原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

下手な恋愛アドバイスを受けるより、積極的に恋愛に励んではいかがでしょう?!?

2022年03月06日 | 恋愛・男女関係
 本日のエッセイも、昨日に引き続き若き世代の“恋愛もの”の内容となるであろうか。


 2022.03.03付朝日新聞「声」欄に、31歳独身女性による「一方的な恋愛アドバイスは嫌」と題する投稿があった。

 細かい内容は省略するが。

 投稿者がおっしゃるには、自分と違う状況の人との会話に面白さを感じないらしい。
 そして、「結婚しない生き方が間違いのように諭す」人が周囲にいたり、「世間では、結婚しない人たちを“こじらせ”とか“乗り遅れ”とかと表現しているのを見かける」、のだそうだ。
 結論としては、会話の中に相手を見いだせず、私を見ないならいっそ放っておいて欲しい、と結論付けている。

 (以上、朝日新聞「声」欄より一部を引用したもの。)



 現在既に高齢者域に達している原左都子だが。

 私が婚姻に至ったのは37歳半時、そして一人娘を出産したのは38歳時のことだった。

 今からほぼ30年程前の当時としては、実際両者共々“遅かった”人種だろう。
 我が記憶によれば、特に38歳高齢出産直後期にはわざわざ保健所から保健士氏が自宅まで、体調伺いをしに来て下さったものだ。
 そして私が元気で明るい姿を直に見て、心より安堵して帰っていかれた。
 当時のデータによれば38歳時の初産は、0.1%の確率と新聞紙上で読んだ記憶がある。 高齢妊婦の家庭訪問が保健士に義務付けられていた時代背景だったのだろう。
 
 その後急激に婚姻年齢も出産年齢も上昇し、今となっては40過ぎてからの初産も何ら珍しく無くなっている。



 何故、私が晩婚になったのかを、ここで説明するならば。
 
 この「声」欄投稿者とは全く異なり、元より結婚を急ぐ気持ちが我が内面から沸いて出なかった故だろう。
 そんな事よりも、30歳過ぎて尚自己実現意欲に燃え滾っていたものだ!!
 実際29歳時に大学を再受験して合格し、30歳にて2度目の大学へ入学した。
 その後は、勤労学生として日々学問と仕事三昧の日々だ。

 ただ豪語させていただくが、私には“彼氏”がいない時期はただの一度も無かった。😜 
 まず朝から大学にて学問に励み、その後夕方からアルバイトを頑張り、その後は彼氏とデート三昧だ。 
 いつ学問に励むのかといえば、大学の授業がない空き時間に集中的に自習室にて自習したり、アルバイトに通う電車の中も格好の学習の場だった。(参考だが、学業成績優秀にして大学院へ進学しています。)

 その彼氏たち(??)だが、皆が皆そんな私を大いに激励してくれていた。 誰一人として、そんなこと辞めて早く結婚しよう、などとピント外れの発言をする相手はいない。 頑張る私が好きで応援したいからこそ、付き合いが成り立っていたと言えよう。

 結果としては大学院を修了した後の高校教師時代に、私は見合いにて現在の亭主と知り合い婚姻に至っている。
 この亭主も、そんな私を気に入ってくれた、というよりも。
 見合い時及びその後の付き合い時に、お互いの学問遍歴をどれほど熱く語り合ったことだろう。  私側から「今後産まれてくる子供が女の子ならば、名は“プラトン哲学”から命名するがそれでよいか?」との条件を提示すると、二つ返事で亭主が合意してくれて成婚に至ったようなものだ。

 何事も本気で明るく熱心に取り組んでいると必ずや実を結ぶものとの信条の下に、私は今現在尚この世を生き抜いている。



 そんな我が生き様に照らすと。
 
 朝日新聞「声」欄投稿者は、何故それほどまでに“後ろ向き”に物事を考えてしまうのか不思議だ。
 自分と「違う状況」の人との会話に面白さを感じ得ないのならば、とっととそんなものやめて、面白さを感じる人との出会いを積極的にこなせば済む話なのではなかろうか??
 世間が「こじらせ」とか「乗り遅れ」と後ろ指を指そうが、自分自身が楽しく有意義に過ごしていれば、そんな言葉は一切耳に入らないものだ。

 「私を見ないなら、いっそ放っておいて欲しい」などと、未だ31歳にして他力本願の寂しい言葉を吐いていないで。

 あなたこそが、積極的に前向きに明るい恋愛に励みませんか!!