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 随筆 世界を狭くした話  文科系

2011年11月07日 08時09分22秒 | 文芸作品

 やってしまった。10数回続いた同窓生飲み会の席に捨て台詞を残し、お金を机の上に叩き付けるようにして帰ってきてしまった。振り返れば、当然「もう二度と来ない」というような怒りを撒き散らしていただろう。この出来事、僕のアイデンティティーに関わることなので色々悩むことになったのだが、顛末の報告のように書いてみる。

 中学と、それに連結した高校の同窓生8名ほどで、一昨年から2~3か月に一度ほどやってきた飲み会がある。高校だけの人が半数以上で常時参加者は約7名ほど。女性が1人で、主催者は僕ともう一人の昔の親友だ。そこに僕は、それぞれの文化の交流が欲しかったのである。去年の秋頃だったか、個室でやった機会にギターを持ち込んだことがあった。1曲目後半からもう聴いていず、てんでに声高なお喋りが始まった。この時は、興味がないのだなと単純に処理できて、2曲目はほとんど弾かなくて終わった。まーこんなものかと、そんな感じで。
 次に、先日こんなことをやってみた。ある随筆を読んだのである。「僕にとって大事なモノで、今後のここの話の種にもして欲しいから」と、前置きを付けて。モノは、ここにも載せた随筆「死にちなんで」(本年1月1日掲載)。読み始めて半分ほどは聴いていたが、その後がいけない。一人がおしゃべりを始めたら、たちまちザワザワとなっていった。そこで、冒頭に述べたような態度に、出てしまったのである。

 さて、それからは悩んだ。特に親しい連中とのこの場所に出ないことにすれば、延べ150人ほどでみんな親しい同窓会自身にも出席し辛いことは明らかだし、普通に考えれば僕の態度が非常識なことも分かりきっているからだ。
 ここに加えるに、僕とともに呼びかけ人をやってきたKくんから、5日たって手紙が来たのである。この会の成り立ちを振り返り、「ジェントルマンであるのが、最低のルールです」と記した上で、次回○日には「皆さんの元気なお顔を期待しています」とあった。さらにまた、悩むことになった。が、この手紙が来る前にほぼ決めていた通りの結論を、K君の手紙10日後に僕は返信した。

【 こういう手紙、ご案内をいただいたことに、まず心を込めて感謝したいと思います。「昔の友達」なればこそと、ね。あーいう非常識な去り方をした以上そちらからはほかっておかれても普通だと、今なら僕も思いますから。あの時はそうは思わなかったのですが。僕の方でも、他人には分かりにくい事情が絡んでいるゆえ、今後どうしようかとあれからずっと迷い、悩んでいました。親しかった人たちとの、楽しい場所だったからです。そして、半ば結論が出た段階でこの手紙が来たわけでした。この昔の仲良しが与えてくれた話を聞いてもらえる機会にあたって、僕なりの結論と理由を述べさせていただきます。あなたの手紙が来たあともいろいろ悩んだ末の、結論内容です。

 今後はそこには出ません。そして、同窓会も出ないと決めました。理由をどう分かっていただけるかと考え抜きましたが、まーこんな風に説明するのが分かりやすく、ありのままの心を素直に受け取ってもらえるだろうと、考え至った所を述べさせていただきます。

 僕は一種のオタクなのです。今の毎日の生活が、こうですから。
 大学時代の友人2人と6年ほどやってきたブログは、そこに書く為の勉強も含めて一日に使う時間が4時間ではきかないでしょう。おかげでこのブログ、週延べアクセス数2000人、閲覧数15,000回ほどにまで育ちました。現役時代から準備していて定年後教師についたギターを日に2~3時間弾いています。外国旅行はもちろん、最近は国内一泊旅行にも必ず持って行くという調子です。日々の練習を欠かしたくないからです。この二つだけで人の一労働日近い時間を費やしているでしょう。他に、同人誌の活動があり、月に一冊の小冊子を編集・印刷し、年一冊の同人誌本を編集・発行する仕事も半分委ねられています。
 そして何よりも、それらすべての背後に、この前読みかけた随筆の「生き方」が横たわっています。つまりこの「生き方」、哲学がオタクということです。上に時間数やいろんな数字などなどを細々と書いたのは自慢のためではなく、オタクの度合を示したかったということです。

 さて、この前のような度外れの怒りは、あれだけを取り出せば確かに何の礼儀もわきまえぬ酔っぱらいです。K君の言葉で「ジェントルマン」の対立物であって、まー弁解の余地なしと言うしかありません。でもちょっと、こんな風に考えてみて下さい。一人のあるオタクがいたとして、昔慣れ親しんだ仲間と10回ほど飲む場があったとしたら、彼のオタク性が出てくるのは彼にとっては望みであり、自然なことであろうと。そして先回のあの時は、彼がその「オタクの根拠」、哲学を一生懸命読み始めたのだろうと。

 一度目のギターの時は、こう判断してあっさり引き下がりました。唐突だっただけに遠慮がちにやったことでもあるし。
「あーみんなはこれは興味がないんだ。やめておこう。僕もパーティーの余興ていどの積もりだったのだし」
 05年にオーストラリアに3か月ホームステーした時、毎日の練習のためにギターを持って行って、ホームパーティーなどでよくやりましたし、以降海外旅行にも必ず持って行き練習し、やはり会食会などにやっています。ギター付きのパーティー、ホームコンサートみたいなものは我が家でも他でもよくやっています。普通の生活の中に趣味、文化を味付けしたい人間で、「文化の生活化」の積もりなんですね。ギターホームパーティーでの僕は、随筆も読みますし。「あの時」も、その延長のような積もりだったんです。これが、まさに僕のオタク性。
 逆に、ギターの発表会のようなK君言うところの「晴れがましい(形式的な)行事」は嫌いで、教室のそれはこの8年間一度も出演したことはありません。一応上級者の月謝を払って、上に述べたように人一倍励んでいる積もりなのですが。

 さて、ギターを引き下がった時は余興だからと、僕の気持ちは随分軽かったんですよ。が、今回は単に余興ではなく、僕のオタク性そのものの所在説明を出したものと、そう考えてみて下さい。同人誌活動を現役時代から20年近くやってきたその小説、随筆のうちで一番大切な随筆の一つでした。あそこで事前に述べたように、今後の話の種にしてほしいという動機、望みを持ってだったんですが。

 まー僕もすごく短気になりました。人生が短くなるごとに、生き急いで、見ている世界が狭くなっているのでしょう 】

 さて、この始終を本日連れ合いにそのまま話してみた。連れあいは、おおむねこう語った。あなたのアイデンティティー絡みなのだから、譲りたくなければその必要なし。外って置きたいならば、それでよし。ただ、もし向こうが改めて出てくれと言ってきたらどうするの? 僕はこう答えた。
「だったら出席して、あらためてあの随筆を読むよ」
 世の中にはこういう人間もいると、世の人々、特に男たちに知ってもらいたい。
コメント (9)
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