ハッチがいた日常

夫は病死、仕事も辞めて被災猫ハッチと暮らしたけれど、10年で終わってしまった。これからは本当の一人暮らしの日々。

森友学園の認可申請取り下げ

2017年03月10日 17時55分57秒 | 日常

 あのへんな教育者が辞任もするというのは、うれしいですね。ああいう人が教育者だというのがほんと王に許せなかったから。明治時代の教育がよかったと本気で思っているのが怖いです。

 それ以前の、寺子屋とか、江戸時代の庶民教育が土台にあったからでしょ?国を守るとか、そういうことに重きを置く教育はどうかと思います。明治時代の富国強兵、いまどきおかしいです。そういう方針で子供を教育するなんて、もってのほか。もっと自由に、考える近荒、創造する力を身に着けてほしいです。彼がやりたかったのは、「軍事教練」なんじゃない?それに、インチキして認可もらおうなんて、教育者としても人間としてもサイテー。あんな学校に自分の子供を通わせる気になる親が畏怖のも、不思議です。あれは、教育ではなくて虐待でしょう。

 そういえば、二宮金次郎の像が、歩きながら本を読むという形がよくないということになっているそうな。歩きスマホとは違うのに。それに、何も渋谷のスクランブル交差点を歩いていないし。

 もう、少子高齢化は当然なんですよ。地球上の人類が多すぎちゃって。地球の未来も絶望や幻滅する方が多いし・・・。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6年前の明日

2017年03月10日 12時29分49秒 | 古文書

 覚えていますか、6年前の明日、3月11日の自分。

 当時、夫が闘病中で家にいて、私は仕事で本部の建物で接遇研修を受けていた最中でした。講師は、かつての倉田まりこさん。とてもきれいでした。お子さんもまだお若いのに、あの大きな揺れでも冷静でいたのをえらいなあと思ったものでした。

 会場にいた私たちの半分は、慌てて外に出ようとし、半分はその場にじっとしていました。私はじっとしていたほうでした。まあ、2階建てのバラックみたいな建物の2階だし、外に出るほうが危険なんじゃないかと思ったのです。ビルだったら、また違ったのかもしれません。

 結局、講習はそのまま中止になり、みな何が起こったのかもよくわからないまま、それぞれ帰路につきました。財団の公共施設の窓口業務に携わって最初の年度で、一緒に来た同僚と駅まで行きました。途中、通りすがりの全く知らない人とも会話を交わしました。なんでも電車が動いていないとか、大きな地震だったとか。

 同僚は駅からのバスに乗ると言って別れ、私は私鉄の駅に向かったのですが、やはり電車は止まっていました。駅の近くのヨドバシカメラの店頭のテレビ画面に人だかりがしていて、その時初めてあの津波を知ったのでした。

 あれから6年。いまだに原発事故処理が続いています。東芝の業務不振もが原発処理の経費が原因ではと思います。チェルノブイリの教訓を生かせなかったのでしょうか。何か起こったときにはとんでもないことになる。そんな原発は稼働してはいけないんです。いまだに住んでいた家に戻れない人たちがいる現実。

 そして、あの時からしばらく、節電のために計画停電がありました。

 すっかり忘れているのが、悲しいです。

 少なくとも、つらい日々を送っている人たちへの思いを忘れないようにしましょう。絶対にいじめなんて許せません。

 自殺した酪農家のこと、牛舎で餓死していった牛たちのこと・・・。うちにいるハッチは、いったいどういう生活を大熊町でしていたんでしょうか、言葉を話せないから、証言を聞くことはできません。

 私もこの6年間で、いろいろありました。一人になっちゃったし、それでもハッチがいるから寂しくないけど。眺めのいいマンションに暮らせて、今は幸せ。ごめんね、私は恵まれているんだよね。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする