★ 現代の戦争とりわけ原爆投下以降アメリカが戦争で実験・開発した殺戮兵器は数が知れない。ベトナムの枯葉剤、イラクの劣化ウラン弾などは市民をその後遺症で苦しめ妊婦、子供、老人などが何千何万と死の床に横たわっている。
ブッシュのアメリカは悪の帝国として君臨し続けそれに従属し手を染めている国が日本である。
湾岸戦争といえばもう記憶に遠い過去の出来事であるが、それがもたらした戦争の爪あとは今もイラクの子供たちの未来を奪い続けている。
そうした事実の貴重な報告がウエブにあるのを見つけた。田中宇氏が数年前に載せた報告である。
2003年1月13日 のイラク視察の様子を田中さんが「イラク日記」に次の様に記している。湾岸戦争で使用された米軍の劣化ウラン弾の悲惨な後遺症の様是非呼んでいただきたいので紹介する。(ネット虫)
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今日は、南部の町バスラに行く日だ。バスラはクウェート国境近くのイラク第2の都市で、湾岸戦争の激戦地にも近い。湾岸戦争時、米軍はこの地域の戦闘で劣化ウラン弾を使用した。劣化ウランは原子力発電所などから出る核廃棄物だが、これを混ぜることで安い価格で密度の高い弾を作ることができ、ミサイルや対戦車砲の表面に使うと砲弾の貫通力が強まる。ウランは重い金属で、鉛の弾と同じ大きさで、鉛よりずっと同じ重さの弾を作れる。この重さが、貫通力を高める。
劣化ウランは放射能を出して人体に被害を与えるが、戦場で使う分には「敵」に対してのみ放射能をばらまくのでかまわないということで、米軍は湾岸戦争やコソボ戦争などで劣化ウラン弾を使った。
ところが実際には「敵」の中には無数の市民がいた。クウェート国境近くのイラク領内で米軍が発射した大量の劣化ウラン弾からばらまかれた放射性物質は、砂漠の砂塵に混じって周辺の村々やバスラ市内に到達し、湾岸戦争が終わった数カ月後の1991年夏ごろから、バスラ一帯では放射能の影響と思われる白血病やガン、奇形児の出産が増加した。
これらの患者数は湾岸戦争から12年が経過した今になっても減らず、バスラだけでなく、バスラから500キロ離れた首都バクダッドなどでも、1995年ごろから劣化ウラン弾が原因と思われる白血病やガンなどの患者が増えだした。子供や胎児に被害が大きいため、バスラとバクダッドに、白血病やガンを専門とする小児科・産婦人科病院が作られている。
(湾岸戦争に参戦した米軍など多国籍軍の兵士にも、劣化ウラン弾が原因と思われる症状が出ている。最近ではアフガニスタンで同様の被害が注目され、2001年秋のアフガン戦争で米軍が劣化ウラン弾を使った可能性が指摘されている。アフガン戦争前の2000年5月に私がアフガニスタンに行ったときは、ジャララバードでアフガン人の医者が「ソ連軍が劣化ウラン弾をつかったため、奇形児が出産される率が高くなっている」と言っていたが)
私たちの旅行団の目的は、戦争や経済制裁で苦しむイラクの人々の実状を知り「連帯」や「慰霊」をすることが団体としての目的なので、バスラに行って劣化ウラン弾の被害に関連する場所を日帰りで訪れることが、日程の中に組み入れられた。
バスラに着いて最初に訪れたのは、劣化ウラン弾の影響と思われる白血病や各種のガンに冒されている子供たちが多い「バスラ小児科産婦人科病院」だった。担当医師によると、子供の白血病やガンは、湾岸戦争前にはほとんどいなかったが、湾岸戦争終了から半年後ぐらいから増加し始め、1995年ごろにはバスラ周辺だけでなく、イラク全土で増加が顕著になった。今では毎週5人ほどが入院してくる。
白血病の治療は、複数の薬を組み合わせて投与すると効果があるが、必要な何種類かの薬のうちのいくつかが「生物兵器の原料になりかねない」という理由で、国連から経済制裁の対象製品に指定されて満足な治療ができないという。
輸入薬に頼らず、アラブの伝統的なハーブ系の薬草を使った治療なども試みているが、十分ではない。「アメリカは、劣化ウラン弾をばらまいて子供たちを病気にしただけでなく、薬の輸入を禁じて治療をさせないようにして、無実の子供たちを殺している。薬があれば直る子供たちが死んでいくのを見るのが、医者として一番つらい」と担当医は怒っていた。
劣化ウラン弾の影響と思われる白血病やガンの子供たちを収容する病院はバクダッドにもあり、私たちは違う日にそこも訪問したが、そちらには頭など体のあちこちが膨れ上がったガンの末期症状の子供もいた。傍らにいる母親は目もうつろで、深く悲しんでいることがうかがえた。病室を出た後、担当医が小さな声で「あの子はあと1週間ぐらいしか持たないと思う」と言った。
病院を訪れて印象的だったことの一つは、患者は一人で寝ているのではなく、母親など親族が必ず一緒にいることだった。親族は昼間だけのお見舞いに来ているのではなく、患者と一緒に夜も病院に寝泊まりしているのだという。
バスラで次に訪れたのは、病院の近くにある子供専用の墓地だった。近くの病院で死亡した6歳以下の子供が埋められているという。500メートル四方ぐらいの広い空き地に、見渡す限り小さな土饅頭が点在している。それぞれの土饅頭は、上の部分が簡単にコンクリートで固められ、そこにアラビア語で死んだ子供の名前や死亡日が刻まれていた。
全部で数百人分か、それ以上はあった。古いものは崩れてコンクリートがはがれていき、その上にまた新しい遺体が埋められるので、全部で何人埋まっているかは分からない。
このような子供専用の墓地は、バスラにはほかにもある。堀越上人と松崎さんは1995年にもバスラを訪れ、その際に市内の別の場所にある子供用墓地を訪れたが、そのときにはたまたま子供を埋めにきた家族がいて、掘っているうちに前に誰かが埋めた別の子供の遺体が出てきてしまい、あわてて埋め戻しているのを見たという。
堀越さんと松崎さんが太鼓を打ち、線香を焚いていると、向こうから墓守の老人がやってきた。手に持っている過去帳を見せてくれたので、そこに載っている人数を数えたところ、過去1年間に350人の子供がここに運ばれてきていることが分かった。ほぼ全員が、近くの病院で亡くなったもので、多くは劣化ウラン弾が原因と思われる白血病やガンか、経済制裁が一因の栄養失調やその他の障害による死亡だという。
バスラ周辺では、今も毎日のように白血病やガンに冒されて入院する子供たちがいる。今日は土の上で元気に遊んでいる子供たちも、いつ冷たくなって土の下に埋まる状態になるかもしれない。そんな状態なのに、子供たちは明るく全力で遊んでいて、嘉納さんや私がカメラを持っていることに気づくと、どんどん寄ってきて、我も我もと撮ってもらおうとする。衝撃的という表現を超えて、なんだか不思議な光景だった。
☆写真は知り合いの子供の埋葬を見物する子供たち。バスラで
ブッシュのアメリカは悪の帝国として君臨し続けそれに従属し手を染めている国が日本である。
湾岸戦争といえばもう記憶に遠い過去の出来事であるが、それがもたらした戦争の爪あとは今もイラクの子供たちの未来を奪い続けている。
そうした事実の貴重な報告がウエブにあるのを見つけた。田中宇氏が数年前に載せた報告である。
2003年1月13日 のイラク視察の様子を田中さんが「イラク日記」に次の様に記している。湾岸戦争で使用された米軍の劣化ウラン弾の悲惨な後遺症の様是非呼んでいただきたいので紹介する。(ネット虫)
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今日は、南部の町バスラに行く日だ。バスラはクウェート国境近くのイラク第2の都市で、湾岸戦争の激戦地にも近い。湾岸戦争時、米軍はこの地域の戦闘で劣化ウラン弾を使用した。劣化ウランは原子力発電所などから出る核廃棄物だが、これを混ぜることで安い価格で密度の高い弾を作ることができ、ミサイルや対戦車砲の表面に使うと砲弾の貫通力が強まる。ウランは重い金属で、鉛の弾と同じ大きさで、鉛よりずっと同じ重さの弾を作れる。この重さが、貫通力を高める。
劣化ウランは放射能を出して人体に被害を与えるが、戦場で使う分には「敵」に対してのみ放射能をばらまくのでかまわないということで、米軍は湾岸戦争やコソボ戦争などで劣化ウラン弾を使った。
ところが実際には「敵」の中には無数の市民がいた。クウェート国境近くのイラク領内で米軍が発射した大量の劣化ウラン弾からばらまかれた放射性物質は、砂漠の砂塵に混じって周辺の村々やバスラ市内に到達し、湾岸戦争が終わった数カ月後の1991年夏ごろから、バスラ一帯では放射能の影響と思われる白血病やガン、奇形児の出産が増加した。
これらの患者数は湾岸戦争から12年が経過した今になっても減らず、バスラだけでなく、バスラから500キロ離れた首都バクダッドなどでも、1995年ごろから劣化ウラン弾が原因と思われる白血病やガンなどの患者が増えだした。子供や胎児に被害が大きいため、バスラとバクダッドに、白血病やガンを専門とする小児科・産婦人科病院が作られている。
(湾岸戦争に参戦した米軍など多国籍軍の兵士にも、劣化ウラン弾が原因と思われる症状が出ている。最近ではアフガニスタンで同様の被害が注目され、2001年秋のアフガン戦争で米軍が劣化ウラン弾を使った可能性が指摘されている。アフガン戦争前の2000年5月に私がアフガニスタンに行ったときは、ジャララバードでアフガン人の医者が「ソ連軍が劣化ウラン弾をつかったため、奇形児が出産される率が高くなっている」と言っていたが)
私たちの旅行団の目的は、戦争や経済制裁で苦しむイラクの人々の実状を知り「連帯」や「慰霊」をすることが団体としての目的なので、バスラに行って劣化ウラン弾の被害に関連する場所を日帰りで訪れることが、日程の中に組み入れられた。
バスラに着いて最初に訪れたのは、劣化ウラン弾の影響と思われる白血病や各種のガンに冒されている子供たちが多い「バスラ小児科産婦人科病院」だった。担当医師によると、子供の白血病やガンは、湾岸戦争前にはほとんどいなかったが、湾岸戦争終了から半年後ぐらいから増加し始め、1995年ごろにはバスラ周辺だけでなく、イラク全土で増加が顕著になった。今では毎週5人ほどが入院してくる。
白血病の治療は、複数の薬を組み合わせて投与すると効果があるが、必要な何種類かの薬のうちのいくつかが「生物兵器の原料になりかねない」という理由で、国連から経済制裁の対象製品に指定されて満足な治療ができないという。
輸入薬に頼らず、アラブの伝統的なハーブ系の薬草を使った治療なども試みているが、十分ではない。「アメリカは、劣化ウラン弾をばらまいて子供たちを病気にしただけでなく、薬の輸入を禁じて治療をさせないようにして、無実の子供たちを殺している。薬があれば直る子供たちが死んでいくのを見るのが、医者として一番つらい」と担当医は怒っていた。
劣化ウラン弾の影響と思われる白血病やガンの子供たちを収容する病院はバクダッドにもあり、私たちは違う日にそこも訪問したが、そちらには頭など体のあちこちが膨れ上がったガンの末期症状の子供もいた。傍らにいる母親は目もうつろで、深く悲しんでいることがうかがえた。病室を出た後、担当医が小さな声で「あの子はあと1週間ぐらいしか持たないと思う」と言った。
病院を訪れて印象的だったことの一つは、患者は一人で寝ているのではなく、母親など親族が必ず一緒にいることだった。親族は昼間だけのお見舞いに来ているのではなく、患者と一緒に夜も病院に寝泊まりしているのだという。
バスラで次に訪れたのは、病院の近くにある子供専用の墓地だった。近くの病院で死亡した6歳以下の子供が埋められているという。500メートル四方ぐらいの広い空き地に、見渡す限り小さな土饅頭が点在している。それぞれの土饅頭は、上の部分が簡単にコンクリートで固められ、そこにアラビア語で死んだ子供の名前や死亡日が刻まれていた。
全部で数百人分か、それ以上はあった。古いものは崩れてコンクリートがはがれていき、その上にまた新しい遺体が埋められるので、全部で何人埋まっているかは分からない。
このような子供専用の墓地は、バスラにはほかにもある。堀越上人と松崎さんは1995年にもバスラを訪れ、その際に市内の別の場所にある子供用墓地を訪れたが、そのときにはたまたま子供を埋めにきた家族がいて、掘っているうちに前に誰かが埋めた別の子供の遺体が出てきてしまい、あわてて埋め戻しているのを見たという。
堀越さんと松崎さんが太鼓を打ち、線香を焚いていると、向こうから墓守の老人がやってきた。手に持っている過去帳を見せてくれたので、そこに載っている人数を数えたところ、過去1年間に350人の子供がここに運ばれてきていることが分かった。ほぼ全員が、近くの病院で亡くなったもので、多くは劣化ウラン弾が原因と思われる白血病やガンか、経済制裁が一因の栄養失調やその他の障害による死亡だという。
バスラ周辺では、今も毎日のように白血病やガンに冒されて入院する子供たちがいる。今日は土の上で元気に遊んでいる子供たちも、いつ冷たくなって土の下に埋まる状態になるかもしれない。そんな状態なのに、子供たちは明るく全力で遊んでいて、嘉納さんや私がカメラを持っていることに気づくと、どんどん寄ってきて、我も我もと撮ってもらおうとする。衝撃的という表現を超えて、なんだか不思議な光景だった。
☆写真は知り合いの子供の埋葬を見物する子供たち。バスラで