解決の方向② しぶといワシントンコンセンサスを巡る論議
『アメリカ型の市場経済至上主義に基づく政策体系』がワシントンコンセンサスと呼ばれてきたものだが、それを巡るリーマンショック後の状況はこんな表現が妥当なところだろう。『一世を風靡したアメリカ型投資銀行ビジネスモデルの終焉が語られているが、健全に規制された金融モデルへの移行か、巻き返しのための変身なのか、ウォール街の戦略、西欧金融機関との競争を含めて、注視していく必要がある』。(以上の『 』は、東洋経済2010年刊「現代世界経済をとらえる Ver5」から)
同じ事を別の本ではこう表現している。
『2009年のロンドンG20で、当時の英首相ブラウンは、「旧来のワシントン・コンセンサスは終わった」と演説しました。多くの論者は、ワシントン・コンセンサスは、1970年代にケインズ主義の退場に代わって登場し、1980年代に広がり、1990年代に最盛期を迎え、2000年代に入って終焉を迎えた、あるいは2008~09年のグローバル金融危機まで生き延びた、と主張しています。IMFの漸進主義と個別対応への舵切りをみると、そうした主張に根拠があるようにもみえます。
しかし、ことがらはそれほど単純ではありません。1980年代から急速に進行した金融グローバル化の歯車は、リーマンショックによってもその向きを反転させることはありませんでした。脱規制から再規制への転換が実現したとしても、市場経済の世界的浸透と拡大は止まることはないでしょう』(伊藤正直著「金融危機は再びやってくる」)
さて、上記は過去にも繰り返されてきたことだ。ワシントン・コンセンサスが世界的危機を引き起こし、それに批判が出る。対して、アメリカがその正当化論を執拗に展開してみたが、IMFや世銀の場で譲歩せざるをえない事態になる。そして、いくらかの手直し。それによって国連機関の再規制などを強化しても、やはりまた次に同じ事が起こる、と。こういう過去の一例を観てみよう。1997年のアジア通貨危機後に、こんな論議があった。
この危機の原因はアジアの外にあったのか内にあったのかという論議だった。「外因説」と「内因説」という。外因、つまりアメリカや日本の投機家たちが原因なのか、アジア自身につけ込まれるような弱点があったのかということだ。これは、初め少数派であった外因説の方が後には多数になっていったという。アジア通貨危機の震源地タイに大きなバブルがあったにせよ、そしてアジア各国がそれに乗っかっていたにせよ、国際投資家たちがここに資金をつぎ込んで国際的投機ゲームの場としたこと自身が内因説では説明できないからである。典型はジョセフ・スティングリッツ。世界銀行の副総裁経験者にして、ノーベル経済学賞受賞者でもある彼の変身。彼は初め、アジア通貨危機についてこう述べていた。「主流派の内因説も、外因説の方もそれぞれのイデオロギーに過ぎない。対するに、グローバル化はイデオロギーではなく、システムそのものの不可避的な進行なのである」と。まー「自然にこうなったのだ」というところだろう。それが後にはこう変わっていった。
『「ゲームのルール作りとグローバル経済の運営を託された国際機関は、先進工業国の利益のため、もっと正確にいうなら先進国内の特定の利権(農業、石油大手など)のために働いている」と指摘し、「アジア諸国が健全な金融システムと適切な政策を保持していたにしても危機は発生しえた」と主張しました。
この見方は、当初は少数意見でしたが、その後、J・パグワッティ、J・サックスのような新古典派経済学の主流部分にも同調者が広がりました』(「金融危機は再びやってくる」)
金子勝も同じ見方を述べると同時に、イギリス政治経済学会の同じ論調変化を多く伝えている。
『たとえば、規制緩和の新自由主義型社会を重視しているシカゴ大学の中心人物であるリチャード・ボーズナー教授でさえ、09年5月7日に出版された「資本主義の失敗 08年の危機と恐慌への降下」の中で、「より積極的で懸命な政府が必要である」と指摘し、「金融部門の規制緩和が過多となった要因として、レッセフェール(自由放任主義)資本主義の治癒力を過信しすぎた」と断言している』(岩波ブックレット「脱『世界同時不況』」)
さて、このように、問題の所在はもう分かっているのだ。しかしながら、G20金融サミットが08年11月にワシントンで始まり、12年6月の第7回ロスカボスまで続いたその概要を読んでみても軋みだけが目立つ。「金融規制か、財政・景気対策か」とか、その規制にしても「事前規制か、事後規制か」というような堂々巡りである。そのうえに、09年10月にギリシャ財政赤字の粉飾問題に端を発してユーロ圏危機が起こり、今も続いているのだから、何も進んでいないということだろう。当面の問題と、あるべき国際金融システムという長期スパンの問題とが混在しているうえに、モノで国際収支、外貨を稼げない先進国が為替や国債操作で稼ぐしかないという問題こそ事態を深刻にしているようだ。そして、こういう国がサミットで発言権を持っているのだからなおやっかいだということだろう。こうしているあいだにも、汗水垂らした金がマネーゲームで奪われているのだし、国家も会社も金融によって「財政再建」を迫られ、世界的に首切りが進み、失業者は増えていくのだ。つまり、どんどん景気の悪い世の中、世界を作っているようなものではないか。
『アメリカ型の市場経済至上主義に基づく政策体系』がワシントンコンセンサスと呼ばれてきたものだが、それを巡るリーマンショック後の状況はこんな表現が妥当なところだろう。『一世を風靡したアメリカ型投資銀行ビジネスモデルの終焉が語られているが、健全に規制された金融モデルへの移行か、巻き返しのための変身なのか、ウォール街の戦略、西欧金融機関との競争を含めて、注視していく必要がある』。(以上の『 』は、東洋経済2010年刊「現代世界経済をとらえる Ver5」から)
同じ事を別の本ではこう表現している。
『2009年のロンドンG20で、当時の英首相ブラウンは、「旧来のワシントン・コンセンサスは終わった」と演説しました。多くの論者は、ワシントン・コンセンサスは、1970年代にケインズ主義の退場に代わって登場し、1980年代に広がり、1990年代に最盛期を迎え、2000年代に入って終焉を迎えた、あるいは2008~09年のグローバル金融危機まで生き延びた、と主張しています。IMFの漸進主義と個別対応への舵切りをみると、そうした主張に根拠があるようにもみえます。
しかし、ことがらはそれほど単純ではありません。1980年代から急速に進行した金融グローバル化の歯車は、リーマンショックによってもその向きを反転させることはありませんでした。脱規制から再規制への転換が実現したとしても、市場経済の世界的浸透と拡大は止まることはないでしょう』(伊藤正直著「金融危機は再びやってくる」)
さて、上記は過去にも繰り返されてきたことだ。ワシントン・コンセンサスが世界的危機を引き起こし、それに批判が出る。対して、アメリカがその正当化論を執拗に展開してみたが、IMFや世銀の場で譲歩せざるをえない事態になる。そして、いくらかの手直し。それによって国連機関の再規制などを強化しても、やはりまた次に同じ事が起こる、と。こういう過去の一例を観てみよう。1997年のアジア通貨危機後に、こんな論議があった。
この危機の原因はアジアの外にあったのか内にあったのかという論議だった。「外因説」と「内因説」という。外因、つまりアメリカや日本の投機家たちが原因なのか、アジア自身につけ込まれるような弱点があったのかということだ。これは、初め少数派であった外因説の方が後には多数になっていったという。アジア通貨危機の震源地タイに大きなバブルがあったにせよ、そしてアジア各国がそれに乗っかっていたにせよ、国際投資家たちがここに資金をつぎ込んで国際的投機ゲームの場としたこと自身が内因説では説明できないからである。典型はジョセフ・スティングリッツ。世界銀行の副総裁経験者にして、ノーベル経済学賞受賞者でもある彼の変身。彼は初め、アジア通貨危機についてこう述べていた。「主流派の内因説も、外因説の方もそれぞれのイデオロギーに過ぎない。対するに、グローバル化はイデオロギーではなく、システムそのものの不可避的な進行なのである」と。まー「自然にこうなったのだ」というところだろう。それが後にはこう変わっていった。
『「ゲームのルール作りとグローバル経済の運営を託された国際機関は、先進工業国の利益のため、もっと正確にいうなら先進国内の特定の利権(農業、石油大手など)のために働いている」と指摘し、「アジア諸国が健全な金融システムと適切な政策を保持していたにしても危機は発生しえた」と主張しました。
この見方は、当初は少数意見でしたが、その後、J・パグワッティ、J・サックスのような新古典派経済学の主流部分にも同調者が広がりました』(「金融危機は再びやってくる」)
金子勝も同じ見方を述べると同時に、イギリス政治経済学会の同じ論調変化を多く伝えている。
『たとえば、規制緩和の新自由主義型社会を重視しているシカゴ大学の中心人物であるリチャード・ボーズナー教授でさえ、09年5月7日に出版された「資本主義の失敗 08年の危機と恐慌への降下」の中で、「より積極的で懸命な政府が必要である」と指摘し、「金融部門の規制緩和が過多となった要因として、レッセフェール(自由放任主義)資本主義の治癒力を過信しすぎた」と断言している』(岩波ブックレット「脱『世界同時不況』」)
さて、このように、問題の所在はもう分かっているのだ。しかしながら、G20金融サミットが08年11月にワシントンで始まり、12年6月の第7回ロスカボスまで続いたその概要を読んでみても軋みだけが目立つ。「金融規制か、財政・景気対策か」とか、その規制にしても「事前規制か、事後規制か」というような堂々巡りである。そのうえに、09年10月にギリシャ財政赤字の粉飾問題に端を発してユーロ圏危機が起こり、今も続いているのだから、何も進んでいないということだろう。当面の問題と、あるべき国際金融システムという長期スパンの問題とが混在しているうえに、モノで国際収支、外貨を稼げない先進国が為替や国債操作で稼ぐしかないという問題こそ事態を深刻にしているようだ。そして、こういう国がサミットで発言権を持っているのだからなおやっかいだということだろう。こうしているあいだにも、汗水垂らした金がマネーゲームで奪われているのだし、国家も会社も金融によって「財政再建」を迫られ、世界的に首切りが進み、失業者は増えていくのだ。つまり、どんどん景気の悪い世の中、世界を作っているようなものではないか。