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歴史の事実は変えられない  へそ曲がり

2008年01月25日 16時22分51秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 南京事件をどんなに否定しても、証言者はいっぱいいる。歴史的事実だからである。だから「保守系」氏がどんなに足掻いても無駄である。くどいと言われても投稿を続ける。
 これは、昨年の12月、東京で開かれた「南京事件70周年」の集会での「伍 正禧」さんの証言である。
 
 南京事件「伍 正禧」さんの証言【私が見た蛮行・・・過ちもなく殺された】

 私の家はパンやめんを売る小商いをしていました。1937年の8月か9月ごろから日本軍による空襲が南京でありました。祖父は難を逃れるため、わたち一家を難民区に移しました。
 難民区でも商売をしながら生活をしましたがねメリケン粉ゃ油などの原料は元の家に置いたままでした。
 12月13日の昼ごろだったと思います。3人の日本兵が難民区の私の家に来ました。2人は小銃を担ぎ、もう1人は左側に刀を下げていました。その左腕には腕章があり、「中嶋」という文字が書かれていました。
 私の家族は大家族でした。その中の5人の男を日本兵は連れ去って行きました。兄とおじ、3人のいとこでした。いまになっても5人がどうなったかわかりません。
 難民区の付近を5人の遺体があるのではないかと必死に捜しました。
 難民区と非難民区の境にため池があり、そこには中国人の死体が沢山浮いていました。死体を動かそうとしましたが、動きませんでした。腕がひもで縛られ、5,6人がつながれていたのです。みんなうつ伏せになって浮いていました。
 その人たちの顔を上に向かせて1人ひとり確認しました。この中に自分の家族、親戚が見つかりませんようにと一生懸命祈りながら捜しました。
 近くで見つからないので、わたしは遠くで殺されたのだろうと思いました。当時、死体収容の組織ができたので、そこに入って死体収容の仕事を始めました。
 その間、無数の死体を目にし収容しました。村から難民区に逃れられなかった人たちは家の中で殺されていました。中国兵の死体もたくさんありました。女性の死体、子どもの死体を山ほど見ました。そして、それを収容しました。
 数日後、私と祖母が布団を干していた時です。日本兵が現れて祖母を捕まえ、中国語で「娘はいるか」と怒鳴りました。祖母が震えたまま答えないのに怒って、日本刀を引き抜きました。祖母は日本刀を見てさらに脅え、気を失いました。日本兵は祖母を蹴り、家に入りました。私は急いで祖母を抱き上げ玄関の外に逃げました。
 しばらくして、その日本兵が刀を下げたまま家から出てきました。私は祖母を連れて家の中に戻りました。奥の部屋に入った途端、私は大声を上げてしまいました。振り向くと、ひざまずくように歩いていた祖母が悲鳴を上げました。
 ベッドの周りが血の海になっていたのです。ベッドには祖父がいました。胸、足の付け根、太ももの3か所を日本刀で刺されていました。祖父はその日のうちに息を引き取りました。
 祖父は当時、80歳代でした。祖父になんの過ちがあったというのでしょうか。なぜ一言も声を上げられずに殺されなければならないのでしょうか。
 祖父の思いや無念を、私の口を通じて皆さんに知っていただきたいのです。
 
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ガソリン税の継続は天意にそむくこと?  楽石

2008年01月25日 11時06分41秒 | 国内政治・経済・社会問題
ガソリン税は期限を切った暫定的な税。
それがちょうど期限を迎えた。
時あたかも、石油の暴騰の時。
天は、もういい加減にせよ、と告げているのでは?

道路が出来ない、公共事業費が減って雇用が減る・・・

それよりも国民みなが困っている石油の暴騰。
これに応えるように天が配慮した、このチャンス。
生かさないのは天意にそむくのでは?

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