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「よたよたランナーの手記」(29) ランナー歴と心臓病歴  文科系

2013年12月13日 01時07分00秒 | 文芸作品
 僕のランナー歴、心臓病歴を改めて記してみたい。Gooスポーツなどを通してなのか、この手記にアクセスしてくる人がかなりいるようだし。ランナーには不整脈や心房細動が多いと医者も言っていたから、何かの参考にもしていただきたいし。

 僕は00年の59歳直前から走り始めた者だ。いろんな運動をしていたので、最初から一定走れた。ちなみに、身長169.5センチ、体重56~60キロと、フィットネスは若いころからずっと安定している。走り始めて1年ほどした初めての10キロマラソンが01年岩倉五条川マラソンで、その記録が49分22秒とある。振り返ればその1~2年後から、もう不整脈があった。急にスピードを上げたりすると期外収縮、さらには心房細動が起こった。細動は、走るのを止めれば30秒もしないうちに納まったから、すぐに心拍モニターを装着して走ることにした。それでも10キロマラソンは毎年どこかに出ていたと思う。その最後が07年の西春マラソンだった。北名古屋マラソンと名前を変えていたこのランでも心房細動が起こって2~3度歩いていたかと思う。結果、この記録は54分18秒。以降走り続けてはいたが、心臓の様子を見ていたからレースには出られなかったのだ。09年11月2日のここに「不整脈ランナーの手記①」を書き始めた時は、まだまだ07年の記録を抜いてやろうくらいの気持ちだった。

 ところが、10年にはついに慢性心房細動と診断が下り、手ぐすね引いていたから即座に、その年2度の心臓カテーテル手術を受けた。その前後の次第は11年2月26日の「不整脈ランナーの手記㉕ ランナー断念」まで続く。ところがその後も散歩・速歩とか階段往復とかの悪あがきを続け、その都度、調子・結果を医者にも報告していたら、どうやら「走って良い」ということになった。12年9月から市営のスポーツ・ジムにも通い始めて、晴れてランナー再開で今に至っているわけだ。そして、この5月4日から「よたよたランナーの手記」を書き始めた。この第1回目は「まだ走っている」という題名だ。9年末から12年9月まで、約3年のブランクがあったが、ここまで回復してきたということだ。そして再開1年を過ぎたこのごろなにか質的変化が起こったようだと、先回に書いた。無理は出来ないし、するつもりもないが、1時間に9キロほどは走れるようになった。12日には間を置かない30分走2回で、9.05キロまで行った。10キロ時での心拍数も150を切るようになって、まだまだ下がるという感触もある。僕の経験・実感から判断して心拍150なら1時間は続けられるのである。つまり、1時間に10キロ程度は走れるように回復してきたと考えている。

 何度も述べたことだが、僕がここまで走ることに執着してきたのは、有酸素運動能力、血流の強さのいろんな効用が捨て難いからである。ギターを毎日2~3時間弾き続けていてもどこも痛めない。パソコンに5時間向かっていても目が疲れたと感じないし、肩がこったと感じたこともほとんどない。お酒に弱くならないのも酸素吸収力の故だと観ている。晩酌をする習慣を続けてきたが肝臓などどこかを悪くしたということが一度もないのである。つまり、酸素吸収力が僕の生活活動の源になっていると捉えているのだ。年をとると本当に分かることだが、走れるということは宝物である。ちなみに、医者たちの実験的報告なのだろうが、こういう法則があるようだ。7キロ時以上で歩ける老人は長生きする、と。細胞が比較的老化せず、癌にもかかりにくいのだろう。
 ランナーの難点は、ただ一つ。酸素吸収とともに活性酸素を大量に取り込み、それが細胞を酸化・老化させるということだ。この対策が、いわゆるポリフェノール。赤ワインやチョコレートなどに含まれていて、活性酸素を中和してくれる成分だ。僕にとっては偶然にも、ここ20年ほど大好きな晩酌対象は赤ワインだった。比較的太っていると思われるフランス人に成人病が少ないという、その秘密と語られてきたアルコール飲料だ。
コメント (2)
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