九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

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    この途はいつか来た道。     只今

2012年01月26日 17時32分19秒 | Weblog
 「放射能問題講演会が中止に」と『神奈川新聞』が報じた。その内容は、
 =「横浜の子どもたちを放射能から守る会」は26日開港記念会館に、医師である菅谷昭・松本市長を招き、
  チェルノブイリの医療支援活動を踏まえた提言をしてもらうことになっていた。
  しかし菅谷市長側から24日、不穏な状況が発生したので受けることが出来なくなった、と連絡があり、中止を決定したという=
 
 しかしこれだけでは何が起ったか、よく判らない。
 調べてみると、「秘書」から「守る会」に送られてきた文書があった。
 それによると、そこに書かれてあったことは大凡次のようなことだった。
 =1月22日、市役所各所に電子メール。23日、ある報道機関の主筆と名乗る男性から電話。
  そこにあったのは、「暴力団組長関係者」「皇紀」といった文字や、「公安委員会・捜査二課に聞け」といった発言であり、
  普通の人間である私どもにとりましては、暴力的な脅しと感じられるものでありました。
  市長は、放射能被害についての講話は最大限為さねばならぬとの思い強いものがありますが、
   松本市長という公人の身に、もしものことがあった場合には取り返しのつかない事態となります。
   開催日迫る中で、主催者様におかれましてもご対応たいへんであることを十分承知しておりますが、
   どうか状況をご理解いただきたく宜しくお願いいたします。=

     遂になりふり叶わず動き出した「言論圧殺」暴力部隊!
     このファシストに屈することになれば、この道はいつか来た道。
     

 
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随筆紹介 『万葉からだ歌ー(二)』   文科系

2012年01月26日 10時45分53秒 | 文芸作品
古典はリアル ー万葉からだ歌ー(二)     「肩」もの言いたげに  N.Rさん

今年行く 新島守が 麻衣
 肩のまよいは 誰か取り見む
(七ー一二六五)
──召された防人は妻から遠くに行き、これからは、肩のほつれを誰がつくろう ──
からだ意識は、時代、性差、年齢によって変化する。今の子どもたちに「どこが一番大切か」と聞くと、「顔、頭、胸」と答えるだろうか。もの言いたげな、表情ゆたかな肩は、あまり見ていないから大切なものに入っていない。
 大人は「肩書き」と言うかもしれない。昔の肩で風切る権力の裃なのだろう。生活の重荷がのしかかるのが肩。「肩入れをする」「肩をおとして」「肩すかしをくう」「肩をかす」「肩がこる」など。
 だが、この「肩がこる」は江戸時代には「肩がはる」だった。「こる」とは言はなかった。文学の世界で「肩がこる」を初めて使ったのは夏目漱石の作品『門』あたり。樋口一葉は、まだ江戸を引きずって「肩がはる」と書いている。彼女の日記文も「はる」表記。
 ”文章の神様”といわれた志賀直哉は、漱石の「肩へ来て人なつかしや赤とんぼ」の一句に心ひかれて、作品の中でも、それまでの「はる」を「こる」とした。代表作品『暗夜行路』の名場面は、貞淑な妻が、肩こりが病の従兄の肩をもむことで不貞に走る──となっている。明治以降の緊張型社会のなかで、ますます肩をこらす人が多くなったらしい。
 人気シンガーソングライターの中島みゆきの「夜曲」の歌詞でも「肩に降る雨」「肩に冷たい夜の風──」と、やたらに肩を連発している。
 今、知人、友人の間で唯一触れていいのが肩。「肩を組む」「たたいて励ます」「肩を並べて」と。これが「頭をたたいて」は大げんか。胸、尻だったら、それこそセクハラになる。
 万葉集の”愛は夫の肩先から”とうたう妻の一首もそれ。雪も雨も肩に降り、まずぬれるのは頭や顔ではなく肩なのだ──。 
コメント (2)
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