九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

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田中宇さんのブログより  落石

2008年03月08日 17時05分49秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
田中さんのブログを読んでいたら、こんなことが書いてあいりました。

   

私が自分なりに国際政治を何年か分析してきて思うことは
「近代の国際政治の根幹にあるものは、
資本の論理と、帝国の論理(もしくは国家の理論)との
対立・矛盾・暗闘ではないか」ということだ。
キャピタリズムとナショナリズムの相克といってもよい。

帝国・国家の論理、ナショナリズムの側では、
最重要のことは、自分の国が発展することである。
他の国々との関係は自国を発展させるために利用・搾取するものであり、
自国に脅威となる他国は何とかして潰そうする。
(国家の中には大国に搾取される一方の小国も多い。
「国家の論理」より「帝国の論理」と呼ぶ方がふさわしい)

半面、資本の論理、キャピタリズムの側では、
最重要のことは儲け・利潤の最大化である。
国内の投資先より外国の投資先の方が儲かるなら、
資本を外国に移転して儲けようとする。
帝国の論理に基づくなら、脅威として潰すべき他国でも、
資本の論理に基づくと、自国より利回り(成長率)が
高い好ましい外国投資先だという、論理の対峙・相克が往々にして起きる。

帝国の論理に基づき国家を政治的に動かす支配層と、
資本の論理に基づき経済的に動かす大資本家とは、
往々にして重なりあう勢力である。
帝国と資本の対立というより、支配層内の内部葛藤というべきかもしれない。
ただ欧米の場合、大資本家にはユダヤ人が多く、
彼らは超国家的なネットワークで動いている。
その意味では資本と帝国の相克は、ユダヤとナショナリズムとの相克と見ることもできる。


   

この観点は、帝国主義は資本家と国家の癒着である、
というものの見方を一歩、進めた点で、面白いと思います。
現在、進行中のグローバリゼーションが、今後、
どんな展開を見せるのか?
一つの観点を提供してくれると思います。

グローバリゼーションはヘーゲルのいう「世界精神」かも。

コメント (7)
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番外編 「トロントだより」  文科系

2008年03月08日 00時10分04秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 カナダに四十日ばかり、連れ合いとともに観光および滞在をすることになった。入国十日ほどは観光、以降はカナダ最大都市・トロント中心部に入り込み、ブロワー・ヤング交差点という繁華街から二百メートルほどの所に一ヶ月の予定でワンルームを借りて住んでいる。家具付き、自炊式だ。
 二百五十万大都市の名古屋で言えば東新町交差点からちょっと入った辺りというおもむきの十二階ビルの五階なのだが、日本とは全く感じが違う。まず、ビルを出て行くときに必ず数匹の黒いリスに出会う。冬眠に備えるために食い溜め真っ最中といったところ。ビル周辺などの巨木群の中に住んでいるのだろう。冬が厳しいから猫もカラスもいない天国ということかななどとも考えてみたが、それにしても自然を意識して残しているようで、緑いっぱいかつ公園も多かったりして、周辺が美しいのである。土地の広さの問題かななどと考えていた。

 さて、環境はこんなに綺麗なのに、「乞食?」が多い。百メートルほど出たところの大通りショッピング兼グルメ街に、ちょうど名古屋の広小路に当たるような所を百メートルも歩けば、必ず見かける。綺麗な身なりだったり、本を読んでいる知識人風の人とか、大きなリュックを脇に置いてヒッチハイクのようにやっているうら若い女性など、「普通の人」が多いのに驚いた。それと分かるのは、小銭の入った帽子のようなものを真ん前に置き、必ず目を合わせてきてほほえみかけ、同時に何か物乞いらしい言葉を堂々と話しかけてくるからだ。みるからにそれらしい人のほうは、こんなに堂々としていないことも多い。リカーショップでワインを買って出たその唯一の狭い出口のすぐ脇に座り込んでいて、呼びかけて来た頑丈そうな「壮年」にも出会った。「お前、そんなに酒呑めるんなら、ちったー分けてくれや」と言われているようで、気が咎めるような心境になって通り過ぎたものだ。「この『風習』は何なんだろう」と連れ合いと討論になった。「厳しい冬はまさに死活問題というのが社会的コンセンサス」とか、「西洋にはノーブレスオブリージ、『貴族は施すべし』とでもいう昔からの習慣があると聞くが、その裏返しも綿々と残って来て、ここに定着しているんだろうか」などと言いあっていただけだったが。

 繁華街には食べ物屋が多い。「横浜中華街」のような所ではないはずなのに軒並みである。ビストロ、カッフェ、トラットーリア、ピザハウス。「サイゴン・シスターズ」と看板にあるのはベトナム料理、韓国語混じりの「SUSHI」店、あるいはインド料理店、これらもアパートから二百メートルも行かない所に全て存在する。その半径の内に食べ物店がまず半分近いのではないか。そして、それらの店には三、四時にはもうビールと僕の一食分ほどの「つまみ」をやっている人々がいる。ちなみにカナダへ来てからの僕ら夫婦は、食べ物屋ではまず一人前しか決して注文しない。大抵はそれで十分である。メイン料理が大きくてポテトチップスなどの「添え物」がどっさりだし、別皿でパンも付いてきたりするからだ。ところが、脇を見るとそれぞれ二皿目を注文しているカップルなども多い。こう見るとカナダの人々はまず僕らの四倍、日本人平均の三倍は食べているのではないか。いやほんとに。これなら食べ物屋が日本の三倍あっても良いはずで流行るわけだと妙な納得をした次第。
 がしかしそう考えたとき今度はいらぬ心配が二つ、一つは太りすぎ、今ひとつはエンゲル係数である。雪国は一般に大きい人が多いが、ここの大きさは並ではない。まず飛行機のエコノミー席には腰が収まらないだろうという方々もちらほらだ。既に救急車一回が四万円ほどの有料と聞いたが、今後の医療費が心配になった。エンゲル係数に関しては、こんなことを考えていた。食物関連産業によって他の産業がかなり押さえつけられているのではないかな、物価は日本と同じ感じなのにこれだけ食いしん坊なんだから。食物国内自給率が高いとすれば景気には良いことだけど、アメリカ農業に押されているのなら凄い貿易赤字になるんじゃないかな。とすると、食物自給率の動向はどうなんだろう、これがカナダの最大問題だなどなどと。
コメント (2)
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