神聖天皇主権大日本帝国政府は、戦死者を「お国のための名誉の戦死」と称し、天皇=国に対する国民の模範とし、「誉の家」と称賛したが、それは政府の冷徹な計算による政策であった。福沢諭吉は「時事新報」の論説『戦死者の大祭典を挙行すべし』(1895年)によって、この政策を支持し、国民に靖国神社に対する信仰を強固にさせるうえで大きな影響を与えた。
論説は「戦争に備えて死を恐れずに戦う兵士の精神を養うために、可能な限りの栄光を戦死者とその遺族に与えて、戦死する事が幸福であると感じさせるようにしなければならない。そのための方策として、帝国の首都東京に全国の戦死者の遺族を招待して、明治天皇自らが祭主となって死者の功績を褒め讃え、その魂を顕彰する勅語を下す事こそが、戦死者と遺族に最大の栄誉を与え、戦死する事を幸福と感じさせる事になる」と主張している。
(2024年9月12日投稿)