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愛媛玉串料訴訟最高裁判決とその影響

2024-03-20 18:38:44 | 宗教

 2021年4月2日、憲法の政教分離原則を巡り、最高裁大法廷の「違憲」判決を出した「愛媛玉串料訴訟」について、松山地裁がこれまで「廃棄済み」としていた訴訟記録が見つかったと発表した。地裁は重要訴訟記録扱いとして永久保存する「特別保存」の手続きを進めるという。

 最高裁大法廷が愛媛玉串料訴訟について、高松高裁判決を破棄し、愛媛県が「公費」をもってした靖国神社への玉串料支出を「憲法違反」と断じたのは1997年4月2日であった。評決は13対2であった。政教分離原則や靖国神社をテーマとした訴訟では最高裁が初めて「憲法違反」と断じたものであった。

 靖国神社は、敗戦後GHQ監視下にあったが、1952年の独立以降、毎年の春秋例大祭に際して、各県知事玉串料の献納を要請し続けていた。これに応じた知事の支出が県費(公費)であるか、ポケットマネーであるかが不明確であった。1982年、青森・山形・岩手・栃木・熊本・宮崎・山口の7県が公費からの支出である事が明らかとなり、栃木・岩手・愛媛の3県で、これを「違憲」とする住民訴訟が同時に起こされた。

 栃木訴訟は知事の死亡により一審判決前に取り下げて終了。岩手訴訟は一審住民側敗訴となったが、1991年1月10日に「違憲」判決により逆転「住民側勝訴」で終了している。

 そして愛媛訴訟は、一審松山地裁「違憲」判決、控訴審高松高裁「合憲」、最高裁「違憲」判決により住民側勝訴となったのである。

 この愛媛玉串料訴訟の「違憲」判決の影響は、滋賀献穀祭訴訟判決にあらわれた。1998年12月15日、大阪高裁は滋賀献穀祭訴訟で、大津地裁の「合憲」判決を覆し、近江八幡市が新穀献納行事に488万円の補助金支出をした事に対し「違憲」判決を出している。

 献穀祭は、皇室の神道行事である新嘗祭に献上する神聖な穀物を献上するための地方行事として、1892(明治25)年以来続けられてきたものである。皇室の神道(宗教、国家神道の核)行事の在り方が憲法に違反する状況が存在しているのである。

献穀祭については、別稿(カテゴリー「大嘗祭」)の中の「大嘗祭は皇室神道の宗教儀式:政府・自治体などの公務員が関わる事は憲法が禁止する政教分離原則を蹂躙する非合法行為」を参照ください。

(2021年4月3日投稿)

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長野県知事は時代錯誤、神聖天皇主権大日本帝国下官僚の価値観

2024-03-20 18:18:06 | 憲法

 阿部守一長野県知事が護国神社(松本市)の崇敬者会の会長になり、同神社の鳥居再建のための寄付を募る呼びかけ人として、それも宮司に次いで崇敬者総代として名を載せているため、これらの行為が憲法に定める「政教分離の原則」に違反するのではないかと問題となっている。

 県知事は「私人」として活動であるとか、「宗教活動をしている人は公職に就いてはいけないのか」「行政機関としての県や知事の活動とは一線を画しており、憲法に違反するものではない」などと述べている。

 「政教分離原則」については、憲法第20条には「信教の自由は何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」、同条3項には「国及びその機関は、宗教教育その他のいかなる宗教的活動もしてはならない」と定めているが、阿部県知事の行為はこれに抵触するものと考えてよい。

 阿部県知事の行為の基礎となっている認識は、神聖天皇主権大日本帝国政府国体としていた「国家神道体制」の下での県知事(政府が官僚から任命)の役職認識を深く帯びているものであると考えられる。護国神社とは、政府が靖国神社の地方分社として整備した各地の招魂社を1939年3月に護国神社と改称し、道府県あたり各1社を(内務大臣)指定護国神社としたものであり、府県社に準じた。それら護国神社は神聖天皇主権大日本帝国が崩壊した敗戦後も、国体継承の意志をもつ自民党系の為政者の意志により、国家神道を廃止する「政教分離原則」を現憲法に定める一方、靖国神社を頂点としたその分社としてそのまま遺されたのである。長野県護国神社はその一つである。また、神社の「崇敬者」は、帝国政府成立後「信徒」と呼ばれていたが、他の宗教の信者と紛らわしいとの理由で、1908年3月、法律第23号により、「信徒」を廃して「崇敬者」と呼ぶようにしたが、一般的には「崇敬者」を「氏子」と称するようになった。

 帝国政府内務省は明治末年から、地方制度を強化する一環として「氏子組織」を重視した。この神社中心主義は、神社を市町村ないし氏子組織の公共活動、産業、教育、思想の中心に置こうとするものであり、大正期には氏子組織の整備が全国的に進められた。氏子組織では氏子(崇敬者)総代を選出したが、府県社以下の神社では、農村や都市の経済力のある有力者が選出され、氏子総代は神職の人事に推薦の形で関係するなど、神社を翼賛する意味での関与を認められていた神社の活動を助けるとともに、神社の維持経営に経済的に尽力し、神徳の宣揚に努めるものとされた。また、神社の権威を背景に、氏子の思想統制と善導の役割を果たした。阿部長野県知事はこのような認識を強く有していると考えて良い。

 阿部県知事が「崇敬者」だという事は県護国神社の氏子である事を意味している。その上さらに「崇敬者会」の「会長」に就任したという事は、現在も健在な「国家神道体制」の「氏子総代」「崇敬者総代」に就任したという事であり、県知事としてその地位に就く事や寄付の呼びかけ人の代表を務めるという事は、現憲法の「政教分離原則」にあえて背く行為とみなすべきであり、それゆえ現憲法下の知事として不適格であり、辞めさせるべきである。

 現憲法の「政教分離原則」がなぜ定められたのかについて、明確な説明をしているのが、津地鎮祭訴訟控訴審判決(名古屋高裁)である。それは「我が国において政教分離の原則を正しく理解するためには、戦前戦中における神社神道と国家権力との結合がもたらした種々の弊害との関連で、これが憲法上明文化された事を想起しなければならない。…明治4(1871)年教部省はいわゆる三条教憲をもって、天皇崇拝と神社信仰を主軸とする近代天皇制の宗教的政治的思想の基本を示し国民を神道教化した。そして、同年政府は社格制度を確立して神社を系列化し、伊勢神宮を別として、官国弊社、府県社、郷社、村社及び無格社の五段階に定め、中央集権的に神社を再構成し、神社には公法人の地位を、神職には官公吏の地位を与えて他の宗教には認めない特権的地位を認めた」「戦前の国家神道の下における特殊な宗教事情に対する反省が、日本国憲法20条の政教分離主義の制定を自発的かつ積極的に支持する原因になっていると考えるべきであり、我が国における政教分離原則の特質は、まさに戦前、戦中の国家神道による思想的支配を憲法によって完全に払拭する事により、信教の自由を確立、保障した点にある」「過去の歴史において、…政治と宗教が対決した場面は枚挙にいとまがない。近くは先に述べたとおり、戦前における国家神道の下で、信教の自由が極度に侵害された歴史的事実を顧みると、信教の自由(無信仰の自由を含む)を完全に保障するために、政教分離がいかに重要であるか自ずから明らかである」「本件において、津市が地鎮祭を神社神道式で行ったところ、取り立てて非難したり、重大視するほどの問題でないとする考え方は、右に述べたような人権の本質、政教分離の憲法原則を理解しないものというべきである政教分離に対する軽微な侵害が、やがては思想・良心・信仰といった精神的自由に対する重大な侵害になる事を怖れなければならない」というものであり、原告住民側勝訴「違憲」。

 最高裁では、多数意見(10名)が「目的効果基準」を発明し、津市の地鎮祭主催と供物料支出を合憲としたが、その歴史認識は物足りないが「もとより、国家と宗教との関係には、それぞれの国の歴史的・社会的条件によって異なるものがある。我が国では、過去において、大日本帝国憲法に信教の自由を保障する規定(28条)を設けていたものの、その保障は『安寧秩序を妨げず、及び臣民たるの義務に背かざる限りに於て』という同条自体の制限を伴っていたばかりでなく、国家神道に対し事実上国教的な地位が与えられ、時として、それに対する信仰が要請され、あるいは一部の宗教団体に対し厳しい迫害が加えられた等の事もあって、旧憲法のもとにおける信教の自由の保障は不完全なものである事を免れなかった。……昭和21年11月3日公布された憲法は、明治維新以降国家と神道とが密接に結びつき前記のような種々の弊害を生じた事に鑑み、新たに信教の自由を無条件に保障する事とし、さらにその保障を一層確実なものとするため政教分離規定を設けるに至ったのである」としている。

 安倍守一長野県知事の行為主張は、この「政教分離原則」に対するあからさまな挑戦以外の何ものでもない

 ※1997年4月2日、愛媛県玉串料訴訟最高裁判決は、愛媛県が公費で靖国神社への玉串料支出に対して、「憲法違反」の判決を出した。

(2020年2月2日投稿)

 

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安倍首相の真珠湾演説:日米政府正当化、喧嘩両成敗で水に流す、政府のため命を賭け戦う精神称賛

2024-03-19 00:04:32 | 戦争遺跡

 安倍首相の真珠湾訪問演説は安倍政権と米国オバマ大統領による日米両政府による今後の世界戦略の意味を、特に日本国民に対してアピールする事を目的としたものである。両者による世界の覇権と経済の主導権を掌握する事の意味と正当性をアピールするものである。

 太平洋戦争の戦端となったのは日本政府による米国ハワイ準州オアフ島真珠湾(これより先に英領マレー半島コタバル)への「奇襲攻撃(上陸)」であるが、この奇襲攻撃(上陸)は当時の日本国民にとっても「寝耳に水」の事であり、突然の「奇襲行為」であったが、今回の安倍首相らによる真珠湾訪問演説も「日本国民にとっては奇襲攻撃」であった。この2度の決定は、国会において議論や決定や承認されたものではなく、国民の意志に基づいたものであったとは決して言えないものである。

 安倍首相は「演説」で「日本国民を代表して」と言っているが、これは事実ではなく彼の自分勝手で独善的な表現であり、国民にとっては強引な「押しつけ」行為であり、非常に憤慨せざるを得ない許せない事である。

 安倍首相の、真珠湾訪問やその「演説」内容は、「日米和解」の「アピール」を目的としているというが、その実態は「真の和解」(国民レベルの和解)ではなく両国政府にとって政治的に都合よく計算されたものであり、オバマ大統領との合意の上(政府間レベルの合意)で、太平洋戦争(特に真珠湾奇襲攻撃について)に対して、「大日本帝国政府が加害者(歴史的事実であるが)であると認める表現をせず(安倍自公政権は本音では米国が加害者であると認識している)」、また、都市無差別爆撃(空襲)や特に原子爆弾投下について「米国政府の責任を追及する主張もせず」、その結果、「日米どちらの側の政府の主張も明らかにしない」表現で「両国政府の行為を共に正当化する」という曖昧な「喧嘩両成敗」で表現し、今後追及をしない「水に流す」という処理を狙ったものである。このような「和解」手法は、これまでの歴史研究の成果と今後の歴史研究を否定し、「歴史の書き変え」(歴史修正主義)に至る危険性を孕んでいる点で認める事はできない。真実を知る事によって教訓を得、政治の主権を行使する国民にとっては認めがたい。このような「曖昧」な表現をとった大きな理由として考えられるのは、昭和天皇の英米国に対する「開戦の詔勅」(侵略戦争ではなく東洋新秩序・永久平和確立、自存自衛のため聖戦)を否定する事は都合が悪いからである。天皇制はこのようなところにも影響を与えているのである。

 さらに「演説」で重要な点は、両国政府の「軍人の行為」を「国のために戦った軍人」として「敬意を表」し「称える」という形で「美化」「創作」し、「政府のために命を賭けて戦う」事が国民にとって崇高な精神であると日米両国民(特に日本国民)に訴える内容であった事である

 その事は、「亡くなった軍人たち」「祖国を守る崇高な任務」「兵士たちが、あの日、爆撃が戦艦アリゾナを二つに切り裂いたとき、紅蓮の炎の中で死んでいった」「兵士たちが眠っています」「すべての思いが断たれてしまった。その厳粛な事実」「その御霊よ安らかなれ」「この地で命を落とした人々の御霊に、ここから始まった戦いが奪ったすべての勇者たちの命に、戦争の犠牲となった無辜の民の魂に、哀悼の誠を捧げます」「飯田房太中佐です。……死者の勇気を称え、石碑を建ててくれた。碑には、祖国のため命を捧げた軍人への敬意を込め」「勇者は、勇者を敬う」「戦い合った敵であっても、敬意を表する。憎しみ合った敵であっても理解しようとする」などという表現に表れている。

 また、「戦争の惨禍は二度と繰り返してはならない」と誓ったとしているが、その基礎には「人権尊重」こそが重要であるにもかかわらず、その言葉にまったく触れていないところに「欺瞞」である事をうかがわせる。つまり、「戦争は最大の人権侵害であるからだ」。そして、それとは正反対に、歴史の事実に反した「大うそ」を放言している。それは、「戦後、自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを貫いてまいりました。戦後70年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たち日本人は静かな誇りを感じながら、この不動の方針をこれからも貫いてまいります」という表現である。日本の政府(自民党)は日本国民の民主主義や人権を抑圧しながら(特に沖縄県に対しては強く、戦後の主権回復の際には、天皇の意思によって日本国から切り捨て米国に施政権を貸し与えた。施政権返還後も内国植民地として差別扱いを続けている)、アメリカ政府によるアジア各国の人々の人権を侵害する介入戦争(例えば朝鮮戦争、ヴェトナム戦争)に加担(反共の防波堤として米国政府の戦争に協力する事)してきたというのが事実であるからである。「不戦の誓い」を貫いてきたとか、「平和国家として歩んできた」とか、日本政府安倍自公政府が「誇り」を感じると主張する事は「傲慢」な態度そのものである。さらに、それを「不動の方針」と主張しながら、大日本帝国憲法への回帰をめざす「憲法改悪」を進めたり、2018年に実施しようとしている記念施策「明治150年」が「明治の精神に学び、更に飛躍する国へ」としている事を見れば、「演説」がいかに矛盾しており、「大うそ」に満ちたものであるかがわかる。

 そして、「演説」は、日米安保同盟を新たに「希望の同盟」と表現した。そして、それは「寛容の心」によってもたらしたとしているが、実態はそのようなものではなく、両者それぞれの極めて世界経済戦略上の「打算的な心」によってもたらされたものである。それを安倍自公政府は米国政府との間で、「寛容」という感覚的な言葉を用いて日本国民はもちろん世界の政府と国民を欺き「和解」を「演出」し、「寛容」による「和解」の重要性を「建前」として、米国政府と共に世界に向かって訴える事が任務であるとして、日本の自衛隊(国防軍に改編するであろう)が米国軍隊と「運命を共にする事」を日本国民に納得させるための儀式でもあったのである。また、日本が戦争経済へ向かう事を日本国民に納得させるための儀式でもあったのである。

 「演説」では、日米安保同盟は「今までにもまして、世界を覆う幾多の困難にともに立ち向かう同盟」「寛容の心、和解の心を世界は今、今こそ必要としています。……共通の価値のもと、友情と信頼を育てた日米は、今、今こそ寛容の大切さと和解の力を世界に向かって訴え続けていく任務を帯びています」としている。

 「自民党憲法改正草案」では第2章は「安全保障」とし第9条2を新設し「国防軍」としている。Q&Aには「国家で軍隊を保持していないのは日本だけであり、独立国家がその独立と平和を保ち、国民の安全を確保するため軍隊を保有する事は現代の世界では常識です」としている。9条2第3項には、「国防軍は、……法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動……を行う事ができる」としているが、今回の真珠湾訪問演説はその先取りである。

 安倍自公政権は、国民に対しては「寛容」ではない。なぜなら、「寛容」とは「人権尊重」の精神に基づいていなければ「本物」であるとはいえないからである。安倍政権は、首相を先頭にすべての閣僚に、益々「人権」を軽視否定する言動政策が顕著となっている。安倍内閣閣僚は今までになく、国民を騙して目的を達成するという体質(詐欺体質)を一様に強く持っている。彼らの本音は、民主主義や人権こそ大切で守り発展させなければならないものと考える国民意識とはかけ離れたものだといえよう。つまり、安倍首相の「演説」の言葉を疑いもせず「言葉通り」にそのまま受け取れば騙されてしまうという事である。

(2017年1月4日投稿)

 

 

 

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生前譲位の「お言葉」に潜む「国家神道」:地域の「共同体」を支える人々がいる事を認識し「祈る務め」なし得た。

2024-03-14 15:45:30 | 生前譲位

 天皇制の存続は、国民に奴隷根性を培い、国民自ら愚民化を深める。

 生前譲位の「お言葉」のなかに、「象徴的行為としての全国に及ぶ旅は、どこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井の人々のある事を私に認識させ、この認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務め、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得た」という文言がある。

 まず、おさえておかなければならない事は、「全国に及ぶ旅」を「象徴的行為」として行ってきたのは、天皇の意思によってであるという事。そして、それは「国事行為」に規定されたものではなく、憲法に定められていないものであり、「政治的行為」であるという事であり、厳密に考えれば「憲法違反」の行為である。これまで国会で問題となった事であるがそれを無視して行ってきたという事である。

 さて本題に入りますが、上記文言の中に「地域を愛し、その共同体を支える人々がいる事を認識した」とあるが、この文言は庶民には違和感を感じさせた。このような表現は今日ほとんど耳にしない目にしない文言であるからだ。非常に特殊な意味を持っていると考えられる。

 そして、到達した結論は、敗戦までの大日本帝国の「国体」であり、大日本帝国憲法教育勅語に具体化された国教であった「国家神道」の思想に基づく国民観だという事なのである。現行天皇にはここにも「国家神道」を脈々と継承し息づいている事がわかるのである。そして、その「国家神道」に基づく国民観を継承する国民が全国津々浦々に存在するという事を言っているのである。

 なぜ、そのように考えられるか。

 国家神道の祭祀は、宗教儀礼の一種であったが、それは民族宗教の儀礼が持つ機能を意図的に復活したという特徴を持っていた。

 宗教儀礼は一般的に、祭司などの儀礼執行者を中心として、参加者全員により、一定の形式に従って営まれる。その形式は、儀礼の意味と目的を様式化して示したもので、その動作を通して、参加した者全員は共通する一つの意志を表明し、この意志を互いに確認し合う事になるのである。

 定型化された宗教儀礼は、国民にとって結合の再確認と意志統一の場としての政治的機能を持つ事になるのである。民族宗教での儀礼では、この結合と統一がそのまま社会集団全体の日常生活における結合と統一を意味した。

 国家神道の祭祀は、このような民族宗教の儀礼の機能を、近代社会において再現したものであった。そして、その目的は、天皇の政治上宗教上の絶対的な権威を主張する国体の教義を、定型化された行動で示し、この儀礼に全国民を強制的に参加させる事によって国体の教義に基づく「共同体」的な結合と統一を確保する事にあったのである。

 そして、現行天皇は、国内のどこにおいても、そのような「共同体」が存在している事を認識し、その「結合と統一」を認識したと言ってるのである。しかし、その認識は極めて手前勝手な自分本位の自己に都合のよい偏ったものといえる。なぜなら、それは「思い込み」や「決めつけ」と「国家神道」復活を待望する人々との関わりだけで得た認識でしかないからである。

 しかし、現行天皇は、このような「国家神道」に基づいた思想で、「その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした」と言っているのである。これが現行天皇や皇室の本質なのである。

 そして、彼らは、傲慢にも規定にない「生前譲位」や「天皇制の永久化」など、極めて「私利私欲に基づいた欲望」を国民に認めさせようとしているのである。つまり、彼ら天皇家の「地位と名誉と財産」を守る事だけを目的としているとしか思えないのである。

 天皇や皇室がこの思想状況に執着する姿勢は、「民主主義」や「人権尊重」の思想を大切にしたい国民とは正反対の側に立つ事を意味するのであり、天皇制の存続は日本国民の思想的混乱を深化させ、社会的混乱を広げ、国民を愚民化し続けるだけで、それを食い止めるためには天皇制廃止は仕方がない事であろう。

(2016年8月20日投稿)

 

 

 

 

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生前退位は天皇と安倍政権の謀略、自民党の「皇室典範と特例法は一体」の附則明記の狙いを暴く

2024-03-14 15:36:35 | 生前譲位

 生前退位の法的根拠をつくるために、現行皇室典範条文の改定に反対し、一代限りの特例法の制定で実現させたい自民党が、皇室典範条文の改訂によるべきとする民進党の歩み寄りを狙って、皇室典範の附則に、特例法と皇室典範が「一体」である事を示す規定を明記する事を提案したのはなぜか、又なぜそんなに成立を急ぐのか、また自民党がなぜ「一代限りの特例法」にこだわるのかを改めて考える必要があるのではないか。

 まず、少なくとも国内最高水準の健康管理体制や医療体制を有する天皇は、現状からみて国民の多くが心配するほど早く危篤状態になり死ぬとは思えない。それこそ神のみぞ知るといってよい状況である。しかしそれを、政治家、特に自民党が先頭に立って、そして、国民の多くが「お言葉」を深刻に受け止めて必要以上に大騒ぎし大慌てしているように思える。

 上記のような健康管理、医療体制にありながら、天皇自身が近い将来に重病に陥ったり死ぬかもしれないという危惧から「お言葉」発表をしたとすれば、天皇は何を危惧しているのか。「お言葉」によれば、高齢化に伴う公務遂行の困難や、危篤状態に陥る事、葬儀と即位の行事などに関してである事を述べており、一見、国民として頷かされるが、なぜこの時期に発表が行われたのだろう。そこには明確な理由があったと考えられる。「お言葉」では明確にしていないけれど、この生前退位の「お言葉」発表の真の理由は2020年開催のオリンピックにあると考えられる。天皇にとってオリンピック終了までの間に、上記の危惧が現実化する可能性があるかもしれない事を危惧したものとみられ、それを回避するためには生前退位し、皇太子に譲位した方が、オリンピックをつつがなく実施終了できるのではないかと考えたとみるべきであろう。とすれば、この「お言葉」発表は天皇(家)の意思もあるだろうがそれだけではなくそれ以上に、安倍自民党政権(行政)の強い要請がその背景にあるとみるのが自然であり、極めて巧妙に政治的に仕組まれた「お言葉」発表であり内容であったといえる。つまり、国民は天皇と安倍政権の謀略にまんまと引っかかったという事で、まだそれに気がついていないという事である。

 そして、そのような狙いをもって現在、安倍自民党政権は、今後の新たな天皇についてもこれまで以上に政治利用していくために、この機会に安倍自民党政権にとって都合の良い生前退位の法的根拠を作り上げようとしているのである。その法的根拠が、現行の典範内容をそのまま残した上で、皇室典範の附則として、「典範と一体である」と規定した一代限りの特例法」を制定する事なのである。その手法には計算されたいくつかの狙いがあるのである。

 それは、安倍自民党政権にとって都合の良い典範改訂手続きの先例をつくろうとしているという事である。

 そもそも皇室典範は最高法規である憲法の他の条文と同等の拘束力をもつものと認識すべきである。だからその改訂においては、憲法改正と同じ手続き(衆参各議院の総議員の3分の2以上の賛成で発議し、国民投票で過半数の賛成)を経なければならないが、そのようにせず、皇室典範を単なる一般法として位置づける既成事実(先例)をつくろうとしているのである。また、本来条文を改訂すべきであるがそのようにせず、附則で「典範と一体である」として改訂するという先例をつくろうとしているのである。 

 このような改訂手法は法改訂のルールを崩壊させるものであり許してはならない。しかし、安倍自民党政権はこの手法で典範改訂を押し切ろうとしているのである。国の形を決める皇室典範の改訂を、主権者である国民を全く除外して行う先例を作る事や法律などの改訂においても自由自在に行えるようにする事を狙ったものなのである。もし、この改訂手法が国会で、また国民から問題視されなければ、安倍自民党政権は今後、あらゆる一般法においても使用するつもりなのである。

 なぜ附則による改訂手法を使うのか。それは、皇室典範の外の条文の改訂に検討が及ぶ事を避け、そのまま存続させる事ができるからである。現行条文を改訂しない事によって、典範第1条の「男系男子による天皇の継承」、安倍自民党政権が死守したい「万世一系の天皇」を今後も守り続ける事ができるからである。また、第4条「即位」にある「天皇が崩御すれば直ちに即位する」というこれまでの規定などを存続させ生かす事ができるからである。

 そうする事により、(今まで通り天皇の死亡により新天皇が即位するという形と、天皇の生前退位により新天皇が即位するという、天皇の交代が二通りとなるわけであるが、)基本的には現行の典範内容を生かしつつ、時には附則の「特例法」を生かす(皇室会議も自民党政権の翼賛組織である)という形で、天皇の地位を不安定にし(自民党政権の翼賛組織である皇室会議により、自民党政権に都合の悪い天皇を「特例法」に適う理由をつけて退位させることができる)、自民党政権の天皇に対する統制(行政権)を強化し、天皇の退位即位を、自民党政権が存続する限り(現在の国会での情況が続く限り)、自由自在に行える道をつける事ができるからである。換言すれば、天皇の退位即位を自民党政権が続く限り自民党の意のままに行い、天皇を意のままに利用する道をつける事ができるからである。 

 安倍自民党政権が、「典範と一体である」と規定する「一代限りの特例法」の制定にこだわるのは、憲法第1条を含めて、天皇の地位に関する国民主権の原則を形骸化させ、行政権を牛耳る自民党の思うままできるようにするためである。

(2017年3月16日投稿)

  

 

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