(冒頭写真は、朝日新聞2022.03.28付記事「記者解説 危機の30年とロシアの侵攻」より転載したもの。)
今回のエッセイ表題は、上記 朝日新聞編集委員・三浦俊章氏による記事の本文より拝借したものです。
それでは、「冷戦後の失敗教訓に 秩序再構築を」と題する記事の一部を以下に引用させていただこう。
ロシア軍のウクライナ侵攻を伝える映像には、目を疑う。 第2次世界大戦後に長く続いていた欧州の平和は崩れた。 20世紀の悲劇の再現ではないか。
1989年にベルリンの壁が崩壊した後に東ドイツに入った。 歓喜と未来への楽観があふれていた。 西側は冷戦の「勝利」に酔い、市場経済と民主主義が世界を覆うと信じた。 しかし、グローバル化は貧富の格差を広げ、国家間対立は深まり、専制主義とポピュリズムが台頭した。 そのあげくのウクライナ侵攻である。 プーチン大統領は核の使用をちらつかせる。 米ロの全面対決になりかねない。
20世紀には二つの世界大戦があった。 両者の間はわずか20年。 当初は平和な世界をつくろうと理想主義が盛り上がったが、経済恐慌を機に暗転、破局と落ちていった。 この時代は「危機の20年」と呼ばれる。我々もまた、冷戦終結後の歩みを「危機の30年」として捉え直す必要がある。
戦争を引き起こしたのは、異形のプーチン独裁である。 だが過去の大戦争がそうであったように、危機の要因は複合的だ。 勝者の傲慢、敗者の怨念、指導者の誤算など、様々な要素が重なった。 (途中大幅略)
プーチン氏は今の西側には軽蔑しか抱いていない。 「多様性を重んじ、移民を受け入れる自由民主主義の時代は終わった」と言う。 中国の習近平氏も、西側に対する中国式統治の優位を信じている。 (途中大幅略)
わずかな救いは、従来の戦争の時代にはなかった国際世論とよぶべきものが生まれつつあることだ。 SNSのおかげで、進行中の戦争を世界中の人々が同時に見ている。 対ロ制裁で西側の実像を知った国際世論の後押しがあってのことだろう。
その国際世論の輪に、ロシアの国民を加えねばならない。 情報統制下にある人々に、外国からの放送やメールなどをあらゆる手段で、ウクライナの真実を伝える努力が急務である。 ロシアの暴走を最終的に止められるのは、ロシアの国民なのだ。
(以上、朝日新聞記事より一部を引用したもの。)
冒頭写真「冷戦後の世界の歩み」に目を移そう。
❶の「米国同時多発テロ」は、この原左都子もいまだかつて忘れられない光景として、脳裏に刻み込まれている。
当時、国立研究開発法人・理化学研究所にて研究助手として日々実験に励んでいた時期だったが。 家に帰宅して夜9時前にテレビを見ていたら、画面が米国ニューヨークの超高層ビルに飛行機が突撃する生映像を映し出すではないか!
最初、これが生映像のニュースだとは気づかず、映画の一場面か何かでも放映しているのか?、なる錯覚を抱いた。 そうしたところ、もう少し時間が経過した時に、もう一つの超高層ビルに2機目の飛行機が激突した!
やっとテロ行為の生映像であることを悟った私は、この世のものとは思えないそれらの映像に強い衝撃と“世も末感”を抱かされたものだ。
その夜は寝られず、浅い眠りで目覚めた私が理研へ出勤すると。
いつもは何らの声掛けもしない若き男性上司が、私に話しかけてくる。「昨夜のニュースは衝撃的でしたね!」
それ程までに“世紀末”感があった出来事だった。
➋のリーマンショックに関しては、関係者・被害者の皆様には申し訳ないのだが、私自身は特段の被害を受けていない身に付き割愛させていただこう。
そして❸、現在も悲惨な状況が続くプーチン氏によるウクライナ侵攻だが。
これ、私にとってはもしかしたら❶の「米国同時多発テロ」事件よりも辛いかもしれない。
いえいえ、犠牲者の数はもしかしたら同等程かもしれないが。 とにかくプーチン操るロシア軍の戦禍から逃げ惑いそして殺戮される何の罪もないウクライナの庶民の方々の姿が、何とも痛まし過ぎる…
これをもう既に、メディア映像にて1か月以上見せられ続けているだろうか?
こんな理不尽な出来事があって許される訳もないだろうに。
それでもロシア大統領のプーチン氏は、執拗なまでにウクライナ人民を攻め続けている。
上記引用文中に、現在世界規模で発展しているSNSの恩恵に関しての記載があるが。
私の感覚では、それがプーチン氏に届いているとは考えられない。
ただ、確かにロシア国民にSNSメッセージが届いているとすると、良心あるロシア国民間で「ウクライナ侵攻反対!」の動きが今後広がるのかもしれない。??
(いや、ロシア国民にとってはその反動は大いなる危険性を伴うかとも懸念するし、既にロシア国外に脱出している国民もいると見聞するが…)
まったくもって、プーチン氏によるウクライナ侵攻問題の先が見えにくい厳しい現状だが。
少なくとも他国に住みながら、この異様な侵攻を阻止したい人間に出来ることとは。
力無きことは重々承知の上で、自分なりにその思いをネット上で発信することしかないと結論づけて。
本日も、そのエッセイを綴り公開した次第です。