毎週金曜日の夕刊に載っていた、綿矢りささんの掲載小説、わたせせいぞうさんのイラストとともに、いつもいつも楽しみに読んでいました。特に大好きなイタリアに行くところも興味津々でした。でも、あっというまでした。今回で終了だったんですね。毎回楽しく読ませていただき、ありがとうございました。
彼女の文章を読むのは初めてでしたが、とても読みやすく、共感できました。今度、図書館で借りて読んでみます。
先日、年末年始用に借りた本(この時期、3週間も借りられる!)は、カズオ・イシグロの「忘れられた巨人」と西川美和の「永い言い訳」。でも、古文書課題の第3回も煮詰まったまま・・・。江戸時代の訴訟の示談成立の文章が、結構読みにくくて・・・。
愛知県に住む叔母にクリスマスプレゼントも作ろうとしているのに、若いころと違い、、どうもエンジンがかからない!
そういえば、高萩さんの本もまだ途中。年末に友人に貸す予定です。早く読まなくちゃ!青春時代の思い出とともに読んでいるから、読むのがもったいないという気になっちゃって・・・。
明日は義母に最後のあいさつに行ってきます。まさか、「姻族関係終了届」まで書いて提出するまでもないし、きちんと言葉で話そうと思います。
自分の親とは、あまり話せなかったのが、悔しいです。とはいえ、いつかは私もあっちに行くので、その時に会えればたくさん話しましょう。
義母は、歯の治療が痛いからと「自分の歯を使って総入れ歯」にしたというのですが、そんな馬鹿な話はありません。そういうことを平気でいう義母が、実は嫌いです。終戦後に半年だけ法務局で働き(青焼きの手伝いだけ)、あとは見合いで結婚し、家には義母の両親と暮らし(つまり実家)、姉もいつも来ていたというおうち。人に頼って自分では何もしない。また戦争が起きればいいのに、あの頃はみんな一生懸命でよかったとか、平気で言っている彼女が、恐ろしい・・・。夫は彼女を憎んでいました。どの程度かはわかりませんが、最初はマザコンと勘違いしていて。子供がほしくないというのも、自分の子供時代が思い出したくないものだったからでしょう。
そういえば、祖父(義母の父)は、戦後は公職追放で家で研究なのかよくわからない引きこもりをして祖母が教員になり一家を支えていたそうです。その祖母を祖父はよく殴っていたとか、いわゆるDVです。義父は女性に手を挙げる人ではなかったけれど、夫がそうなのは、祖父を見ていたからでしょう。DVは連鎖するのです。児童虐待もそうなのかもしれません。夫は、母親からの愛情を求めていたのに確認できなかったんでしょう、かわいそうです。
子供が泣くのは、親の愛情を確かめたいから。スマホなんか見ていないで、しっかり子供に向き合って。あっという間に大きくなるんだから、その一瞬一瞬がとても貴重なのに。生まなかった私が、何言ってんでしょう。
おぞましいと思える人間って、実は身近にいるものなんですね。人間関係もダウンサイジングします。