だから何だ?もう、おめでたい年齢じゃないのに。でも、誕生日はいくつになっても、特別な日。義母の誕生日は昨日、お祝いしたけれど、一人暮らしの私はだれからも祝ってもらえず、今日、新規開拓したフレンチのオーナーが教えてくれたランチがお得なすし屋に行き、一人でも気軽に来られるというので、明日の夜、一人でコースを予約しました。「おひとり様、お寿司の予約!」です。
さらに、一駅電車に乗り、今朝おもしろいチラシを出していた酒店を訪ねてみました。まるで宝箱のようなワインの豊富さにびっくり!でも、ほしかったブルネッロ・ディ・モンタルチーノは価格が高すぎて、ご主人が探してくれて安くておいしそうなワインを注文しておいてくれました。
あはっ、いつぞやは禁酒すると申しましたが、このところは連日、家飲みしています。ザワークラウトもどきとリースリングのせいで、毎日がソーセージ、とほほ。一人暮らしだからそれでもしょうがないですね。ネギ鶏もそのうち、グラタンか親子丼になります。ダウンサイジングとリサイクル料理、これは一人暮らしのこつですね。
東海地方の叔母に送る小物づくりに専念していましたが、和もの生地を使うのがとても難しくて。アイロンでくっつく接着芯も、生地ごとボール紙に固定するときれいに貼れないのです。布箱に和もの生地を使うのは、かなり厳しくなりました。やってみないとわからないので、まあ、やってみてよかったとは思いましたが。
向こうがプレゼントを負担に思うようなら、きっと盆暮れに贈答品を送ってこなくなるから、まれが狙いです。ダウンサイジングも、こちらだけそうしても申し訳ないのですから、せいのってやめたかったのに・・・・。
思えば、私が子供の頃は、父方母方の従妹たちとよく遊びました。父方は東海地方なので、旅行で行かない限りは会えないのですが。父が教員だったので、毎年のように会いに行っていました。それも、中学生くらいまで。その先は、父や母の葬式くらいでした。おじさんの葬儀に行かなかったし・・。私は子供がいないから、余計に付き合いが遠ざかりました。今となっては、父方は父のすぐ下の妹、つまり叔母のところしか連絡先がわかりません。姉のところは、どうするんだろうか・・・。
孤独死した親の遺骨も引き取らない子供がいるらしい。孤立化社会はますます深刻になってきているのでしょうか。親子が一番、血のつながりが濃いのにね。
天涯孤独に近い私の誕生日、祝っても祝わなくても、その一日は過ぎてしまうのです。生まれたからこうして生きているのだし、生きているからいずれ死ぬのです。看取った数が多いので、死ぬことが怖くなくなりました。たぶん、今カリカリを音を立てて食べているハッチは、そんなこと全く考えていないでしょう。ある意味、幸せですね。お待ちかね、4時のお食事の時間です。