ハッチがいた日常

夫は病死、仕事も辞めて被災猫ハッチと暮らしたけれど、10年で終わってしまった。これからは本当の一人暮らしの日々。

ついに乳団子に出会う

2005年10月21日 15時13分27秒 | 食に関して
 広島に行き、遂に、念願の「乳団子」に出会いました。まず、広島空港から市内のバスセンターに着き、その同じ場所のSOGOの地下にあるとのこと、さっそく探してみました。広島銘菓の売り場に、やっと「乳団子」がありましたが、置いてあったのはたった一箱。もちろん、慌てて買いました。そして、宿でじっくりあけて、お茶で食べてみたら、大人しい味でちょっと地味ですが、あとからお乳の味が広がりました。懐かしいですね、25年以上前に味わったんですから。よし、明日も絶対に買おうと誓い、翌日、同じSOGOの地下にいくと、昨日とは打って変わって、けっこう積んであったんです。それも、箱は25個入り、ほかに10個入りの小さなパックもあったのです。何でも、この銘菓が生まれたのは、明治33年に七塚原高原に農商務省直営の種蓄牧場が設立され、その牛乳を主原料に滋養に富む菓子をと永年考えてきて、昭和9年に発売されたのがこの「乳団子」。歴史が古いんですよー。この菓子は水を一滴も使わず牛乳をベースに餅粉、砂糖、水あめ、はちみつなどを混合したものだそうです。和泉光和堂という老舗の銘菓、私はとても気に入っています。ぜひ、全国的に売れてほしいです。
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原爆ドーム

2005年10月21日 14時48分19秒 | 社会

 おとといと昨日、たった1泊でしたが、飛行機の往復で生まれて初めて広島に行って来ました。今年は戦後60年の節目、どうしても今年中に、あの世界遺産の原爆ドームを見たかったのです。
 広島に着いたのは夕方、それも、空港からまた市街地へはリムジンバスで1時間ほど。ホテルに着いたのが夕食時でしたので、その日は食事に出掛けるだけで、他のところを見学する時間がありませんでした。
 翌日、早めに目覚めたので、朝食前に散歩に出掛けました。私が宿泊したのは、サンホテル広島。合同庁舎の横にあるので、ビジネスマン向きでしょうか。その日は、学会の関係者が大勢泊っていたとのことですが、どんな学会だったのでしょうか?
 格安航空券にセットでついているホテルですが、コンパクトな中に、きちんとサービスも充実していて、よかったと思います。また利用したいですね。
 ホテルには、市内の地図が置いてあり、ホテルの場所がラインマーカーでわかりやすくなっていました。迷子になっても安心?その地図をたよりに、とことこと朝の街を歩きました。広島は、道路が広くて、チンチン電車が走っているのがとても珍しくて面白いのです。3両くらい繋がっている大きな電車もありました。その、いろんな種類の電車を見るだけでも楽しいのですが、原爆ドームのあるところへも、徒歩でいかれました。徐々に、木の茂みからその姿が見えたときは、感動しました。そして、周りをぐるっと歩き、瓦礫のようなあのドームを観察しました。この、原爆の被害を受けた建物を、後世のために(懺悔として)残し、いま「世界遺産」としてあることの意味を考えました。周りの街の風景がモダンであるからこそ、そのギャップに呆然としてしまいます。でも、この世界遺産は、世界遺産として選ばれた意味がとてつもなく大きなものだと思いました。人間への教訓として、永遠に人の良心へ語りかけていく存在なんだと思います。悲しみの遺産です。
 朝食後、再び同じ場所に行き、資料館を見学しました。大勢の修学旅行の生徒たちが強制的に見に来ていましたが、何か大切な思いを感じてくれればいいと思うのですが、おおかたはどうでもなさそうな、想像力のない反応でした。集団で見るというのは、あまり意味がないのでは、と思いましたね。それより、たった一人で見て一人で考えることのほうがどれだけ学習できるかわかりません。まるで関係ない世界と思っているだろう彼らの未来が明るくないことくらい、もうちょっとわかれと思いますが、私は彼らより先にこの世から消えますから、どうか、自分をしっかり持って成長してもらいたいものです。
 核廃絶の道が途方もなく困難であること、でも、一人一人がそれを望んで意志を表すことが大切なんだと思います。戦争放棄、核廃絶、平和への願いをもっともっと大きくして、少しでも紛争のない世界になってほしいです。自分の命と同じだけ、人の命も尊く、誰もが生きる権利がある、その権利を踏みにじられるのが戦争であり、国家の横暴。憲法9条と24条、絶対に変えてはいけないと思います。
 今回の旅行で、もう1箇所、見学したのが、頼山陽史跡資料館です。実は、私の名前の由来が、この頼山陽にあるのです。父に聞いたら、才色兼備の頼山陽の妻、「梨影(りえ)」から音をもらったとのこと。残念ながら、父の思惑通りに才色兼備には成長しませんでしたが、このハイカラな響きの名前は、ありがたいと思っていましたので、江戸時代の女性の名前だとは意外で、確かめたかったのです。たしかに、妻の梨影の名前を確認できました。ある種、自分探しの旅だったようでした。

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