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加齢=何かを諦めること  文科系

2008年01月18日 10時49分27秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
表題のことを二つの点において、このごろよく思う。

今年の春は、毎年出続けていた10キロマラソン出場を断念した。不整脈が前からあるので、週2~3日のジム練習の時もハートレイトモニターを付けて、スピード管理もしつつ走るのだけれど、その異常が増えたからだ。自分のレース時のスピードで10分以上走り続けると、翌日まで不整脈が続く。去年より最低1割近くスピードを落として走らねばならないので、「追い込み」の無理をするのを今年は諦めて、来年まで様子を見ることにしたのだ。

もう一つは「感音難聴」である。耳がおかしいので医者に行ったら、そういわれた。「騒音性難聴だが、何か大きな音に常時接触しているのか?」と聞く。心当たりがないのだが試みにこう答えてみた。「毎日ギターを3~4時間弾いているが、クラッシックギターですから小さい音ですよね?」。そしたら医者が、語るではないか。
「間違いなくそれです。ギターって音の割に耳への圧力が強いものなんです。どうしてもやりたいなら、戸外で弾くか、部屋を開け放ってやってください。そうでないと間もなく聞こえなくなりますよ」
寒風の中でも陽光のある日中の庭で、ない日は開け放った部屋で弾いている。寒くはないのだけれど、それでも少しずつ悪くなっていくようなので、悲しくなる。

「歳を取ることって何かを諦めていくことだ」とは、80歳まで三味線を習い、舞台にも出ていた母がよく言った言葉だけれど、その気持が今はしみじみとよく分かる。「母もこんな風に悲しく、寂しかったんだ」

でも、これからもレースには出るし、ギターも弾く。細心の科学的注意を払いつつ。そもそも、ハートレイトを付けて走っていなかったら、僕はもう死んでいたと思う。ちょっと先輩の70歳ランナーがよく言う。「昔俺よりも速かった人たちが、何人も死んだ」と。体に心臓がついていかない人がいて、そういう症状は無自覚なものも多く、目一杯走り終わってから心拍数がそのまま下がらなくって死ぬのだそうだ。まー好きなことをやっていてころっと逝くのは良いと思うが、遺言だけは、今年は書いておこう。

コメント (8)
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