2018年8月9日の新聞に、小池都知事が、関東大震災における朝鮮人被害者の追悼式典に、昨年に続き今年も追悼文を送らない方針である事を伝える記事が載っていた。
追悼式は関東大震災で「朝鮮人が暴動を起こした」などとするデマによって虐殺された朝鮮人を追悼するもので、市民団体の日朝協会などが毎年開催しているものだ。
小池氏が追悼文を送らないとして主張している理由は昨年同様に「全ての犠牲者に哀悼の意を示しており、個別の形での追悼文は控える」というものである。
さて、ここには多くの問題が存在する事を見てみたい。まず、「全ての犠牲者」という言葉であるが、その「犠牲」という言葉の意味は広辞苑では「身命を捧げて他のために尽くすこと。ある目的を達成するためにそれに伴う損失を顧みないこと」としている。これによれば、小池氏は震災の「被害者」という言葉を使うべきであり「犠牲者」という言葉は適当ではない。そして、この震災では多くの震災「被害者」を生み出しただけでなく、震災の混乱の中で流された「デマ」によって日本人による朝鮮人虐殺が行われた。「虐殺」される朝鮮人「被害者」が発生したのである(朝鮮人と間違えられて殺された日本人もいた)。
関東大震災における「朝鮮人虐殺」の経緯については、2017年8月26日投稿のカテゴリー「関東大震災」の「「朝鮮人虐殺」内閣府HP、「削除ではない」と前言をごまかし本音を隠蔽し開き直る」」をご覧ください。
つまり、小池氏は、歴史的事実である虐殺による「被害者」と震災という災害の「被害者」を恣意的に強引に区別せず一括して扱っているだけでなく、その言葉が不適切である事にも構わず2種類の異なった「被害者」を「犠牲者」として「追悼」する事で事足れりとし、朝鮮人虐殺の事実に意図的に触れない事によってその事実を存在しなかったようにしようとしているのである。
小池氏は、科学的な研究成果を尊重しないだけでなく、再び同じ事を引き起こさないために、明らかになった過去の事実から都民国民とともに教訓を学び継承してきたこれまでの都知事や都行政の姿勢に価値を認めず否定する歴史認識に立つ都知事であるという事だ。そして、朝鮮人虐殺という歴史の事実を都民国民とともに再確認し継承していこうとする意思をもっていない事を表明しているのである。このような姿勢に固執し、それを都民国民に強引に押し付け続ける事によって都民国民を洗脳(マインドコントロール)し、自己に都合よく歴史を書き換え事実を隠蔽し記憶を風化させようとしているのであり、その手法は安倍自公政権と同じで、歴史修正主義者である。小池氏や安倍自公政権は、自己に都合の悪い歴史事実は検定で教科書から削除し、政府見解として改ざんした内容を「事実」として学校教育で教師に教えさせ、教師がそれ以外の内容を教える事を認めず、生徒や国民に安倍自公政権の政治政策に疑問を抱かず支持する精神風土を培おうとしているのである。国民が主権を行使する上で最も重要な権利である「知る権利」を妨害し、剥奪しようとする行為である。
(2018年8月10日投稿)