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朝日新聞は大嘗祭(皇室神道儀式)実施が政教分離原則違反であり、公務員の憲法尊重順守義務や主権者国民の権利を侵害する事こそ啓発すべき

2024-11-29 22:08:52 | 大嘗祭

 朝日新聞は、2018年3月17日の「天皇の代替わり 7」の記事で、大嘗祭(新嘗祭)に使用する小道具について、どこの地方の新穀を使うのかは、19年5月の新天皇即位後に占いで決めるとか屏風は誰に依頼するのかとか装束はどうするのかとか。短期間で準備をする宮内庁職員が忙しくなると書いて筆を終えている。これだけではメディアは主権者国民の知る権利の最も重要な点に応えた内容とはいえない。

 この大嘗祭(新嘗祭)に関してメディアが主権者国民に伝えるべき事は、憲法が「主権者国民の人権を保障すべき義務を有する」と定める、「国家公務員や地方公務員」に対し、安倍自公政権が大嘗祭の実施それ自体が憲法の政教分離原則に違反する事であるにもかかわらずそれを認めないだけでなく、さらにその上に国事行為と位置づけて、「公務員」である自らと、「国家公務員や地方公務員」を「皇室神道宗教儀式」に従事参加させようとする価値観についてであろう。安倍自公政権は大嘗祭(新嘗祭)を皇室神道の宗教儀式であり憲法(政教分離原則)違反である事を認める気がなく、政府が「公務員が主権者国民に対する義務を遂行する事を認めない」事を押し付ける公務執行妨害をしているとみなすべきであり、その事により、主権者国民にとっては、憲法が主権者国民に保障する政教分離原則(基本的人権の尊重)が侵害否定される結果をもたらしているのであり、憲法が実質を伴わない言葉だけのものに変質させられているのである。

 この在り方は安倍自公政権が、大日本帝国憲法において、国民を臣民(天皇の家来)とし、信教の自由については「安寧秩序を妨げず及び臣民たるの義務に背かざる限りに於いて信教の自由を有す」とした(思想信条の自由については認めていないので条文は存在しない)のと同じ価値観を現在の国民にも強要し定着(社会的儀礼や習俗的行事とみな)させようとしている事を意味しているのである。天皇家皇族も大嘗祭(新嘗祭)をやめようとする意思がないから、彼らも安倍自公政権と結託して平成の代替わりに引き続き実施しようとしているものと考えてよいのである。

 平成の代替わりの「大嘗祭」は知られているので別稿に譲り、ここでは2017年の「新嘗祭」の様子について、いかに政教分離原則が無視され、国民の基本的人権が否定されたかを紹介したい。

 宮中献穀のための新穀は天照大神に供えるものである。今回も実施するという大嘗祭にはどの地方の新穀を使うのかは、19年5月の新天皇即位後に占いで決めるというが、毎年の新嘗祭の新穀は毎年全国各地で栽培させており、そのために毎年5月には全国で田植えの祭(御田植祭)が実施されている。2017年の北海道では比布町が選ばれた。献穀者の選出は、賞典長(皇室使用人の長、人件費は内廷費)から都道府県知事に対し、「本年度の新嘗祭に献穀を希望する者がある場合(皇室からの要請とせず国民からの希望に応える形式をとっている)は、別紙のような方法で受納しますから、よろしくお取り計らい願います」との文書が送られ、市町村長を通じて地元農協に伝達され、決定された。田圃には「新嘗祭献穀圃場」「耕作者○○」と書かれた高札が立てられた。田植え当日は上記の関係機関(奉賛会を含む)から約50名の出席があり、神職の下で、田圃に注連縄を張りお祓いをしたうえで、田圃耕作者の町役場勤務の女性2名、JAぴっぷ町勤務の女性3名、など6名の早乙女により苗を植えた。

 9月にはこの献穀米を刈り取る神事「抜穂祭」を行うが、九州南島原市では、地元の小学生が動員され、刈女、田男とされた。参加者は、市長、市議会議員、各町内会、各市内団体、地元小学校、長崎県議会議員、長崎県知事などであった。「お田植え祭」「抜穂祭」のいずれも知事や市町村長、県市議会議員、小学校教員など公務員が関わっており、小学生など住民も動員されている。

 10月下旬には耕作者夫妻が皇居に行き宮中行事に出席し献穀した。夫妻は農具や儀式ごとの祭服を新調したり、「直会」の飲食代、交通費、新調の礼服など高額の出費となった。ちなみに、献穀者または同居の家族が忌にかかった場合は献穀を遠慮するよういわれた。

 以上のような準備を前提として、安倍自公政権と新天皇(天皇家皇族)が2019年には戦前からの国家神道の宗教儀式である「大嘗会」(2018年は新嘗祭)を国民の税金を使い実施しようとしているのである。「大嘗祭」とは一体どのような意味を持つ宗教儀式なのであろう。

 国民学校6年の修身教科書「大嘗祭の御儀」に書かれている内容を紹介しよう。

「大嘗祭は、わが国でいちばん大切な御祭であります。御一代に御一度、神代そのままに、こうごうしいこの御祭をあそばされるのは、実にわが大日本が、神の国であるからであります。……これこそ、実に大神と天皇とが御一体におなりあそばす御神事であることを明らかにするもの、と申さねばなりません。」

(2019年11月15日投稿)

 

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