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随筆紹介 万葉からだ歌(一)   文科系  

2012年01月24日 01時07分55秒 | Weblog
 今回から数回にわたって、僕らの同人誌主宰の随筆を紹介したい。彼はここのところ数年、毎月の冊子にずっと読まれた古典を短く紹介されたり、その内容に関わることを書かれている。題して「古典はリアル」。そして今は、「万葉からだ歌」ということで連載を続けられている。

古典はリアル ー万葉からだ歌ー(一)目    N.Rさん

 万葉集には、目、眉、髪、手足と、からだで語る言の葉が多い。これがもともと日本語の基礎語だから、時代が千年、二千年と変わっても、あまり変化しない。古人が手と詠めば現代も手であり、胸、肌とてもおなじだ。たしかに、からだはどの部分も雄弁で、人間は、からだじゅうで語りかけて秀歌を育んできた。
「目・見る、見る、視る、看る」
 振り放ちて三日月見れば一目見し
 人の眉引き思ほゆるかも(6ー994 言うならば、万葉集の目次であって、この歌の所在を示すものですー文科系)
 若き日の大伴家持の一首だが、〈私は三日月を見てびっくり。あなたの美しい眉引きとそっくりです。今一度、早くお目にかかりたいものです〉
 見る、目線、視線、まなざし「思う、考える」のはじまりだったのだろう。互いに正面から目を交わし合っている状態は、つまり心の合意だったにちがいない。目をそらしてでは言葉も心も通じていないことか。
 目はよく物を言う。〈母のその目は、子どもをすでに許していた〉など、小説の中の名セリフは多い。「人生観」「生と死を見つめている」も目が主役。
 病院などで「診てもらう」看護師や付き添いの人に手当てしてもらうことも「診てもらう」だ。「診る」の字は、手をそえて見守ってもらうの意。これが看護の基本で、死んでゆく人も「見送る」と、目でのお別れ。
 これ以外に目は生活語の中に多い。「目玉商品」「大目玉をくう」「見はなされる」「目をかけてもらう」など。ある歌人が詩の中で面白い表現をしていた。白内障の手術をしたとき医師が「眼球」「がんきゅう」と言うことに「これはボクの目玉だ。自分のめんたまだ」と医師をにらみつけて”私の物”を主張している。
 日本人の目の文化は、まだいろいろある。江戸時代の浮世絵を見ると、昔から大きな目の女の人はいたはずなのに、絵の中では、みんな目が細い。流し目が情緒、情念の美だったようだ。今は目をむく人が多いけど。】

コメント (1)
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