私がスポーツ観戦をしたのは、実に四半世紀前の、ラグビーの試合でした。それ以降、生で試合を見るのは、野球もサッカーもありませんでした。多分、見に行けばとても面白いでしょうけれど、もともと余り目がよくないのでテレビで見たほうがよくわかるし、あの異常な熱狂に入り込むのが恐ろしいと思うのです。
先日のバーレーン戦は、バーレーンの国民自体があまり応援していなかったようで、試合後も日本人にとても友好的だったとか。それはそれで、とてもいい国民だと思ってしまいます。サッカーの試合で負けたからって、相手の選手やサポーターに危害を加えるなんて、最悪ですよね。スポーツマンシップって何だ??と思います。それが、北朝鮮や中国であったのですから・・。日本の対イラン戦の時も怖かったですよね。
そこまでして現地に行く勇気は、素晴らしい・・。
一体感というのは、とても気持ちがいいことでしょう。わからないでもありません。ステージの上で演奏するとき、そういう快感を感じるときもしばしば。
でも、私は余りに個人主義なので、そういうことに、怖さを感じてしまうんです。多分、戦争とは国民が皆そう仕向けられてしまう状態だと思うのです。熱狂して相手を非難し迫害する。これって、とても怖いことです。いまも世界のどこかで必ず起きているでしょう。
ラグビーが好きだったのは、ノーサイドとか、One for All, All for one といった精神だからだと思います。
もちろんサッカーも好きです。できれば、味の素スタジアムに行ってみたいと思いますが、どこかで一体感を感じられない自分がいるような気がして。
でも、前のワールドカップのとき、私はちょうど、イタリアに遊びに行っていました。夫は留守中、試合も見ないなんて言っていたくせに、スポーツ嫌いの夫はかなり夢中になっていたようで、ロシア戦の試合中に帰ってきた私に、最寄の駅までも迎えに来てはくれませんでした。レンタルスーツケースをごろごろ引いて、高齢化も進んでまるで眠った町だなーと思いつつとぼとぼ歩いていたら、閑静な住宅地に時々湧き上がる歓声、それはみな、家でテレビ観戦していたからでした。
そういえば、キャンティの小さな村でも、広場に家のテレビを持ち出して、みんなで見ていましたっけ。いいですね、その光景は。
ついつい、スポーツとナショナリズムについて考えてしまう私でした。
先日のバーレーン戦は、バーレーンの国民自体があまり応援していなかったようで、試合後も日本人にとても友好的だったとか。それはそれで、とてもいい国民だと思ってしまいます。サッカーの試合で負けたからって、相手の選手やサポーターに危害を加えるなんて、最悪ですよね。スポーツマンシップって何だ??と思います。それが、北朝鮮や中国であったのですから・・。日本の対イラン戦の時も怖かったですよね。
そこまでして現地に行く勇気は、素晴らしい・・。
一体感というのは、とても気持ちがいいことでしょう。わからないでもありません。ステージの上で演奏するとき、そういう快感を感じるときもしばしば。
でも、私は余りに個人主義なので、そういうことに、怖さを感じてしまうんです。多分、戦争とは国民が皆そう仕向けられてしまう状態だと思うのです。熱狂して相手を非難し迫害する。これって、とても怖いことです。いまも世界のどこかで必ず起きているでしょう。
ラグビーが好きだったのは、ノーサイドとか、One for All, All for one といった精神だからだと思います。
もちろんサッカーも好きです。できれば、味の素スタジアムに行ってみたいと思いますが、どこかで一体感を感じられない自分がいるような気がして。
でも、前のワールドカップのとき、私はちょうど、イタリアに遊びに行っていました。夫は留守中、試合も見ないなんて言っていたくせに、スポーツ嫌いの夫はかなり夢中になっていたようで、ロシア戦の試合中に帰ってきた私に、最寄の駅までも迎えに来てはくれませんでした。レンタルスーツケースをごろごろ引いて、高齢化も進んでまるで眠った町だなーと思いつつとぼとぼ歩いていたら、閑静な住宅地に時々湧き上がる歓声、それはみな、家でテレビ観戦していたからでした。
そういえば、キャンティの小さな村でも、広場に家のテレビを持ち出して、みんなで見ていましたっけ。いいですね、その光景は。
ついつい、スポーツとナショナリズムについて考えてしまう私でした。