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近代的自我の確立   楽石

2008年01月10日 11時37分05秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
文科系さんが、コメントのなかで、
日本は近代的な自我が確立されていない
村社会であると、指摘していました。

思い出すのは、四半世紀前の近代文学の講義。
先生は、近代文学を、近代的な自我の確立のプロセスとして
描き出そうとしていました。
そして、どうも、漱石などは苦闘しても
確立しそこなった、というような結論だったと
思いますが???違うかな?

この近代的自我の確立論議は、いつの間にか消えていったようです。
どうも、日本が経済大国になったあたりから。
ということは、あの議論はコンプレックスの裏返し?

   

空気を読んでいく能力が問われる今は、
やっぱり、近代的な自我の議論が再び必要な時代かな?

でも、日本人ばかりじゃないでしょう。
近代的な自我が確立されていない国は。
確立されている国のほうが珍しいのでは?

また、なにを持って確立されたというのかな?



コメント (12)
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老人のニヒリズムが蔓延?      まもる

2008年01月10日 02時29分45秒 | 文芸作品
★政治的関心について「若者」は「無関心」という言葉が一番当てはまると思っている。
 では「老人」は? と考えていたが最近大森実氏のHPを見て「あっこれも一つだな」と思った。
 大森氏がいうように、強かに生きてきた「老人」こそ諦めてはいけないのだ。以下大森氏の主張の紹介。

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「新手段による世界の支配と搾取が狂気じみた進展を続けている間に、並よりも多少デリケートな頭脳をもったヨーロッパ人の間に、何のために生きているのかわからないという意識と、精神的な最悪観とが出来上がってしまった」(K.レーヴィット「ヨーロッパのニヒリズム」)

今年私がいただいた年賀状の特徴は、多くの年賀状にそれぞれの考え、時代観、憂国の情が書かれていたことである。内容により2つに分かれる。1つは「絶望」派、もう1つは「なにくそ」派である。昨年より絶望派が大幅に増えている。絶望派には「並より多少デリケートな頭脳」の持ち主が多いように感じている。
 ある高齢者は「日本の政治には期待できない、与党だけでなく野党も。大連立には失望した」。また60代の友人は「もう日本はどうしようもないのか。いまの政治家はどうしようもない。選挙に行っても誰に投票してよいかわからない。投票するのをやめようと思う」と書いていた。同じく60代の友人の手紙にも「小泉には初め少しだけ期待したが、裏切られた。安倍も福田もダメ。参院選で小沢に少しだけ期待したが、大連立と辞任騒動で幻滅した。この小沢を慰留した民主党にも絶望。政治家に期待すると裏切られる。もう期待しないことにした」とあった。
 日本国民の間に静かに広がるニヒリズムを克服しなければならない。どんな困難に直面しても逃げてはならぬ。「自公連立」、民主党ともダメ政党で改革できないなら「第三の党」が必ず登場する。政治変革の灯を消してはならぬ。ニヒリズムに落ちてはならぬ。

★ 皆さんはいかがお考えでしょうか?

 
コメント (2)
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