インターネットで、昔あこがれていた人の名前を検索したことがありますか?ネットを始めたころ、小学校の同級生とか、中学時代親友と争った男の子とか、調べたことがありました。顔写真まで載っていないし、載っていたとしても小学生を50代近くまで想像してふけさせることなんかできませんものね。でも、同姓同名でも、出てきたら、けっこう楽しめるものです。
先日、大学時代に通っていた別の学校であこがれていた人の名前をふと、検索してみたら、郷里の学校の同窓会の書き込みなどが出ていて、どうも本人のようだったのです。そして、同窓会の準備をしている彼を見たお嬢さんが「親父、青春してるね」なんて言ったとか・・・。
ああ、そうか、50代目前の世代は大学生や社会人くらいの子供がいて、当然ですものね。彼も、娘を持つ親父なんだー、となぜか胸がきゅーんとなりました。
六本木(今の六本木とは大違い!)の学校にせっせと通って、帰りの地下鉄で一緒に乗り合わせてほんの少しでも話ができるだけでうれしかったっけ。
当時、放送作家を目指してなぜか大学の勉強とは別のことに夢中になっていて、結局、その道にも進めず、社会人になってそれでも吹っ切れずに小劇団ブームの最前線の野田秀樹の「夢の遊眠社」に熱中し、それで幡ヶ谷の劇団青年座研究所の夜間に半年通ったり、あのころは、何かに夢中になっていたのでした。その当時の仲間と、本当に久しぶりで、今度会うことになりました。友人はもう子供も大きくなって、自分の親との旅行で東京に出てきたついでに会えることになったそうです。当時は、週に3回くらい講義があり、その帰り、必ずといっていいほど、下北沢で飲んでいました。その隣の「世田谷代田」に私はアパート暮らししていたんです。帰りは電車がなくても、歩いて帰れる・・・。そのころ、夫とも知り合っていましたっけ。今はほとんど行かなくなった下北沢、今度、昔の仲間と「下北で遊ぼう、昔に返ってツアー」を決行します。
そうそう、同姓同名かもしれないけれど、下町の小学校で背が高く日本人離れしていたK君、数年前の証券会社の社長で昭和32年生まれとあったので、まさかとは思いますが、慶応大学出てから銀行畑でバリバリやっていたそうな・・。中学の憧れの僕は、大手の商品部長、こちらは生年月日がわからないから、別人でしょう。でも、50歳直前、定年を後10年という男性諸君は、いろいろ苦労しているんでしょうね。最前線も、窓際も、そりゃ、苦労しますよ。でも、家庭もちゃんと顧みてください。定年後が即、熟年離婚にならないよう、今から10年計画です。
憧れの人も、きっと、髪が白くなったり超薄くなったりでしょう。胸キュンの思い出は、思い出として封印しておくべきですね。妄想はご勝手に!?