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沖縄裁判の経過と論点  へそ曲がり

2008年01月27日 20時16分12秒 | 国内政治・経済・社会問題
 大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判支援連絡会事務局長の「小牧 薫」氏が『法廷で語った「集団自決」の真実』というタイトルで、この裁判の経過と論点について述べられている記事を紹介します。(「しんぶん赤旗」1月16日付第9面)

 ノーベル賞作家で「9条の会」呼びかけ人の大江健三郎氏が被告とされた沖縄戦強制集団死(集団自決」)をめぐる裁判は2007年12月21日に結審しました。渡嘉敷島で強制集団死が起こった3月28日の午前10時、大阪地裁で判決が言い渡されます。

【提訴から1年後、本をパラパラと】

 この訴訟を起こしたのは、沖縄座間味島の守備隊長であった梅澤 裕元少佐と渡嘉敷島の守備隊長であった故・赤松嘉次元大尉の弟赤松秀一氏です。
 彼らは、岩波書店発行の家永三郎著『太平洋戦争』(1968年初版、2002年に岩波現代文庫となる)と大江健三郎著『沖縄ノート』(1970年初版)には梅澤・赤松隊長の命令によって「集団自決」が起こったと書かれているが、これは事実に反するとして、出版停止と名誉棄損などを理由に慰謝料を請求しています。事件が起こって60年、出版されてから35年もたって提訴されたのです。
 なぜ、これほどたってから訴訟を起こしたのでしょう。この訴訟に踏み切らせたのは、赤松嘉次氏の陸軍士官学校の同期で戦後も自衛隊員となった山本明元一佐の説得であったことが法廷で明らかになりました。しかも、梅澤氏が『沖縄ノート』を読んだのは提訴後1年もたってからで、赤松氏は「難しいですね兄のことが書いてある個所をパラパラ読んで」と証言しました。
 結局のところ、歴史修正主義を唱える自由主義史観研究会や右派政治家と「靖国応援団」の弁護士たちの後押しで、裁判に訴えたのです。この一事を取っても裁判に訴える資格がないことが明らかになりました。
 
【主張は二転三転「無理心中」とは】
 
 梅澤氏は「自分は断じて命令していない」と言い、赤松氏は「兄はそんなことをするはずがない」と言っています。ところが、日本兵から「米軍にあった時には一発を投げ、もう一発で自決を」と2個の手りゅう弾を渡されたと多くの人が証言しているのに、梅澤氏は「貴重な武器である手りゅう弾は隊長の許可なしに住民に渡すことはない」と言っているのです。
 そして、命令は助役が出したと責任を押し付け、のちには、那覇あたりの上司(県知事)が出したになり、最後は、「愛する家族を米軍に捕まらないようにするための無理心中」で「国に殉ずる美しい死」と二転三転する始末でした。
『沖縄ノート』には梅澤氏も赤松氏も名指しされていません。上地一史著『沖縄戦史』を引用しているだけなのです。それなのに曽野綾子氏の誤読に導かれて、「軍隊は住民を守らない」という沖縄戦の教訓を抹殺し、「戦争する国づくり」のために、教科書や歴史事典などの記述の訂正をねらったのです。そのことは、この訴訟の座間味島の守備隊長の「陳述書」が出されたことを根拠にして、2006年度高校日本史教科書の検定で「日本軍の命令、強制」を書き換えさせたことが如実に物語っています。

【教科書の記述を回復して後世に】

 被告側代理人は、研究者や体験者の協力を得て、沖縄戦集団死の真実を掘り起こし、法廷に提出しました。体験者である金城重明氏は、軍からの命令が出たらしいとの情報が伝えられて、村長が「天皇陛下万歳」を唱えたのをきっかけに、「集団自決」が行われ、家族に手をかけたことを証言しました。
 また、吉川勇助氏は防衛隊員が村長に「軍命」を耳打ちしたことを、宮平春子氏は兄・宮里盛秀助役兼防衛隊長が父に「軍からの命令で、敵が上陸してきたら玉砕するように言われている。国の命令だからいさぎよく一緒に自決しましょう」と言い、子どもたちを抱きしめて泣いたと証言しています。そのほかにも多くの生き残った人々が軍の命令・強制・誘導・指示なしに集団死が起こり得なかったことを証言しました。
「国体護持」のための捨て石作戦によって、住民が陣地構築などにかり出されたうえ、戦闘にまきこまれ、軍の足手まといにならないために、強制されて家族・親せき同士が殺し合ったのです。
 法廷でのようすから、勝利を確信していますが、歴史の真実を後世に伝え続けるためにも、裁判勝利と教科書の記述回復が望まれます。
 
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白鵬が優勝    楽石

2008年01月27日 18時50分39秒 | スポーツ
大相撲千秋楽、朝青龍と白鵬。
みごとな相撲で白鵬の勝。

しきりの時、いつも早く眼を離す白鵬が
朝青龍をじっと睨んでいた。
朝青龍が先に眼をはずした。
白鵬の気迫が勝った一番だった。

よいものを見せてもらった。

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岡田武史監督 その6  文科系

2008年01月27日 11時32分27秒 | スポーツ
昨夜の初陣ゲームを観られたろうか。初戦だからまーまーという方々も多いだろうが、僕は凄く不満だった。もうちょっとやってくれると思っていた。欠点を書いてみよう。当然、最後の頃のオシムサッカーとの比較になる。

①世界40位台中ほどのチームにボール保持率で負けるなんて、オシムが続けていたなら考えられない。46対54だった。
この原因は以下である。アジアと違って攻めてきた相手だから、マイボールを保持できなかったことが大きいのだろう。それは次のことにもつながり、このゲーム最大の欠点であった。
②前へ走ってボールを受ける動きが少なかったことだ。これは、多くの選手の中で最も的確な表現だと僕が思った阿部の講評でも分かる。
「納得がいかない。ゴール前でスピードアップできなかった」
流石、オシムの秘蔵弟子だ。DFなのに、このゲームでは攻撃のことにまず触れている。チーム全体の実力や、9月のヨーロッパ遠征(オーストリア、スイス戦)でオシムが新たに今後の最重点課題としたことやをキチンとつかんだ言葉なのだ。
「大事なときに皆でゴールに詰めて、連動して点にする」ということだ。岡ちゃんがやった密集の中のショートパス練習は、このための練習でもあったはずで、ゴールに詰めないからこれが生きなかった。ゴール前に数的優位が作れなかった。それでいて「ゴール前の個人能力ウンヌン」を言う評論家も日本には多いが、それは完全に日本チームの姿ではない。こういう間違った評論には惑わされぬようにしよう。

岡ちゃんもこう言っている。
「大久保が1、2点決めて『すべてよかった』とならなくてよかったかも知れない」
コメント (3)
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