九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

維新~大戦の日本評価に関わって  文科系

2008年01月01日 01時29分51秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
最初にお断りしておきたいことがある。近代日本を太平洋戦争の評価などまでも含めて、現代社会の常識的視点からおこなうというやり方も、不当なものだとは全く言えないということである。「そんなのは歴史の後知恵である。歴史をその時点で見よ」とは、保守派の方々がよくやる語り口だが、そういう彼らとて現代の日本人であり、宇宙人でも原始人でもないのだから。人間、自分の中の現代的特徴などというものを、誰が自覚できようかということである。その上で、できるだけ当時の基準で僕は以下を書いたつもりだ。

何かを評価するという場合、当然のことながら、評価の基準が問題になる。基準なしに評価するということはありえない。現代の基準でないとすれば、何を基準にしたら良いだろうか。当時の世の中を基準にするという以外にないと思うが、それもどんどん変わっていた。一例として、大正期には立憲主義的要素が大きくなり、30年代以降はそれが骨抜きになったという歴史学的常識もある。ともあれ明治維新当時、どんな社会的変化があったろうか。それを確認しておく。

A 幕府が倒れ、華族、士族、平民の3身分になった。後2者間の法的身分差はなくなった。
B そういう人々に、生存権、自由権、社会権など基本的人権というものが、多くの制約はありながらも認められた。
C なかでも人々の人生の幸せ追求というものに関わっては、次のようなことはとても大きいことだったと思う。教育の権利、移住の自由、職業選択の自由である。
なお、以上のような変化は、圧倒的に多かったはずの普通の人々にとっては最も歓迎されたところであろうと思う。つまり、こういう点でも、その時代評価の基準として以上A~Cは相応しいものだと、言いたいのである。

さて、本論である。僕は一昨日の予告文章でこう書いた。
「幕末から太平洋戦争までの日本の『富国強兵政策』は、西欧列強に追い込まれてやむを得ず行ったものという側面があるはずだ。それを、左翼などがよくやるように現代の『善悪論』だけで見るのは、西欧も同じようなことをしているわけであって、無理があり、一面的な不当なことではないか。日本が欧米列強の植民地にならなくて済んだばかりではなく、列強と対等の力をもったアジア、アフリカのほとんど唯一の国だという側面を、左翼はどうして見ようとしないのか。それは明治憲法下の大きな功績であるはずの大事なことだろう」
以上のことは、僕もこのとおりだと考えている。つまり、そういう諸「側面」が存在したというのは事実だと考えている。

江戸幕府末期の外交の苦心などを見ても、その後の「富国強兵策」が誤りであったなどとは、僕には言えない。周囲に植民地にされる国ばかりを見つつ、「強兵」をすべきでなかったとは僕には言えないということである。また、A~Cのような社会変化に西欧から学んだ内政がマッチして、国が富んでいったということも、人々にとって基本的には良いことだったろうと理解している。これを基盤にして、戦後の急速な民生安定があったという歴史的事実も存在する。

しかし、だからと言って以上が、次のことになるなずだとどうして言えるのかというのが、最も肝心な点である。
①「こういう明治維新から太平洋戦争までがすべて外から強いられた一連の必然的な流れであった」
②「日本が以降にやったことは、西欧列強も全く同様に行っていたことである」

まず①についてだが、こんなことは仮説にもならないはずである。以降太平洋戦争まで無数の歴史的諸事件があるのであって、それらが「全て強いられたもので」、「全て必然であった」というには無数の歴史的実証が必要だろうからである。なお、この命題が我々の側に実証的反論がまず要求されるというものではないことは、自明である。百年近い歴史とその結末の大破局を一連の強いられた必然的な流れであると語るとしたら、そう語る方が実証的説明責任があるというのは、当然のことだからである。
ついで②についてだが、これについてもまた仮説にもならず、無数の実証的比較が必要なことだと、先ずは言いたい。ただし、こちらのほうは、以下のことが世界史の定説に近いようなものに既になっているとも述べておきたい。
上のA~Cについていわゆる連合国と3国同盟国との間では大きな差があったと。同盟国の方をファッシズム国家と呼ぶのは、戦後世界の常識である。そして全体主義国とは、連合国のなかの近代諸国家に比べてやはり基本的人権の定着に後れを取っていた国ということであろう。国民の生存権というA~Cの中で最も重要な視点から眺めてみよう。
我が命だけのためにか、ベルリン陥落、自らの自殺という結末まで、結局国民の命、苦難を省みなかったヒットラー。同じく、降伏やポツダム宣言を受け入れず、南島などのおびただしい兵士を見殺しにして、あまつさえ沖縄と広島、長崎の悲劇を招いたその末に、皇居への原爆を恐れたかのようにその直後になってやっと降伏を決意したヒロヒト。
これらの結末が、次のことを雄弁に物語っている。A~Cなどは結局二の次であって、それらが天皇やヒットラー一個人の命よりもはるかに軽い国家体制であったと。
自国民でさえそのような扱いを受けた国であれば、その占領下の他国民に対してどんな行為をなしたかは、容易に推察できるというものである。上記A~Cにおいてさえ、女性差別など多くの制限、制約があり、その上戦時下のことでもあるのだから、なおさらのことと推察される。
コメント (15)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする