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随筆 「世界を狭くした話」(最終版です)  文科系

2011年11月30日 09時31分52秒 | 文芸作品
 以下は、前に掲載した習作を、同人誌月刊冊子に向けて改作した、最終版です。ご笑覧あれ。なお、これを息子に見せたら一読こんな感想が返ってきました。「意味が分からん!」。そんなものかなーと驚いたものです。



 世界を狭くした話  

 やってしまった。十数回続いた同級生飲み会の席に捨て台詞のようなものを残し、お金を机の上に叩き付けるようにして帰ってきてしまった。交通機関を使う気分にもなれず三キロほどを歩いて帰る道すがら、怒りのやり場に困っている自分しか見えなかった。

 中学と、それに連結した高校の同級生八名ほどで、一昨年からやってきた飲み会がある。常時参加者は約七名ほど。女性が一人で、呼びかけ人は僕ともう一人の昔の親友だ。そこに僕は、去年の秋頃だったか、個室でやった機会にギターを持ち込んだことがあった。許しを得た一曲目も後半からもう聴いていず、てんでに声高なお喋りが始まった。このときは、興味がないのだなと了解できて、すぐ止めにした。次に先日、ある随筆を読んでみた。「僕にとって大事なモノで、今後のここの話の種にもして欲しいから」と前置きをつけて。ものは「死にちなんで」。一度きりの人生への僕のまー長年かけた覚悟を描いた書のようなもんだ。読み始めて三分の二ほどは聴いていたが、その後がいけない。そこで冒頭に述べたような態度に出てしまったのだ。さて、それからは迷った。親しい連中とのこの場所に出ないことになるならば、みんな親しい百五十人ほどで構成する同期会自身にも出辛いことになるし、普通に考えれば僕の態度が礼を失することも明らかなのだし。
 ここに加えるに、僕とともに呼びかけ人をやってきたKくんから、五日たって手紙が来た。この会の成り立ちを振り返り、「ジェントルマンであるのが、最低のルールです」と諫めた上で、次回○日には「皆さんの元気なお顔を期待しています」とあった。さらにまた悩むことになったが、K君の手紙十日後に、僕はこう返信した。

 『こういう手紙、ご案内をいただいたことに、まず心を込めて感謝したいと思います。「昔の友達」なればこそと、ね。あーいう非常識な去り方をした以上そちらからはほかっておかれても普通だと、今なら僕も思いますから。(中略)
 今後はそこには出ません。そして、同窓会も出ないと決めました。理由をどう分かっていただけるかと考え抜きましたが、まーこんな風に説明するのが分かりやすく、ありのままの心を素直に受け取ってもらえるだろうと、考え至った所を述べさせていただきます。
 僕は一種のオタクなのです。今の毎日の生活が、こうですから。
 大学時代の友人二人と六年ほどやってきたブログは、そこに書く為の勉強も含めて一日に使う時間が四時間ではきかないでしょう。おかげでこのブログ、週延べアクセス数二千人、閲覧数一万五千回ほどにまで育ちました。現役時代から準備していて定年後教師についたギターを日に二~三時間弾いています。(中略)この二つだけで人の一労働日近い時間を費やしているでしょう。他に、同人誌の活動があり、月に一冊の小冊子を編集・印刷し、年一冊の同人誌本を編集しています。
 そして何よりも、それらすべての背後に、この前読みかけた随筆の「生き方」が横たわっています。つまりこの「生き方」がオタクということです。上に時間数やいろんな数字などを細々書いたのは自慢のためではなく、その度合を示したかったということ。一人のあるオタクがいたとして、昔慣れ親しんだ仲間と何回も飲む場があったとしたら、彼のオタク性が出てくるのは彼にとっては望みであり、自然なことであろう、と。(中略)
 〇五年にオーストラリアに三か月ホームステーした時、毎日の練習のためにギターを持って行って、ホームパーティーなどでよくやりましたし、ギター付きのパーティー、ホームコンサートみたいなものは我が家でも他でもよくやります。普通の生活の中に文化、趣味を持ち込みたい人間なんです。ホームパーティーでの僕は、随筆も読みますし。「あの時」も、その延長のような積もりだったんです。これが、まさに僕のオタク性。(中略)
 まー僕もすごく短気になりました。人生が短くなるごとに、生き急いで、見ている世界が狭くなっているのでしょう』

 さて、僕の中でことが一段落したある夜、この始終をそのままに連れ合いに持ちかけてみた。考え込む風もなくすぐに、こんな答えが返ってきたものだ。
「あなたのアイデンティティー絡みなのだから、譲りたくなければそれでよし。というかあなたにはむしろ、外って置く方を勧める。ただ、もし向こうが改めて出ろよと言ってきたらどうするの?」
 僕は一瞬、彼女の目を見直した。こういうときの連れ合いの迷いのなさには時に驚くことがある。がすぐに、僕への忠告含みとも受け取ることができた。一種自分を譲りすぎて誤解とか損とかを招いてきた僕を知り抜いているからだ。そこで僕は、こう答えた。
「だったら出席して、あの随筆を読み直すよ」。
 こんな人間がいると主張し尽くすのも良いことかもしれない。特に、日本の男たちには。
コメント
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