2020年1月元旦の新聞が、長崎原爆資料館が昨年4月10日から発信している「被爆から75年 長崎からのメッセージ」に関する記事を掲載した。それは、
「核兵器、環境問題、新型コロナウイルス……
世界規模の問題に立ち向かう時に必要なこと
その根っこは、同じだと思います。
自分が当事者だと自覚すること。
人を思いやること。結末を想像すること。
そして行動に移すこと。
被爆75周年の今年、
さぁ、一歩を踏み出しましょう!」
というものである。
ところで、重光葵(1887~1957)も同じような言葉を遺している。重光は、1943年に東条英機内閣の外相、小磯・米内内閣の外相兼大東亜相。敗戦直後の東久邇宮内閣時も外相を務め、9月2日には神聖天皇主権大日本帝国政府代表(全権)として日本降伏文書に調印。極東国際軍事裁判(東京裁判)ではA級戦犯として禁固7年の判決を受けた人物である。
『重光葵著作集』第1巻に、「日本人は、政治を見ること、恰も芝居を見るが如く、観賞はしても、自分自身が役者の一人であり、自ら舞台の上にあることを悟っていない」とあるが、今日の主権者国民は、彼の頭を巡ったこの言葉を乗り越える事ができるのだろうか?
(2020年1月3日投稿)