原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

ART BAZAR 2022  ー ギャラリー・上り屋敷 編 ー

2022年08月16日 | 芸術
 (冒頭写真は、ART BAZAR 2022  ギャラリー 上り屋敷 にて購入した小型はさみ。)


 前回のエッセイに引き続き、本日は「ギャラリー 上り屋敷」編をお届けしよう。

 まず、地図にてギャラリーの位置を示しておこう。

                                  
 
 私の場合は池袋駅にて下車し、ホテルメトロポリタン辺りで左側のギャラリーが多く存在する地域へ入るのだが。

 池袋と言えば、雑多なイメージが強いであろうが。
 このメトロポリタンホテルの前の道路を横切った途端に、閑静な住宅地に入る。
 特に長はるこ先生のギャラリー周辺は、フランク・ロイド・ライト建築の「自由学園明日館」が存在するためか、芸術的要素が強い閑静な街のイメージだ。
 そのすぐ隣が長はるこ先生主宰の「Bーgallery」。

 そして、本日紹介する「ギャラリー・上り屋敷」はB-galleryから3分程歩いた場所にある。
 最初、(面白い命名のギャラリーだなあ。)と感じたのだが、どうやらすぐ近くに「上り屋敷公園」が存在するため、これは固有名詞ではなく地名から名付けたギャラリー名のようだ。


 さて、そのギャラリー「上り屋敷」に到着すると、まるで“隠れ家”のような雰囲気だ。(スマホを忘れて行ったため、撮影が叶わず残念だが…)
 思い切ってドアを開けてみると、ギャラリーの女性オーナーらしき人物が笑顔で出迎えて下さる。
 そして、本日のバザーの展示に関して簡単に説明して下さり…
 当時客が2名だったため、私もゆったりと展示物を拝見していると。
 
 まず発見したのが、冒頭写真の「小型はさみ」だ。

           

 観るだけでも何とも味わい深いのだが、手に持って切る真似をしてみると。
 これが何とも切り心地が良さそうというのか、実際切らずして切り心地最高!!のはさみだと実感、感動した。
 
 早速、女性オーナーに「これ、頂けますか?」と持参すると。

 オーナーが、「お客様にこれなどお似合いですよ!」と言って、こちらのペンダントも紹介して下さった。               

          

 実は、私もこれにも目をつけていたのだが。
 そしてオーナー曰く、「このペンダントは、美術作家氏が原石を一つ一つ削って磨いて丹念に仕上げた作品です。」と説明して下さる。
 当日はちょうどピンクのロングワンピースを着用していて、それにも合うなあと自分でも思いつつ早速購入した。
 

 そして会計をしようとして、この私のバッグから財布を取り出していると。

           

 オーナーが、「素敵なバッグですねえ!」と言って下さる。

 実は、先に行ったB-galleryのはるこ先生からも、このバッグを同じように褒められたばかりだ。

 「これ、もう何年も前から春夏の時期になると愛用しているバッグなんですが、確かに軽いですし沢山物が入るし、重宝しています。 一昔前に流行った日本製のバッグです。」 と説明すると。

 今一度、「素敵です!」と言って下さった。


 
 B-galleryの長はるこ先生はもちろんのこと、こちらの「上り屋敷」の女性オーナー先生にもフレンドリーに接して頂いて。


 実に楽しい今夏の「ART BAZAR 2022」行脚だった。😃 

 また、来年も来ますね!!


 P.S.
 上記の「はさみ」ですが、先程楽天市場にて同一のはさみを発見しました。 何と¥7,500- 程の価格で販売されていました。
 私はこれを「上り屋敷」にて中古とは言えども、その十分の一以下の価格で購入しました。

 そう言えば、はさみ本体に製造番号が彫り込まれています。 私が購入したのは、No.38でした。
 ある程度の本数が量産されているようですが、それにしても“掘り出し物”だったようです! 


ART BAZAR 2022  ー B-gallery 編 ー

2022年08月15日 | 芸術
 (冒頭写真は、昨日ART BAZAR 2022 最終日に池袋のB-galleryに出向いて私が買い求めたバザー・セールス品の数々。)


         

 我が知合いである美術家の長はるこ氏にお会いするのは、何年ぶりだろうか?


 おそらく2,3年前にアルゼンチン・ブエノスアイレスより美術家のモニカさんがはるばる来日され、はるこ先生のB-galleryにて個展を開催された時が最後だったと思い起す。

 はるこ先生より、いつもギャラリーの次回個展のお知らせや毎年年賀状を頂戴しているためそれ程の距離感は無いのだが、実際にお目にかかるのは久々の事だった。


 今回は、個展ではなく“バザー”を開催されるとのこと。

 実はこの私、内容の如何に寄らず“バザー”が大好き人間である。
 例えば今思い起すに、高校教諭時代の学校の文化祭時に迷わず“バザー”を担当した。 この場合、何を売るのかと言うと、生徒の落とし物のうち生徒が取りに来ないで何年か経過したものを格安で売りに出すのだが。
 その値付けをしたり、バザー当日に「いらっしゃいませ! いかがですか?」などと顧客を煽るのが楽しくて、生徒をそっちのけて売りまくったものだ。 (そんな我がキャラを初めて見た教員仲間が、「この人こういうキャラだったんだ!」と驚き果てたものである。 私に言わせてもらうに、過去に接客業経験も豊富の身なのだから任せてよ! だ。)😵 


 さて、話題を長はるこ先生のB-galleryにて開催されたバザーに話題を移そう。

 このバザーは、はるこ先生の説明によれば年に一度この時期に開催されているらしい。
 海外を拠点に数々の国際美術賞を受賞され、その授賞式典参加のために世界各国を飛び回っているはるこ先生ご自身がコレクションされた美術品等々が、ギャラリーの倉庫にふんだんに保存されているらしい。
 それらを年に一度、一気に販売せんとするのが目的のようだ。

 (実は私は昨日、スマホを持ち忘れて出かけてしまった。 これは昨日のみならずよくある事なのだが、昨日程それを悔やんだことは無かったと言えよう。 昨日はバザー最終日だったにもかかわらず、はるこ先生コレクションがギャラリー内にふんだんに展示されていて、それはそれは圧巻だった! あの光景を是非とも撮影したかったのに…、と今尚悔やんでいる。 来年は、必ずやスマホを持ち忘れることなく出かけよう!)


 やむを得ず、昨日私がバザーにて買ってきた品物のみの公開と相成ってしまったが。

 冒頭写真の一部を、以下に個別に紹介しよう。(順不同です。)

          
 これらコースターは、どうやらスタジオバル(我が娘も通ったはるこ先生指導の子ども造形教室)で使用した素材では無かろうか??
 このコースターはそのままでも使用可能だが、やすり等を使って細工が施せるようになっている。

       
          
 こちらは、はるこ先生が何処かの国で買い求めて来たステンレスのトレイだ。


          
 何処かの国の美術家氏が作成した“反戦ポストカード”のようだ。

          
 これは壁掛けかな?  何処の国の御土産かは不明だが、ユニークな絵が描かれている。

          
 こちらは、どうやら日本製の「一筆箋」の数々。 この私も「一筆箋」が大好きで、国内の美術館へ行くと必ず買うのだが。 一番手前の幼児が描かれている一筆箋は一冊の中に図柄が何種類もあり、観るだけで楽しめる。

          
 以前、本エッセイ集にて公開したが、この私も鉛筆収集の趣味がある。 
 これはJISマークがついているため日本製だろうか?
 本日先ほど1本削って使用してみたら十分に書き味が良く、普段使いに持ってこいです。



 次回も、ART BAZAR 2022  続編を記す予定でおります。  


義母の認知症が元で、私の“腹の虫”が収まらない事件発生!

2022年08月13日 | その他オピニオン
 今朝9時頃の事だ。

 我が家の電話が、高齢者施設に暮らす認知症の義母の名を告げる。
 義母は極度の難聴でもあり特に電話では私の声が聞こえない、と訴えるため、義母からの電話には息子である我が亭主が出る取り決めをしている。

 それにしても、亭主とて認知症かつ難聴を抱える義母との電話での会話にはいつも難義させられるため。 2日前に義母の施設を訪ねた際に義母には、「なるべく電話連絡は控え、施設からの伝言でお願いしたい」と念を押したばかりだ。


 亭主が自室の電話子機で出た義母からの受話器を私の処へ持ってきて言うには。
 「義母がどうしても〇子(私の事)に電話を代わって欲しいと言うので、出てやってくれないか?」
 既に苛つく私が、「電話を代わったって、義母には私の声は聞き取れないよ!」と亭主と押し問答しつつも、義母からの電話に出た。

 そうしたところ、義母が嫁の私宛に何を訴えてきたのかと言うと。

 「あのねえ、〇子さん。 私は先日自室のトイレでお漏らしをしてしまって、スカートもトイレの床も汚してしまったの。(その話は、先日施設を訪ねた際に義母から既に聞いている。) 困ってすぐに施設のスタッフさんを呼んだのよ。 そしたら綺麗に掃除をして下さったので、お礼に千円札を渡そうとしたら、どうしても受け取ってくれないの。(義母の施設内では、入居者とスタッフの金銭のやり取りは禁止されている。) そこで考えたのだけど、そのスタッフさんに3,4歳の娘さんがいるから、その娘さんが持てそうな可愛いバッグでも買って施設へ送ってくれる?」

 この種の話は、今に始まった事ではない。 
 とにかく施設内でお世話になったスタッフの皆さんに、昔から“カネを握らせる”癖のある義母であり、それをすんなり受け取って下さるとそれで一件落着なのだが… (意外と素直に受け取って下さるスタッフも多いそうだ。)😖 
 ところが、どうしても真面目なスタッフさんがいるとこういう事態と相成る。

 結果としてやむを得ず嫁の私がネット通販にて適当な商品を捜して、早速施設に住む義母宛に送る手配をしておいた。 (結果としてスタッフに直接千円札を握らせるよりも、ずっと高額の負担となった。😵  いくら相手が子どもと言えども、商品でお礼をするとなると粗末な物は選べないものだ…)


 今日は朝からこの事件が腹立たしくてしょうがない私なのだが。😡 
 
 私の怒りの理由を分析すると。

 まず、どうして義母はその依頼を自分の実の息子である亭主に直接しないで、わざわざ電話を代わって嫁の私にさせるのか!?! との点だ。
 これ、完璧に義母の「男尊女卑思想」に基づくものと私は分析する。
 そういう業務とは男がやる事では無くて女の嫁の仕事、との定義が義母の脳裏に燦然と存在する様子だ。

 話を元に戻して。
 義母とは、昔から“家事”が嫌いな人種である。 料理のみはしていたようだが、私は義母と同じ屋根の下(とは言えども玄関は別で部屋も完全独立だったが)に住んだ半年間の間に、義母が掃除をする姿を見たためしが無いし、洗濯物が庭に干されているのを見たのは2度程だ。(義母の口癖は、「埃で病気になる人はいない」、だった。 アレルギー性鼻炎のある私など、埃こそ大敵なのに…) 
 現在の義母の施設は、掃除・洗濯の100%をスタッフが施してくれるシステムである。 それに甘え切っていて、入居者はそれをしてもらうのが当然の権利だ、と平然としていられる人種である。
 今回のようにトイレで粗相をしたような場合、まず羞恥心のある人間ならば、そんな恥ずかしい事態が他者にバレないよう急いで自分で後始末するであろうに。 ところが、義母はそうではなかった。認知症故というよりも、これは元々の義母の特質と私は判断する。  ただ、そのお礼はしたいと考えたのだろう。ところが金銭は受け取ってくれないので物品で返そうと考えた訳だ。


 それをするのに、嫁の私を使うとは何事か!?! と朝から怒り心頭という訳だ。

 よその家のお嫁さんは、こういう場面では素直に義母の指示に従うのであろうか?
 確かに私の場合、義母には亭主との晩婚後には、義母に大変お世話になっている。
 結婚直後に晩婚の息子夫婦に当時としては未だ珍しかった“タワーマンション”を、ドーーーーンとプレゼントしてくれたのは義母だ。
 その後も、親族版と友人知人版を分けて2度執り行った「結婚式」のスポンサーも義母だった。 (参考だが、故義父は原家にとって“養子”の存在でした。)


 そんなことを思い起すに、今朝の事件は帳消しにするべきかとも思えてくるが。😜 

 いや、その前に。
 やはり高齢者施設運営者自体が、このような入居者とスタッフ間の金銭や贈り物のやり取りに関して、もっと徹底した規律を設けるべきであろう。
 「金銭や贈り物は禁止!」と言葉だけ発信したところで。 入居者とスタッフが直接接する機会が多い施設内に於いて、これらの慣習が横行してしまう実態を防ぎようがないであろう。

 せめて高齢入居者が別に暮らしている家族(子や嫁や孫)にまで依頼して、入居者が世話になったスタッフへのお礼を家族の金銭的・労働的負担で実行させられるとの事態に関しては。 

 今後高齢者施設自身が主体的に改善を図り、どうか勘弁願いたいものだ。
 (正直言って、入居者の実の子供ならば後々相続等の恩恵もあるのだろうが、嫁の立場って義母に対する仕事ばかりが多かれど不確実性が高いものです… )


再掲載 「36年前に日航機事故が発生した8月12日のあの日、私は…」

2022年08月12日 | 時事論評
 (冒頭写真は、24歳頃の原左都子。 中央リードボーカルが私。)


 冒頭から、ネット情報を引用しよう。

 乗客乗員520人が犠牲になった1985年の日航ジャンボ機墜落事故から12日で36年となるのを前に、遺族らでつくる「8・12連絡会」は11日夕、群馬県上野村の墜落現場「御巣鷹(おすたか)の尾根」のふもとを流れる神流(かんな)川の河原に、LED電灯をともした灯籠(とうろう)を並べた。 昨年は新型コロナウイルスの感染拡大で、神流川で例年行っている灯籠流しを中止したが、今年は代替行事で犠牲者の冥福を祈った。

 (以上、今朝見たネット情報の一部を引用したもの。)


 原左都子は、36年前に日航ジャンボ機墜落事故が発生した日のことを、あくまでも私なりの理由でだが一生忘れることはない。


 あの日の東京は朝から大雨だった。

 その日、当時付き合っていた男性とその仲間たち数人と某国内大手楽器会社が運営する、三重県の大規模音楽施設へ泊りがけで行く約束をしていた。
 その施設内で、このメンバーたちとにわか仕立てのロックバンドを組んで、演奏を楽しもうとの目的だった。

 ところがその仲間たちが集合してみて分かったのだが、私の彼氏以外のメンバーがどうやらさほど乗り気でなさそうなのだ。
 車2台の旅だったが、私と彼氏、そしてもうひとり彼氏と一番親しい男性が一台の車に乗り込み、他のメンバーはもう一台に乗車した。
 そのままの状態で、現地に到着し。

 さて、早速スタジオにてロックバンドのにわか練習に入ったのだが。
 どうも、皆の会話が途切れる。
 そりゃ無理もないのだが、立場上グループに新入りの私としては如何に振舞ってよいのか困難だ。
 
 楽曲に関して説明すると、冒頭写真の我が勤務先のバンドにて練習したナンバーを皆が練習して来てくれていて、私がリードボーカルの形で合わせることとなった。 (参考だがその楽曲とは、デボラ・ハリーの「コールミー」、リンダ・ロンシュタットやリタ・クーリッジ等々女性ボーカルもの中心だったのだが。)
 歌を歌っている時はそれで済むが、演奏が終わるとこれまた皆がバラバラになってしまう。
 (ここで注釈だが、バンドメンバーとはプロに近づく程に自己中心と言っては失礼だが、我がままになるのかと思うふしもあるかなあ…)


 そんなこんなで、2,3時間一応バンド演奏をして過ごした後。


 夕食の時間となり、このちぐはぐバンドが食事処へ再集合した時のことだ。

 彼氏であるバンドリーダーが、皆に告げる。
 「大阪行きのJALが群馬県上空当たりで姿を消したらしい…」
 未だ事故の様相がまるで判明していない時間帯だ。 
 テレビの報道番組では、各局がそのニュースで躍起になっている。

 何だか不気味な時間が流れる中、バンドのコミュニケーションがますます取りづらい雰囲気が続き…
 あの時間帯から、これは世紀の航空便大事故であることが予想できてしまい…  あの夜は皆が早めに寝ただろうか、記憶がまったく無い…

 そして翌日になり、午前中にもう一度バンドメンバーで仕上げの演奏をして。

 帰路は、彼氏と私が彼氏の車で、その他のメンバー全員が別の車でそれぞれ東京へ帰る段取りとなった。

 その頃には、日航機事故の詳細がほんの少しずつ判明し始めていて。

 何とも中途半端な音楽の旅と相成った事実よりも、私の心理状態は彼氏との関係が短命に終わるであろうとの予測しか出てこない。
 帰り道の車の中で2人でいろいろ話し合ったのだが、どうも会話内容がマイナーに傾く。

 我が家に近づき彼氏の車を降りて、室内に入った。 そうしたところ、
 私の室内の電話に何本もの留守番電話が録音されていた。

 それを再生すると、すべてが郷里の母からだった。
 「どこにいるか今すぐ電話下さい。」 「大阪経由で郷里まで帰省予定だったのではないか?」 「とにかく心配しているので電話を寄越して。」

 内容はそればかりだった。
 実は、今回の彼氏との音楽旅行脚に関しては郷里の親どもへは一切伝えていなかった。 ただ、今夏は郷里に帰省はしない、と宣言していたのに…

 「友達と一泊旅行へ行ったけど、別に私は元気だよ。」 と母に返答すると、
 母曰く、「ニュース報道で行方不明者に“〇子さん”(私と同名)が連呼されていたのよ! てっきりあなたかと思ってどれだけ心配したか!」

 “下手な心配休むに似たり”、とは母へは答えなかったが。
 
 こちらとしては当時付き合っていた彼氏と破局か?!? との心理状態時にして。
 
 まさにあれだけ暑苦しく、重苦しい夏は無かった…

 と、不謹慎にも我が身を振り返らざるを得ない、
 1985.08.12の、日航ジャンボ機墜落事故だ……



 最後になりましたが、520名の犠牲者皆様のご冥福を、2022夏の今現在心よりお祈り申し上げます。


「死にたい」を連発する年寄り程、認知症になる!??

2022年08月11日 | 人間関係
 昨日午後、この夏一番の猛暑かと思しき厳しい暑さの中、都内の高齢者介護施設に暮らす義母を訪問した。


 事の発端は2日程前に義母より、「私の資産の詳細を知りたい」との電話が入ったことによる。 (この義母からの要望は今回が初めてではなく、過去にも何度か義母に資産報告をしている。)

 電話には亭主が出たのだが。 義母施設入居以来、義母関連資産の管理はすべて一括してこの私が担当しいるため、「それじゃあ、最新版“義母資産一覧表”を作成して、お盆のうちに施設まで持っていって説明しよう」と私が応えた。
 (参考だが、「経営法学修士」を取得し国税庁に「税理士試験税法3科目免除申請」を提出しているこの私が、義母所有貸付不動産の青色申告を義母施設入居後毎年担当している。)

 
 実は不安もあった。
 義母の認知症状が日ごと悪化の一途を辿っている実感が保証人である我々夫婦に重々しくのしかかる日々である…
 「資産一覧表を作成して持参したところで、既に義母はそれを見る能力が失われているだろうし、内容を理解する状態には程遠いかもしれないね…。」


 さて、昨日午後施設を訪れてみると。

 コロナ感染急拡大中の現在、施設でも最大限のコロナ対策が採られていて、義母との面会は義母の部屋ではなく施設玄関近くの個室となった。
 その前で我々の訪問を待ち構えていた義母の様子が、一見して「恍惚」としている…
 これは今に始まったことではなく、義母が年齢を重ねる都度その感が強まると言った方が正解なのだが。

 とにかく個室へ案内されて、義母との面談となった。
 幸いなことに、我々が自分の息子とその嫁であることは認識できているようだ。 
 そうだとしてもはやり恍惚感があって、「あのねえ、私最近変だし、何だか何も分からなくて…」といきなり喋り始める。
 (これ私に言わせてもらうにその現象は最近始まったことではなく、かなり前からの症状だ。 )

 とにかく今回は義母からの要望で「義母の資産」の現在高を伝えに来た旨は私が説明しつつ、早速その表を義母に見せたのだが…
 まるで見ようともしない。
 そのため、私が口頭で表の内容を告げ始めると。
 「あのねえ、そういうことを聞いても私は分からないのよ。 私が知りたいのは、今後私が病気をしたら病院へ入院できるお金があるのかということ……」

 ここで亭主が応えて、「入院が必要なレベルの病気にでもなれば病院に入院できるけど、お母さんの場合何らその種の病気が無い状態。だから今はこの施設で元気に暮らすのが一番だよ。 それから、もしも病院へ入院するにしても現在は国保の保証があって、その範囲内でいくらでも入院可能だよ。 そんな事よりも、お母さんはこの施設で楽しく暮らすのが一番。」

 これに関しては、ずっと以前より亭主が義母に幾度となく伝えているものの、何度説明しても現在認知症を抱えている義母には伝わらず…

 認知症状にあえぐ義母の本音として、何処かに自分のユートピアがあると信じているとの心理状態である事実は、手に取るように分かるものの。


 面談の最後に施設のケアマネジャー氏が加わって下さって“4者会談”と相成った。 (とは言えども重度難聴の義母はこの会談に実質的に加わることが不能で、一人でケアマネ氏に我がままを言い続けるのだが。)

 そんな義母の相手を適当にこなしてくれつつ、ケアマネ氏が我々に新たな提案をして下さる。
 それは義母の腰痛に関してなのだが、もしも保証人がOKして下さるのならば週一で義母の腰痛マッサージを施すことが可能、との提案だ。
 その費用を確認したところ大した金額でも無いため、私は一つ返事でお願いした。
 それを義母に施すことによりマッサージ効果より何よりも、その時間内で義母は会話ができる相手と巡り合えるのではなかろうか、と!!



 とにかく現在の義母に一番欠落しているのは、「人との交わり」であろう。
 あれ程の認知症に加えて重度の難聴ともなれば、対等に付き合ってくれる人など所詮期待できるすべもない。

 そんな時に利用するべきは、たとえプロの人材であれ一時であれ義母と1対1で対応して下さる「人」であろうと私は結論づけた。

 ただし、これにも不安材料がある。
 義母がそのマッサージ担当者が気に入らないと言ったならば!

 もう、知らんよなあ~~~~ 😂 😷  


 そうそう、この義母の一番悪い癖は自分が不利になると。

 「私は死にたいのよ!」を乱発する癖だ。

 本気で、もう知らんよな~~~~~。と叫びたくもなるぜ!!