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1938年「京城日報」に見る植民地朝鮮における「日の丸」掲揚「君が代」斉唱の強要

2025-03-08 13:02:24 | 国旗・国歌

 神聖天皇主権大日本帝国政府の植民地朝鮮には「京城日報」という新聞が発行(1945年10月廃刊)されていた。大韓帝国への侵略を進めていた大日本帝国政府は、1905年第2次日韓協約(韓国保護条約)を締結し、06年漢城(現ソウル)に統監府(初代統監は伊藤博文)を開庁(南山)した。伊藤は、同年9月に「漢城新報」と「大東日報」を買収合併し、統監府の機関紙(官報)として創刊した。1910年韓国併合条約締結後は、朝鮮総督府の機関紙(国民新聞社の徳富蘇峰が監督指導)とした。その「京城日報」が1938年(日中戦争開始の翌年)の、朝鮮のキリスト教会の状況を伝える記事を載せた。それは、警務局長キリスト教徒に対する「指導」結果の会議報告であるが、「教会堂での『日の丸掲揚88%』、集会の際の『君が代奉唱79%』」というものであった。このような記事を掲載していたという事は、総督府(大日本帝国政府)が「指導」の「成果」を計る指標として「日の丸掲揚」「君が代奉唱」の「実施率」を重視していた事を示しており、その向上を「皇国臣民としての自覚」の状況と捉えていた事を示している。

ところで、この後の1945年には満州事変から始まった侵略戦争である「十五年戦争」に「敗北」し自ら破滅したとともに、周辺諸国民へ取り返しのつかない多大で深刻な被害を与えた。自公政権は懲りずに再び同じ道を歩んでいる。主権者国民は、歴史から学び自公政権を退場させなければかつてと同じ不幸に陥れられる。

(2025年3月8日投稿)

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