原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

私も子供時代に「カンロ飴」を喉に詰まらせたことがある

2022年03月15日 | その他オピニオン
 本日のエッセイは 朝日新聞2022.03.12付 “ひととき”より、18歳高校生による投稿「17年分の感謝を」よりテーマを拝借しよう。


 早速、その投稿を以下に引用する。

 私は高3だが、先日大学に合格した。
 2005年4月、1歳だった私は、名古屋城に家族で夜桜を見に行った。 食いしん坊だった私は、「まだいる、まだいる」とサツマイモを頬張り、のどに詰まらせ、窒息してしまった。  けいれんを起こしそのまま死んでもおかしくない状況だった。
 素早く119番してくださった男性の方、私を抱いて背中をたたき吐かせて下さった女性の方、そして救急隊員の方々のおかげで一命を取り留めることができた。 後遺症も残らず、私は18回目の誕生日を迎えることができた。
 両親から成長の節目でいつもこの話を聞き、いつかご恩をお返しできればと考えていた。 大学では理学部で生命理学の勉強をしていつか誰かを救うことができる研究者になりたいと考えている。
 あの時見ず知らずの私を助けて下さり、本当にありがとうございました。 17年前にはせっかくのお花見を台無しにしてしまいましたが、この記事を読んで下さり17年分の感謝が伝わったらうれしく思います。
 今年も美しい桜が咲きますように。

 (以上、朝日新聞記事より投稿を引用したもの。)



 ここで原左都子の私事を、2件語らせていただこう。

 私も子供時代に、のどに食べ物を詰まらせたり、噛まずに飲み込んだ経験が何度かある。

 その一つは、当時流行っていた「風船ガム」なのだが。
 当時小学3年頃だった愚かな私は、3枚入りの3枚全部を一気に食べて膨らませれば、誰よりも大きな風船が作れるぞ! と本気で考えた。
 
 風船ガムに限らず、ガムを噛んでいる途中で飲み込んでしまうことは子供としてはよくある事故だった。
 ただ1枚ぐらい飲み込んでも何も問題なく、そのまま排泄に至ったことだろう。
 ところが、その時は3枚分全部だ!
 その心の準備は十分に出来た上で大きなガムの塊を慎重に噛んでいたはずなのに、どういう訳かあっという間に飲み込んでしまった!!
 (これで私は死ぬのか!??)と思いつつも、誰にも言えず、とにかくその後の容態を注意深く観察することとした。 特段腹痛がある訳でも無く、お腹のどこかにガムが引っ掛かった様子も無く、時間の経過とともに自分自身がその事件を忘れてその日は暮れた。
 結局次の日になっても何ともなかったため、その事件は誰にも告げぬまま我が心中に伏せる結果となった。


 もう一つが、表題の「カンロ飴」を喉に詰まらせた事件だ。

 こちらは風船ガムのように決して簡単では無かった。

 当時私が暮らしていた祖父母の家は、元々大規模農家の造りで敷地面積がかなり広かった。
 おそらく外の畑近辺で、カンロ飴を食べながら元気に遊んでいた時の事だ。
 口に入れたばかりのカンロ飴が喉に詰まった!!
 既に息が出来なくなっている私であり、誰かに助けを呼ぶとの行為が不能だ。
 咄嗟に考えたのは、水道水を飲むとの事だ!
 家に戻って台所の水道へ行くには遠過ぎる。 そうだ、外のトイレの洗面所へ行こう! 
 息が出来ない苦しさに耐えつつ一目散に私は走った!
 そして水道の水を出して一気に飲んだら、ラッキーにもカンロ飴は我が消化器内にすんなりと入ったようだ。
 命が助かったと思い、私は心より安堵した。
 その後この話は家族の誰にもしていない。 私だけの秘密事項としてずっと心に秘めて来ている。 
 事件から数十年が経過した本日、初めてエッセイとして公開した。


 後で思うに、私は中学生になってブラスバンド部でフルートを担当したのだが。 吹奏楽器とは「ロングトーン(長時間音を伸ばす)能力育成」が肝要だ。
 おそらく私は生まれ持って肺活量が優れていて、そのお蔭で「カンロ飴」事件にも耐えて生き延びられたられたのか、と思ったりもする。😖 😵 



 それは冗談としても。

 とにかく私が小さい頃に育った環境とは、ずっと母親不在を強いられていた。
 私が4歳時点で一家で祖父母の家へ引っ越した後は、共働きの母親が留守の中、主に祖母が幼稚園や学校帰りの世話を担当してくれていた。 よくできた祖母で実に適切な世話をしてくれたのだが。 どうしても祖母とて外せない用件があり外出することもあったことだろう。
 私には姉がいるのだが。 (我がエッセイ集の長期読者の方々はご存じだろうが)何の役にも立たないと言うのか意思の疎通が昔から図れない相手で、いじめを受けたことは多々あれど、一度足りとて優しく接してもらったことが無い。
 それで、私は近所の友達と遊ぶか一人遊びが多い子供だったのだが。

 その習慣がすっかり身についていた頃の、上記「喉にカンロ飴詰まらせ」事件だったものだ。


 ただ、特に「カンロ飴詰まらせ事件」に於いては、その“一人行動・一人思考”習慣が生きたかもしれない。
 咄嗟に誰かに頼ろう、ではなく、自分で生き残ろう!!と必死になったことが我が命を助けたようにも振り返る。
 
 その習性は今尚我が根本理念として脳内・体内に息づいていて、実際我が身を生涯に渡り助けてくれそうにも思う。