安倍首相は、2013年12月26日に首相として初めて「靖国神社」を参拝した。彼の「靖国神社」に対する基本的な考え方は、彼が自民党幹事長であった2004年11月の講演の言葉にすべて表れている。それは、
「国に殉じた英霊に尊崇の念を捧げる事は当然だ。(靖国参拝した)小泉首相の意志を次のリーダーもその次のリーダーも受け継ぐ事が大切だ」というものだ。
それでは、その継承すべきとする小泉首相の意志とはどういうものかというと、2001年5月4日の衆議院予算委員会の答弁に表れている。それは、
「戦没者にお参りする事が宗教的活動と言われればそれまでだが、靖国神社に参拝する事が憲法違反だとは思わない。宗教的活動であるからいいとか悪いとか言う事ではない。A級戦犯が祀られているからいけない、ともとらない。私は戦没者に心からの敬意と感謝を捧げるために参拝する。」というものだ。
そして、小泉は首相就任中毎年8月15日に合計6回の「公式参拝」を強行した。
その小泉発言の源流となったのは、16年前の1985年7月の自民党軽井沢セミナーでの中曽根康弘の発言である。それは、
「国のために倒れた人に対して国民が感謝を捧げるのは当然の事である。さもなくば誰が国のために命を捧げるか」というものであり、8月15日に「公式参拝」を強行した。
この発言は、中曽根が将来の戦争の戦没者のために「靖国神社」を顕彰と国民教育の場として用意する事を意図したものであった。
ちなみに、この「公式参拝強行」の前日の14日に、内閣官房長官は、談話「内閣総理大臣その他の国務大臣の靖国神社公式参拝について」を発表し、公式参拝は「社会通念上、憲法が禁止する宗教的活動には該当しないと判断した」とし、1980年11月以降「公式参拝は憲法違反」としていた政府統一見解を「合憲」と変更していた。
「靖国神社公式参拝」をした最初は中曽根であり、それを受け継ぎ復活させたのが小泉であり、それを2013年に再開したのが安倍首相という事になるが、安倍はその意図を参拝後の談話で「今の日本の平和と繁栄は、今を生きる人だけで成り立っているわけではありません。愛する妻や子どもたちの幸せを祈り、育ててくれた父や母を思いながら、戦場に倒れたたくさんの方々、その尊い犠牲の上に、私たちの平和と繁栄があります。今日は、その事を改めて思いを致し、心からの敬意と感謝の念を持って、参拝致しました」と述べている。また、宮司の出迎えを受けて昇殿し、「二礼二拍手一礼」の神道形式をとり、「内閣総理大臣 安倍晋三」と記帳し、「私費」で「10万円の献花料」を納めた。
2014年8月15日には、代理を通じて「自民党総裁」として「私費」で「玉串料」を奉納した。代理を勤めた自民党の荻生田光一総裁特別補佐は、安倍から「国のために犠牲となった英霊に尊崇の念を持って謹んで哀悼の誠を捧げてほしい」と指示されたと語った。
2015年8月15日には、荻生田総裁特別補佐を通じて「自民党総裁 安倍晋三」として「私費」で「玉串料」を納めた。安倍が「ご英霊に対する感謝の気持ち、靖国への思いは変わらない」と話していた、と語った。
今年2016年8月15日には、西村康稔総裁特別補佐が代理を務め、「自民党総裁」の肩書で、「私費」で「玉串料」を納めたという。安倍からの言葉はなかったようだ。
中曽根、小泉、安倍の「公式参拝」は、憲法の「政教分離原則」に抵触しており、中曽根に対する大阪高裁や小泉に対する福岡地裁および大阪高裁では、首相の参拝は「憲法違反」という判決が出ている。また、安倍の2013年の参拝についても大阪地裁が今年1月28日、参拝が政教分離原則に反するか否かについては判断していない。つまり、首相の「参拝」を「合憲」とする判断は1件もないのが現状である。
そしてまた国民として確信すべき重要な事は、「私費」で「玉串料」を納めていても、「自民党総裁」という「肩書」を使用していても、いずれも「公式参拝」である事に変わりがない。それらの事は日本的屁理屈で世界では通用しないものである。そして憲法の「政教分離の原則」「憲法尊重擁護義務」に明確に違反しているという認識を持つべきであるという点である。当然、他の閣僚や国会議員たちの参拝についても同様に判断すべきである。
という事から、国民は今年までの安倍の靖国神社に対する行為も、紛れもなく「憲法違反」と認識すべきであるという事なのである。
さて、今年の安倍の対応についてであるが、彼は靖国神社には参拝しないかわりに、靖国神社の思想を表す文言を、「全国戦没者追悼式の式辞」のなかに、すべてちりばめたといえるのである。それは、
「「御霊(みたま)」「尊い犠牲の上に、私たちが享受する平和と繁栄がある」「敬意と感謝の念」「世界の平和と繁栄に貢献し」「御霊に報いる途である」などの文言である。これらは安倍が2013年に靖国神社を参拝した際に述べた言葉とまったく同じなのである。唯一つ靖国の思想は「顕彰」であるにもかかわらず、あえてそれとは意味の異なる言葉「哀悼」をちりばめたが、それは「顕彰」を意味する別の文言を他の箇所に十分ちりばめているので、国民を欺くために使用したのである。国民をあまりにも馬鹿にしているといえる。
このようにする事により、「戦没者追悼式」の中身を、「靖国神社」の思想と同質の、「戦没者」を「顕彰」する場に変えてしまったのである。そうする事により、国民の「靖国神社」に対する否定的考えを薄め、払拭しようとしているのである。非常に狡猾な手法をとっているのである。
そして、将来的には、「靖国神社」の復活復権を企てているのである。
(2016年8月31日投稿)