敗戦後の7年間、日本は簡単に言えば米国によって占領されていた。占領軍のトップはマッカーサーであった。彼が米国へ帰国した後、1951年5月6日に、米国上院の外交軍事合同委員会が彼を呼んで、極東戦略や外交戦略について質疑をした際に、彼が発した言葉の中に「日本人は12歳である」という言葉があった。それは「大変無邪気である」という意味であった。
その言葉は、「日本とドイツの違いはどこにあるのか」と聞かれた事に対して答えた言葉の中にあったもので、「科学、美術、宗教、文化などのあらゆる発展の面からみて、アングロサクソンは45歳の壮年期にあり、ドイツ人はそれとほぼ同年輩である。しかし、日本人はまだ生徒の時代で、12歳の少年である」というものであった。その意味は「大変無邪気である」というものである。
敗戦直後の日本人の精神年齢を示す参考資料として、1948年7月20日に公布された「国民の祝日に関する法律」を制定する際に実施された世論調査を紹介しよう。そこに当時の日本人の精神年齢をうかがわせるものがあると思われる。( )内は希望%。
第1位新年(99.1)、第2位天皇誕生日(86.7)、第3位お盆(80.1)、第4位平和記念日(72.0)、第5位建国記念日(71.3)、第6位春分(66.5)、第7位秋分(66.3)、第8位新穀感謝の日(64.0)、第9位国のために亡くなった人を記念する日(59.8)、第10位クリスマス(56.1)
以下は50%を割っている。第11位ひな祭り、第12位新憲法施行の日、第13位新憲法公布の日、第14位明治時代を記念する日、第15位端午の節句、第16位母に感謝する日、第17位メーデー、第18位節分、第19位花祭、20位婦人の日となっている。
決定に際しては、占領軍の意向が入り、軍国主義や国家神道に関係するものは否定され、第5位は紀元節の復活のため、第4位、第9位は敗戦の暗さが思い出されるという事で不採用。第3位と第10位は、特定の宗教上の行事という事で不採用。ベスト10位のうち1、2、6、7、8位だけが採用された。
そして、第12位と第13位の新憲法の記念日と、第14位が文化の日と改称して採用。第11位と第15位は統合して「こどもの日」とされた。ほかに世論調査のテーマに入っていなかった「成人の日」が加えられた。
結局、この時点で9日の祝日が決定されたが、それは、元日、成人の日、春分の日、天皇誕生日、憲法記念日、子どもの日、秋分の日、文化の日、勤労感謝の日などであり、そのうち、春分の日(春季皇霊祭)、天皇誕生日(天長節)、秋分の日(秋季皇霊祭)、文化の日(明治節)、勤労感謝の日(新嘗祭)の5日については敗戦までの名称(カッコ内)を改めただけであった。
さて、その後、日本人は精神年齢をどれほど成長させていく事ができたのであろうか。
1966年には建国記念の日制定(第1次佐藤内閣)、2007年には昭和の日制定(安倍内閣)。
今日の日本人の精神年齢は何歳まで成長しているのであろうか。精神年齢を成長させるという事は、換言すれば、精神文化を育ててこれたのだろうかという事であるが。
(2016年9月13日投稿)