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布施辰治『鮮人騒ぎの調査』:関東大震災朝鮮人虐殺100年に再読その➀

2023-09-02 01:12:54 | 関東大震災

 関東大震災時における朝鮮人虐殺事件は、第一次世界大戦後、日本独占資本主義の確立を社会的基盤にして形成された、「日本の労働者階級を中心とする日本人民の諸階級・諸階層と、朝鮮人労働者階級を中核とする朝鮮人民との反日本帝国主義の連帯の芽生えを、摘み取ろうとして神聖天皇主権大日本帝国政府によって強行されたものである」といわれている。

 布施辰治は在日朝鮮人調査会(慰問会)の発起人、顧問として活躍し、1924年9月に『鮮人騒ぎの調査』(日本弁護士協会録事)を遺しているが、以下に紹介しよう。

「昨秋の変災中における鮮人殺害問題は、激震劫火、海嘯の襲来に惨死した、自然の罹災者よりも、人為の兇刃に斃された襲撃であっただけに真に私の心を傷ましめた悲惨事件の一大悲惨事である。それ故、私どもの自由法曹団では、9月20日第1回変災善後策総会で、「変災中における鮮人殺害の真相及び其の責任に関する件」の調査を付議し、着々その調査を進めたのであるが、どうしたものか当局官憲では、私どもに調査の便宜を与えないばかりか、却ってこれを妨害して居るような感があるので、確定的事実の調査を発表する程度に至って居らない。従って、私は今ここにいわゆる鮮人殺害問題の真相を「こう」と定めて発表する事は出来ないが、当時官憲当局の発表したいわゆる鮮人殺害問題の顚末は、あまりに杜撰で又あまりに卑怯な発表ぶりである事は、これを断言し得る。故に私どもの調査方針として居る、

⑴殺害された鮮人の幾千、⑵殺害せられたる原因如何=すなわち単に鮮人なるが故に殺害せられたるや、又は、真に不穏危険の暴行ありたるが為に殺害せられたりや、⑶殺害下手人の種類如何=すなわち軍人か警官か自警団の民衆か、⑷殺害の方法如何=すなわち殺害の止むを得ざる事情に出でたる殺害方法ありしや、又は残忍苛虐の殺害方法なりしや、⑸殺害死体の顚末如何、⑹殺害下手人の責任に関する捜査検挙処罰の実情如何の各項につき、官憲当局の発表した「鮮人殺害問題に関する顚末」を批判して、当局官憲の反省一般の参考に供し且つ当時を連想しよう。

まず第一、官憲当局の発表にかかる殺人被殺害者の数300位というのは、余りにも寡少過ぎる。私は、震災当時いわゆる鮮人殺害の罹災区域なる、東京、神奈川、千葉、埼玉、群馬1府4県に在留した鮮人の数が幾千か、変災後それらの罹災区域から退去したものと今なおその区域に残存するものの数とを除いた数が⑴悉く殺害されたものか、⑵災死したしたか或は真に行方不明となって居るものか、の問題数に属するのであるが、私どもの調査したところでは、変災区域に在留した変災当時の鮮人数は少なくも2万は下らないらしい。而して変災後或は帰国し、あるいは在留して、その所在のわかって居るものが、多くて1万2、3千を出ないらしいから、少なくも6、7千の問題数が残る事になる数字を如何ともする事ができない。最もその中には、真の災死者も、真の行方不明者も相当あるに違いないが、すでに鮮人の殺害されたのを見聞したという罹災区域数十ヶ所にわたる「彼処で何人」「此処で何人」の計数を合わせて行くと、当局官憲発表の数が一桁上る事になりはしまいかと思う。

第二は、鮮人殺害の原因であるが、その原因はすべからく遠因近因とに別けて見なければならない。そしてその遠因を与えたものは改めていうまでもない、いわゆる鮮人暴動の流言蜚語を放った、鮮人以外の誰かでなければならない、故にいわゆる鮮人殺害問題の発表としては、そうした流言蜚語に誤られたものの軽率はともかく、この流言蜚語を放ったものを突き止める事が最も肝腎な当然の注意点でなければならない。しかるに官憲当局の発表が少しもこの点の調査を突き止めていないのは、余りに不徹底である。この点は鮮人殺害問題の重大を感じて居るもののすべてが調査研究せんとしている処でありながら、どうしたわけかこれに触れ得ない感があるからなおさら面白くない。これ恐らくは、変災直後の人心恟々たるに乗じて、案外組織的な鮮人暴動襲来という妄想敵国の流言蜚語を放ったものがあった正体の暴露を虞るるが為ではあるまいか、私どもの調査は、是非ともこの点にも触れて見たいと思うて居た。

次は、鮮人殺害問題の近因であるが、官憲当局の発表によると、1、2狂暴の鮮人に暴行脅迫放火強姦等の行為があったので、多数善良の鮮人迄も誤解せられたのだというて居るが、この発表も又余りに架空過ぎる、現に震災中の鮮人犯罪として検挙されたものは、美梅模爆発物取締規則違反位のもので、他に変災中の鮮人事件はないと思う。当局の発表した狂暴鮮人の暴行脅迫、放火強姦というのは、被害者の名前もわからなければ、被告の名前もわからない流言蜚語そのままの訛伝が、死人に口なき被害者に鞭打つものではあるまいかを疑わなければならない。1、2狂暴不逞鮮人があって、不穏危険な変動に及んだとしても、それが果たして鮮人自発の犯罪であったか、又は鮮人暴動襲来の流言蜚語に挑発された犯罪であったかも考えて見なければならない。すでに栃木県下で鮮人と誤られた日大の学生でさえも、余りにひどい鮮人的虐待に憤慨し、自ら鮮人だと名乗りて殺せるなら殺して見ろ、ほんとに殺すなら俺にも覚悟があると叫んだそうである事を考えて貰いたい。いわんや、1、2の狂暴者があった為に善良な鮮人迄も誤解せられた結果の鮮人殺害ありとしても、やはりその責任が誤解せられた多数の善良な鮮人に移るわけがない。しかるに、殺害を加えられた鮮人仲間の中に悪い人間があったからだというがごとき当局の発表には、いささかの誠意をも認る事ができないのを遺憾に思う。私は鮮人殺害の遠因を与えたものが誰であろうと、又1、2狂暴な鮮人があって善良な多数の鮮人を誤らしめたものであろうと、官憲当局は、善良な多数鮮人の為に、一切の誤解を解いて、生命の保護を完了する事が官憲当局の責任である事を切言して、更に誠意ある鮮人殺害問題の真相発表を望んで止まない。  (つづく)

(2023年9月2日投稿)

 

 

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