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国連女子差別撤廃委の皇室典範見直し要求、安倍自公政権抗議で削除の問題

2024-12-09 09:00:41 | 皇室

 「天皇家」を特別扱いする安倍政権ワールドは国民の命と生活の安全、幸福追求を阻む。

 2016年3月9日の新聞に「皇室典範見直し要求 国連委の当初案政府抗議で削除」の見出しが載った。国連女子差別撤廃委員会が3月7日に発表した日本に対する勧告を含む「最終見解の案」に、皇位を継げるのは男系男子のみとして女性天皇を認めない皇室典範を問題視し、見直し(改正)を求める内容の記述があったという。これを知って私は、これまでの勧告などでは「皇室典範」に関する内容はまったく含まれていなかったために、このような勧告もするのだと驚いた。それとともに国連委は委員会の原則に基づいて真摯に仕事をしていると感じた。

 この「最終見解の案」に対して、安倍政権が、「審査で議論されていない内容を最終見解に盛り込むのは、手続き上問題がある」という理由で抗議をした。その結果、委員会は最終的に「皇室典範」に関する記述削除に応じたという。

 国会ではこれも仲間内どうし結託して準備された「演技」と言えるが、皇室制度について国民がもつべき認識について国民に対するマインドコントロールを意図して、政党「日本のこころ」の和田正宗議員がこの真偽を問うたのに対する岸田外相の答弁は「女子に対する差別への言及だったが、我が国の皇室制度や諸外国の王室制度もそれぞれの国の歴史や伝統が背景にあるという事、女子に対する差別目的とは全く別の事柄であると説明した」との事。和田氏は「一国の皇位継承権にまで言及するのは許せない。さらなる対応は」と続けたのに対し、岸田氏は「今後しっかりと説明し、理解を得るべく努力は続けていく」と答弁した。

 菅官房長官も岸田氏と同様に9日の記者会見で「我が国の皇室制度も歴史や伝統が背景にあり、国民の支持を得て今日に至っている。皇位継承のあり方は女子に対する差別を目的としておらず、委員会側が皇室典範について取り上げる事は全く適当ではない」と述べている。

 和田氏と菅氏の説明をどう考えるか。彼らは委員会の勧告の意味を正面から真摯に受け止めようとしていないのである。委員会の考え方とは異なる考え方に固執妄執し委員会の考え方を認める気がないのである。この姿勢は日本政府(最高裁も)が「委員会」を軽視、冒涜しているものでもある。この事はほかの内容(夫婦同姓など)の勧告を見れば一貫している事が分かるはずである。そして、説明になっていない説明?をして委員会の理解を得て削除させたように答弁し述べているが、普遍的な考え方や理念(男女平等、人間平等)を認めようとせず「安倍政権の主張」を押し通しただけであり、委員会側は呆れて日本政府とは「会話が不能」と思った事であろう。

 皇室制度や皇室典範はたかだか120年前に作られたもので、天皇家は政治的に利用され歴史の表面に登場させてもらったのである。それもそれ以前のあり方とは一変(変身)した姿内容で。明治天皇が「ひげ」や「眉毛」を伸ばしておらず「書き眉毛」「化粧」をしていた事は歴史の事実である。また、国民から知られない存在から日本に君臨し徳川に替わって新たに国民を支配する存在である事を知らしめるために「全国巡行」をしたのではなかったのか。そして、初の「皇室典範」とドイツ憲法をアレンジした「大日本帝国憲法」を制定し自らの地位を確固たるものにしたのではなかったのか。その間にはその動きに反対する国民の「自由民権運動」を警察や軍隊という「国家暴力」で殲滅したのではなかったのか。そして、その国家体制(天皇制)を国民から守るために「治安維持法」などの治安立法を制定したのではなかったのか。そして、大日本帝国の存立と膨張を目的として国民を動員して行った数々の「侵略戦争」の最高責任者として存在したのではなかったのか。そして、敗戦時に天皇家を将来再び支配者として復帰できるように、米国との間で存続のための「取引」をしたのではなかったのか。その「取引」により「沖縄の島と島民」を「米国米軍の基地」として売ったのではなかったのか。それが皇室制度の真実の「歴史」と「伝統」ではないのか。

 皇室を国民とは異なる世界に住む国民より上位に立つ存在と見なしてはいけない。憲法第1条「天皇の地位・国民主権」で「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」とあるように、天皇家を存続させるか否かは「国民」の意志により決定する事なのである。和田氏や菅氏の発言はそれを故意に無視し国民とって「神聖不可侵」な存在であり「そうあるべき」と、結託して演技でアピールしたのである。日本国憲法の第99条「憲法尊重擁護の義務」を認めない立場(確信犯)を取っているのである。

◎新皇室典範に見る天皇家の差別的体質

 天皇家は人権侵害(差別)の総元締め以外の何物でもない。皇室典範第1条「皇位継承の資格」では「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」と明記されており、日本国憲法の「男女平等の原則」を適用していない憲法違反であるし、今日のグローバルな価値観に反している。この事に安倍政権は真摯に「国民」に対して答えよ。そして、天皇家についてのあらゆる課題は主権者である「国民」に対してオープンで行うべきである。国連の勧告についても「国民」が考えるべき事であり、「国民」に提示すべき事であると受け止めるべきであり、国民の考え意思を尊重する手立てをして当然ではないか。なぜしないのか。したくないのですね。

第3条「継承順序の変更」では、「皇嗣に、精神若しくは身体の不治の重患があり、……皇室会議の議により、前条に定める順序に従って、皇位継承の順序を変えることができる」とあり、身体障害を持つ場合には、皇位継承から除く事ができるとしている。身体障害者に対する人権侵害差別であり、憲法違反である。国民の象徴が差別を容認しているのである。

第22条「成年」では「天皇、皇太子及び皇太孫の成年は、18年とする」とあるが、国民の成人年齢は未だに20歳であるのはどういうことなのか。天皇家は日本国民ではないのか、別格の別世界の人間として扱っている事を意味しているのではないのか。世界のほとんどの国では18歳としているにもかかわらずである。

第26条「陵墓」では「天皇、皇后、太皇太后及び皇太后を葬る所を陵、その他の皇族を葬る所を墓とする」とあるが、墓所の呼び名を変えて差別化しているが、今日その必要はまったくないと考える。憲法違反である。外国ではありえない。特別扱いをするべきではない。

以上のような日本国憲法の原則に違反(憲法違反)した、人権を認めない内容が定められている事は問題である。このような規則法律で天皇家を存在させておく事は主権者である国民として責任を感じるべき問題である。天皇家には皇室典範には国連委が勧告として指摘した以外にたくさんの問題を有しており、国民的課題として取り組むべきであり、少なくとも改善すべきであり、天皇制自体の「廃止」も考えなければならない。

(2016年3月26日投稿)

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12月8日の開戦を国民学校の国語教科書はどう書いていたか、神武天皇没後2600年?や横浜事件名誉回復とも関連

2024-12-09 00:28:05 | 教育

 敗戦までの「国民学校」の国語教科書は「12月8日」の対米英開戦について、一つの教材として独立させて載せている。その教科書は、「初等科国語(六)」(五年生後期用)で「九」番目の教材「十二月八日」である。

 この教科書は、天皇の神聖とその天皇の支配する日本の国体に対する狂信度、狂妄度を強化する教材であったといえる。以下に内容を紹介しよう。

「昭和十六年のこの日こそ、われわれ日本人が、永久に忘れることのできない日である。この朝、私は、ラジオのいつもと違った声を聞いた。さうして『帝国陸海軍は、本八日未明、西太平洋において、米英軍と戦闘状態に入れり。』といふ臨時の知らせを聞いて、はっとした。私は、学校へ急ぎながらも、胸は大波のやうにゆれてゐた。勇ましいやうな、ほこらしいやうな、それでゐて、底の底には、何か不安な気持ちがあることを知って、『いつ、米英の飛行機が飛んで来るかも知れないのに、こんなことでどうするか。』と自分で自分を励ました。朝礼の時間に、校長先生から、戦争の始まったことについてお話があった。『東亜におけるわが国の地位を認めず、どこまでも横車を押し通さうとした米国、及び英国に対して、日本は敢然と立ち上ったのです。いよいよ、来るものが来たのです。私たちは、もうとっくに、覚悟がきまってゐたはずです。』初冬の澄み切った日差しが、運動場を照らし、窓を通して教室に差し込んでゐた。四時間目に、みんなは講堂へ集まった。さうして、その後のやうすをラジオで聞いた。『ハワイ空襲。』とか、『英砲艦撃沈。』とか、『米砲艦捕獲。』とか、矢つぎ早の勝報である。みんな、胸にこみ上げるうれしさを押さへながら、熱心に聞き入った。お昼過ぎには、おそれ多くも今日おくだしになった宣戦の大詔が、ラジオを通して奉読された。君が代の奏楽ののち、うやうやしく奉読されるのを、私たちは、かしこまって聞いた。おことばの一言一句も、聞きもらすまいとした。そのうちに、私は、目も、心も、熱くなって行くのを感じた。『天祐ヲ保有シ万世一系ノ皇祚ヲ践メル大日本帝国天皇』と仰せられる国がらの尊さ。この天皇の御ためなればこそ、われわれ国民は、命をささげ奉るのである。さう思ったとたん、私は、もう何もいらないと思った。さうして、心の底にあった不安は、まるで雲のやうに消え去ってしまった。『皇祖皇宗ノ神霊上二在リ。』と仰せられている。私は、神武天皇の昔、高倉下が神剣を奉り、金のとびが御弓の先に止まったことを思った。天照大神が、ニニギノミコトにくだしたまうた神勅を思った。神様が、この国土をお生みになったことを考えた。さうだ。私たち国民は、天皇陛下の大命を奉じて、今こそ新しい国生みのみわざに、はせ参じてゐるのである。勇ましい皇軍はもとより、国民全体が、一つの火の丸となって進む時である。私たち少国民も、この光栄ある大きな時代に生きてゐるのである。私は、すっかり明るい心になって、学校から帰った。うちでも、母は、ラジオの前で戦況に聞き入ってゐた。『おかあさん、私は、今日ほんたうに日本の国がえらいことがわかりました。』といふと、母も『ありがたいおことばを聞いて、まるで天の岩戸があけたやうな気がしますね。さあ、私たちも、しっかりしませうよ。』といって、目に涙をためながら、じっと私を見つめた。」以上。

  2016年11月17日の衆院憲法審査会では、自民党の安藤裕議員が、「天皇の地位は日本書紀における『天壌無窮の神勅』に由来するものだ」と発言した。また、昨年来、自民党議員は「八紘一宇」「皇紀」「神武天皇の偉業」などの言葉を発言するようになっている。それはなぜか。彼らにとってその言葉と発言が意味を持ち、正当化する根拠となっている事が存在するからである。それは、天皇や皇太子が『日本書紀』の「神話」の記述にもとづいて「神武天皇没後2600年」として天皇や皇太子たちが奈良橿原を訪問しているからなのである。

 メディアは、自民党議員の発言だけを嘲笑し批判するだけでなく、天皇や皇太子などの行為こそ批判し止めさせる事こそ重要な使命である事を自覚すべきなのである。

 自民党議員たちはもちろん、天皇や皇太子たちもおそらく、『日本書紀』の「神話」を「真実である」と信じているのではなく、「国民に信じ込ませ騙す」ために、信じている「ふり」をし、「装っている」だけであるという事実も見抜いておかなければならない。

 だからメディアは、自民党議員の発言を「時代錯誤」であるとか、「神話」と「史実」を混同していると批判するだけでは問題の本質を見抜いていない、的を得ていない批判でしかないのである。

 この件と関連してまた、『日本書紀』の「神話」に基づいた神聖天皇主権大日本帝国政府の国家体制(国体)を守るために、「治安維持法」が制定さらに改正された事をおさえておかなければならない。田中義一内閣は1928年6月、緊急勅令で改悪し、国体変革を目指す者は「死刑・無期刑」を科した。

 その「改悪法」が適用された最大の事件が「横浜事件」である。戦後2008年の再度の「再審請求」により、「改悪法」が廃止された事を理由に「免訴」が確定したが、「免訴」とした判断は「違法」であるとして「名誉回復」を求める「控訴審」が12月2日から始まった。

 治安維持法に問われた人たちの「名誉回復」がなされるか否かは、敗戦までの「神聖天皇主権大日本帝国政府の国家体制」が「新憲法」によって本当に否定されたのか、それとも「新憲法」下の今日にも息づいているのか、という事を判断する上で極めて重要な事なのである。そして、「名誉回復」がなされるならば、「神聖天皇主権大日本帝国政府の国家体制」に基づく天皇・皇太子たちによる「神武天皇没後2600年」行為をどのように評価判断する事が適切であるのかも自ずと明確になるだろう。

(2016年12月11日投稿)

 

 

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