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このブログ当初の人々   文科系

2013年12月15日 14時55分52秒 | Weblog
 このブログの発展史と「思い出になってしまった方々」というようなことを改めて、書いてみます。こういう書き手たちがいたから止められなくなったというのが僕の心境です。

 05年11月に発足しました。以下、週間アクセス合計を中心に、時に週間閲覧数も含めて、増えていった推移報告をしてみます。

 週アクセスが300を超えたのは06年の夏でした。週アクセス300ということは、1日に40アクセスちょっとですね。その頃の週閲覧数は、1,500~3,000ほどで、最初からアクセス数の割に閲覧の多いブログでした。こんな長文ばかりのブログは近ごろ珍しいと思うのですが、熱心な読者にみんなが励まされてきたということでしょう。
 平均500アクセスほどになったのが、07年の春。それからしばらくは一進一退を続けていて、08年春に1,000以上になったと言えます。そのころの閲覧数は4,000ほど。
 その後09年の夏には1,500を超えて、同時に2,000を超える時も出て来ました。民主党政権の出来た頃ですね。なお、その頃の閲覧数は、7,500平均ほどで、ごくたまに10,000を超えていたかと思います。11年度の前半は2,000を超えるのが当たり前になり、その5月8日からの週には3,426の18,306という週があって、これが現在までの最高アクセス数です。11年とは、あの憎むべきフクシマが起こって、官僚たちによる菅直人内閣への総攻撃の年。なお、閲覧数最高は、10年5月16日からの週で20,155です。
 後は基本的にこのアクセス数を維持してきて、12年春以降は1,500~2,500というところ。1,500を切ることはほとんど無く、2,500近くになることの方が多かったと思います。閲覧数は10,000~15,000です。訪れるみんなが多くの画面を覗いていくというここの特性はさらに増したと言えましょう。グーブログ全体が200万ほどあるとのことで、その中の順位が2,500~3,500位ほどを行き来しています。ちなみにこの12月1~7日がアクセス2,335人の閲覧数14,135面で2,452位、8~14日が2,618人の11,317で2,346位した。

 さて、ほぼ最初から基礎が出来る07~08年ほどまで書いていたのは、まもる、へそ曲がり、千里眼、保守系、そしてらくせきさんと僕。ところが、前のお3人は当ブログとしては思い出の人になってしまいました。千里眼さんの最後の挨拶は、そのお連れあいさん。以下のエントリーでした。
『  以前よりこのブログに投稿しておりました千里眼の妻です。
 主人は7月中旬に事故に会い目下リハビリ入院中です。回復までには相当な時間を要するとの事です。
 家族としては一日も早い回復を願っておりますが、ブログへの参加までにはまだ相当な時間が必要な様子です。
 投稿期間中は皆様から励ましや共感のコメントをいただき大変に喜んでおりました。ブログへの参加は山登りと並んで老後の生きがいの一つとなっておりましたので、参加できない現在は無念の気持ちが一杯だと思います。
 家族としては、一日も早く回復し元のように皆様の仲間になって活躍して欲しいと願っております。投稿休載のお知らせが遅くなりましたが、今後とも宜しくお願いいたします。
(7年8月25日  千里眼の妻)』

 そして、へそ曲がりさんの最後はこんなふうです。
『 このブログのレギュラー投稿者「へそ曲がり」氏が薬石功なく9月3日に逝去されました。心からご冥福をお祈り申し上げます。
 氏が当ブログに投稿いただいた初回は、2006年7月7日の「ミサイル騒動の情報操作が恐い」でした。北朝鮮がテポドンの発射実験をしマスコミを騒がせている時の政府声明のあり方に疑問を投げかけたものでした。それ以降、亡くなられるまでの二年間に百稿を超える投稿をいただきました。
 そして、秋に癌の発見され、手術に至る十月上旬までに五十近くの投稿を寄せていただきました。その後07年になっての春、小康状態を得て月に数件くらいのペースで投稿いただきました。その夏には「千里眼さん」とタッグを組んで日本の戦争責任などについて鋭い主張を保守の投稿者相手に展開されました。
 そして秋からは食事が摂れない苦しみの中で「私の戦争体験①から⑮」などを投稿いただきました。08年に入り書きためられた原稿や、読書をされて感銘の深い記事などを丹念に書き写し紹介してくださいました。
 六月には苦しい病床から「軍隊を持たない国①から⑤」のシリーズを連載され。
 最後の投稿となったのが08年7月21日「韓国出身戦没者遺骨返還追悼」の一文でした。氏は病床にもPCを持ち込まれ連続する苦痛の中で、週間金曜日の中で感銘を受けた記事を長時間かけて書き写されたということです。最後になった韓国戦没者の遺骨返還の記事は氏の戦争被害者に対する深い哀悼と平和への願いが一字一字に込められているように思えます。

 へそ曲がりさんは、当ブログに参加していただいて間もなく、悪性癌との闘病生活に入られました。
 そして、このブログを自身の平和への熱い信念の発信・伝達の場として活用していただきました。その主張に多くの読者が反応し、良き討論や対話゛が広がりました。
 管理人としては、こうした投稿者を得ることが出来、平和への一歩が踏み固められたことに深く感謝し、「へそ曲がり氏」のご冥福を読者各位と供にお祈りいたします。
(08年9月16日 管理人) 』

 千里眼さんはとて気品ある文章を書かれた人でした。登山などの紀行文が絶品だったという印象があります。へそ曲がりさんは、病床の「近況報告」と「私の戦争体験記」を絶筆のようにして連載されていました。前者は、胃癌の病状のことなどを報告して下さったものです。「皆さんも気をつけて下さいね」という配慮もあったようでした。
 そして、まもるさんは、病気のためにもう書ける状態ではないようです。
 これもお懐かしい保守系さんは、残念ながら消息がありません。
コメント (3)
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