って圧迫するとか研究に干渉するという事ではない」などとと答弁しているが、その最初の適用は、「大学」「学生運動」に対してであった。それは学連事件というもので以下紹介します。
1925年10月、朝鮮人暴動を想定した小樽商高事件が発生したが、小樽港の朝鮮人労働者はもちろん小樽労働組合などが反対運動を始めた。全国学生社会科学連合会(学連)もこれに積極的に取り組み、各地で反軍国教育の声が高まった。その時、同志社大学構内に「狼煙はあがる。兄弟よ、この戦に参加せよ」というビラが貼られたが、これを口実に京都府警特高課が12月1日早暁、京都帝大、同志社大などの寮や下宿、自宅を襲い、学連関係者としてそれぞれ18名、11名、その他4名を検挙した。しかし、起訴可能な証拠がなかったため、7日までに全員釈放された。
しかし、特高が寮に無断で入り、立会人なしで捜索した不法行為に憤激した京都帝大学生は14日、研究の自由、大学の独立を主張する宣言を発し、大学当局の決起を要望した。それに応えて24日、法学部教授会、経済学部教授の一部もこの事件の不法行為を攻撃し、学問研究の自由を主張する声明を発表した。
これに対して、京都府警は学連関係学生の一斉検挙で応えたのであった。翌年1月14日には新聞発表を禁じ、翌日より4月中旬まで、学生、学者、労働組合指導者を家宅捜索し検挙した。検挙された学生は38名で、その中には、京都帝大の石田英一郎、岩田義道、太田遼一郎、鈴木安蔵、東京帝大の是枝恭二、村尾薩男、後藤寿男(林房雄)、慶応大の野呂栄太郎らがいた。また、京都帝大の河上肇、同志社の河野密、山本宣治、関西学院の河上丈太郎、新明正道らの教授、講師も拘引された。
9月15日に記事が解禁され国民が真相を知った3日後の18日に予審が終結した。容疑は治安維持法、出版法違反容疑、不敬罪容疑であった。後2者は大正天皇の御大喪で特赦された。1927年4月より治安維持法による公判開始。5月30日、1名の病欠以外は全員が8カ月から1か年の禁固刑を宣告された。控訴審の途中に三・一五事件(共産党弾圧事件)が起こり、大部分が連座したため、29年12月判決の21名は一審よりも刑を加重された。