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随筆紹介 「敗者の歴史」   文科系

2013年12月05日 07時24分29秒 | 文芸作品
   敗者の歴史    A.Mさんの作品

 最近、考古学者の森浩一氏が亡くなられた。氏の著書『敗者の古代史』のタイトルに魅せられて、読み始めた。
 森氏の言われるように、私たちが学校などで習った歴史は、勝者の記録によるものである。ともすればそれを鵜呑みにして、自分で学ばないと真実に迫れないのではないか。
 前から、私も思っていたことがある。たまたま古代史を少し学んでいると、そこには政治や経済については史実として記されているが、生身の人間が生きた証としての声はほとんど存在しないものだと。
 その点、文学の方から『万葉集』や『物語』などを読んでいると、表舞台の歴史に刻めなかった多くの人の声や生きざまを知ることができる。
 例えば、『万葉集』編纂者であり、歌人でもある大伴家持の生涯。古代豪族でありながら、藤原氏台頭の陰に斜陽となる氏族である。もし家持が歌を残さなかったら、彼の名は歴史から消えていただろう。歌、万葉集という文学が彼の名を残したといえる。
 それは、家持だけではない。『伊勢物語』を読んでいても、ときの天皇に誰がなるかで陽の当たる地位に就けるか否か運命が変わる。伊勢物語の作者かといわれる在原業平も、父の阿保(あぼ)親王が、「薬子の変」に加担したとして臣下に降ってしまう。故に子である業平の政治的地位は低い。又彼の周辺には、不運の貴族が浮かびあがる。
 当時は、藤原北家が絶頂のときだが、和歌を通して藤原氏に対抗せざるを得なかった彼の境遇に、敗者の歴史を思う。ここに伊勢物語の九十七段の歌を挙げておこう。二条の后(清和天皇の后)の兄で藤原基経四十歳の祝の宴で披露した折のもの。

  さくら花散りかひ曇れ 老いらくの来むといふなる道まがふがに

 この歌は、結果としては賀の歌にしているが、きわどい歌に思える。二句の「散る」や「曇る」は不吉な匂いをもつ言葉。まして三句の「老いらく」は禁句。賀の席で周囲は気をもんだのではなかろうか。
 だが、心と言葉の洗練である「みやび」を生きた一代記に、業平らしさを感ずる。もし業平が歌を詠まなかったら、敗者として全て闇に葬られることになる。その意味からも、文学こそ敗者の弁であると私は思う。

コメント (4)
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