「人のふり見て、我がふり直せ」という言葉がある。
メディアは、他国の出来事を、読者にとって単にショッキングな事や筆者の博識をひけらかす事を目的とするのではなく、日本の国の歴史に照らし、忘れてはならない過去を、今を生きる人々に思い出してもらうべき事や、後に続く世代若い世代に伝えるべき事を目的として記事を書くべきである。
2017年7月12日の天声人語に書いていた。イスラム国ISがイラクの都市モスルで目の敵にしたのが「本」であった。「不信心を促すような本は燃やす」として、中央図書館や大学図書館の蔵書はもちろん、子どもたちの教科書までいわゆる「焚書」に処した、 と。そして、ISがいかに暴力的で残虐な体質を有しているかを他人事のように伝えている。しかし、この「焚書」行為(洗脳行為)は一言でいうと、何時の時代でも行われてきた、今も行われている権力者為政者による洗脳(思想統制)行為と同じであるから、ISだけに見られる「特別」のものではない事を読者の多くは知っている。
それは、敗戦までの大日本帝国政府しかり(鬼畜米英、神国日本、天皇現人神、優秀な大和民族・大和撫子、教育勅語、絶滅対象の隔離したハンセン病患者や天皇主権国体を変革する運動など)、日本政府が手本としたナチスドイツ政府しかり(優秀なゲルマン民族、絶滅対象のユダヤ人など)、眼を他へ移せば、古代中国秦の始皇帝による「焚書坑儒」しかり、そして日本メディアは、現代中国についての報道も特にその点「思想統制」に関心をもって報じているようだ。それは、メディア自身の偏向にもよるが、もちろん安倍政権の意向を踏まえたものでもあり、日本国民が、中国に対して悪い「印象」をもち育てる効果(印象操作)を狙っての事である。報道はメディアの意図や価値観を通して再構成された内容であるという事を、読者や受け手は分かった上で利用しなければならないという事である。メディア・リテラシーを身に付けていなければならないという事である。
話を元に戻そう。ISは「焚書」処分と引き換えに、子どもたちに新しく押し付けた教材は「暴力をすり込む」ような内容であったという。例えば算数では「IS戦士が10人の敵のうち4人を殺しました。敵は何人残っていますか」などであるという。
ところで、敗戦までの神聖天皇主権の大日本帝国下の国民学校初等科(それまでの小学校、1941年4月~、義務教育)の教科書はどのような教材を使用して子どもたちを教育(洗脳)していたのだろう。驚いてはいけない。一言でいえば、ISと同じなのである。それを紹介しよう。
○「初等科算数(五)」「神武天皇が、即位の礼をお上げになった年が、紀元元年である。今年は紀元何年か。紀元千九百四十一年に、元の大軍がおしよせて来たが、わが国は、みごとにこれを撃ち破った。それから六百十三年後に、わが国は、清と戦い、また十年たって、「ロシヤ」と戦った。どちらも、わが国の大勝利であった。昭和十六年十二月八日に、米・英に対する宣戦の大詔が下された。これらの戦争のおこった年は、それぞれ紀元何年であるか」
○「初等科算数(七)」「下の表は、陸軍少年志願兵と海軍少年志願兵の体格の最下限度である。今の自分のからだとくらべよ」
○「初等科算数(八)」「飛行基地の南方五百粁の海上を、敵の艦隊が三十ノットの速さで南へ逃げて行くという知らせを、十六時二十分味方の索敵機から受けたので、わが爆撃機の編隊は直ちに基地を飛び出した。秒速十米の南風が吹いている。飛行機が敵艦隊の上空に達するのは何時ごろか。爆撃機の風のない所での速さが一時間三百三十粁であるとして計算せよ」
これはほんの一例であるが、メディアの皆さんどう思われましたか。ISの行為は日本の過去には見られない、将来も起こり得ない全く別の世界の他人事であるという思い込みに陥っていませんでしたか。その意識がこの記事に表れているようです。
(2017年7月23日投稿)