ハッチがいた日常

夫は病死、仕事も辞めて被災猫ハッチと暮らしたけれど、10年で終わってしまった。これからは本当の一人暮らしの日々。

子猫柄の小箱

2017年03月23日 23時48分21秒 | カルトナージュ

 かわいい子猫の顔の生地で、またまた小箱を作りました。牛乳パックを使いましたが、ふたの部分は、途中から一重ではなく、二十二してみたのです。少しきつくなったので、頑丈にするなら、ちょっと大きめのサイズにしないといけなかったんですね。とはいえ、いつも実験ですから。

 中は、こうです。

 昔っぽいかわいい猫の模様の生地は、もうみつからないのです。キルトゲイトが新発売した時にいち早く買っておくべきだったんですね。最近は、キルトゲイトのオンラインショップをチェックするようになりました。さっそく、ちょっと買いました。

 ふたの生地も、水色のドット柄以外は、すべてキルトゲイトです。

 最近、水貼テープが乾いて浮いてきてしまうので、貼るときには水ではなく、やはり薄めた接着剤にした方がいいのかもしれません。確か、いくつか見た本の中に、そうしているのがありました。相変わらず、試行錯誤です。ようやく、このふたに生地を貼る手順が決まってきました。

 今日は、午前中から午後も例の証人喚問が興味津々で、合間に慌ててスーパーに買い物に行きました。

 真実は、どうなのでしょうか。もしかしたら、本人は口利きを依頼していたけれど、誰もが特別なことはしていなかったんじゃないか、という気がしてきました。急に土地が安くなったのも、ごみなどがたくさん埋めてあるので、そちらで処理てくれという意味での割引なんじゃないかと。自己資金がないのに、学校という経営が難しいものに手を出そうとして、こけた、ということなんじゃないでしょうか。政治家たちにばらまくお金もなかったはず。

 教育勅語や日本民族主義(白人主義みたいなもの)教育なんだから、リベラルとは対極の教えですから、学校が実現しなくてよかったと思います。安倍総理も最初は、出身の長州を模範にするという愛国主義の学校に期待していたのかもしれません。

 そもそも、幕末の志士たちって、本当に英雄なのかと疑問です。あの幕末の争乱で大物たちはあらかた亡くなりました。生き残った明治の元勲って、たいしたことなかったんじゃない?それに、幕府側にも相当優秀な人材もありました。長岡藩の河井継之助や、幕臣の勝海舟。さらに、明治になって学問が盛んになったのではなく(西洋化というのはあるけど)、もともと江戸時代から私塾や藩校、庶民にも寺子屋などあって男女ともに読み書きそろばんができていたんですから、明治が「日本のはじまり」なんて、嘘だ!松下村塾の吉田松陰が偉人というけれど、彼はテロリストに近いんじゃないの?

 そろそろ、W杯予選がはじまります。がんばれーー!

 愛国を強要するのは、まるで北朝鮮みたいで、大嫌いです。国民は、奴隷ではありません!戦前戦中と、教育勅語を覚えさせられた当時の子供たちは、マインドコントロールを受けていたんです。だから、あんな愚かな戦争に反対もできなかった。女性は当然、奴隷扱いでした。売春防止法ができたのは戦後、男女平等も戦後のことですから。自由にモノが言えない社会って、息苦しい・・・。

コメント
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