九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

『「参拝は当然」』論議から   文科系

2013年12月30日 07時02分51秒 | 国内政治・経済・社会問題
また、コメント応答をエントリーにする。こういう論議(の筋)は日本人には特に必要なものと思ったからだ。『「参拝は当然」、馬鹿言え』に付されたコメントである。なお、このお相手の税収総額さんには、色々言い合ったが感謝していると今ここで改めてお伝えしておきたい。捨て台詞のようなものもあったにせよ、ここまでおつきあいいただけた事に対する感謝だ。以下に書いた内容も結局、こういう対話から生まれたものには違いないからである。僕としては、「こういう考え方(の人)が整理できた」つもりなのである。
 

 討論の資格というもの (文科系)  2013-12-29 07:32:18
 人の討論には、その資格というものがあると思ってきました。以下の人には、ここの名無しさんと同じように、その資格はないと言いたいです。
①相手が何を語ってもそれには答えず、自分の主張をただぶつけ返すだけ。つまり、相手との共通点を探して、説得、理解、歩み寄りの努力を最初から放棄している考え方、態度を取ってきた人。
②ちなみに一例を上げると、これはそういう態度と言えるはずです。
『「国内に戦犯はいない」のです』
 これは、「相手国が何を語ろうが、『我が国の考え』だけで行く」と表明していることになります。こう言う人は個人間討論でも当然、同じ態度を取ることになりましょう。
③これは、人間らしい考え方、「人類に対立、戦争はあっても必ず和解できるものだ」というような立場、考え方を最初から放棄しているにも等しい態度と言えましょう。そうなることが分かってもいないということでもあるのでしょうが。
④これは誰でも分かるように、ケンカになる考え方、ケンカの論理です。国と国との間では結局戦争に繋がっていく論理だ。相手を罵倒、嘲笑する事だけ専門にもなっていくはずですから。
『問題視しているのはそちらの勝手でしょう。私はゼーンゼン問題だと思っていません。』
『左翼の論理だと、ヒトラー=東條=安倍晋三=ジョン・レノンですかね?』
『もれ伝え聞くところでは小沢一郎は沖縄の土地を買ったりしているようですが……(痛いところをつきました? すみませんね笑)。』

 こういう「最初から戦争覚悟のような論理」を使う人こそ、真実「話にならん」というお方だと言いたい。そういう自覚もないので、こういう態度が取れるのだとも思いますが。ここでは、名無しさんが長らくそういうお方であって、僕も「話にならん」という態度しかなくなったものでしたが。
 もっとも、国家にとって国民主権と戦前の天皇主権とがどれだけ異なったものかの区別も「ゼーンゼン問題だと思っていません」という方です。これでは確かに、世界とはケンカにしかならないだろう。これは当たり前のことであって、そう考えるこっちの方が人間の考え方、論理というものでしょう。
 ちなみに、本日の中日新聞12面の「視座」で、浜矩子がある解説をしています。安倍晋三首相の参拝後の言葉「中国あるいは韓国の人々の気持ちを傷つける考えは毛頭ない」における「考え」(英語バージョンでは、intention)について。ここで解説している要点が実は、上と同じ指摘だと思ったものでした。
浜は要するにこう語っているのです。
「人の痛みが分かるか否か」
「そのような魂の力こそ、大人の力だ」 

 戦争をする覚悟? (税収総額)  2013-12-29 09:27:15
 靖国参拝が問題となること自体、多くの日本人の心を痛めつけているんですよ。
大体、首相の靖国参拝や、小沢一郎が沖縄の土地を買うこと(笑)が戦争に直結しているかのような論理こそわけがわかりません。】

【 お応え (文科系)  2013-12-29 10:34:04
 二つ上の税収さんのコメントにお応えします。
 貴方はこう言われましたね。
『靖国参拝が問題となること自体、多くの日本人の心を痛めつけているんですよ』
 一方、貴方が別に次のように語ったが、その時に東條らの戦犯有罪を決めたアメリカはじめ連合国がどう感じ、思うかも考えたのですか。
『「国内に戦犯はいない」のです』
 こういう態度を称して、浜矩子さんも僕も、コドモと言うしかないのでしょう。自分の感じ方は大事にして、主張もするが、相手の感じ方、主張に全く鈍感だと。まるで、それでよいと開き直っているようだとさえ思えます。

 次にこれについて、
『・・・・が戦争に直結しているかのような論理こそわけがわかりません。』
 どんな戦争の開始でも、直前まで重要な利害対立を巡って、ギリギリの外交交渉が必ずあります。太平洋戦争の時には、近衛内閣までは対米外交交渉が先で「戦争準備がそれに次ぐ」という国家方針でした。これを41年9月頃を起点に逆転させたのが天皇(統帥部)と、東條内閣でした。
 さて、上のような交渉の時に(それ以前の日常からも)、自分の主張だけしているコドモの人々は、そのままでは結局利害関係対立を大きくするだけで、最後は戦争状態のようなことしかなくなるよと、そういうことになる確率が非常に高い考え方だよと、そういうことを言いたかったのです。こういう人々は、軍備もどんどん増強していくはずですしね。時代はあたかも、世界大恐慌で失業・貧困問題など30年代と同じです。失業や貧困、格差など、国の死活をかけたような問題が、世界中に山積しています。先進国の金融大資本が小さな国の汗水垂らした金や資源などをどんどん奪っている弱肉強食の世界でもありますし。
 また、こういう考えの人々は案外次のような国家観哲学も暗黙の内に持っていることが多いものだとも、僕はここで痛いほど観てきたつもりでした。社会ダーウィニズムの思想です。調べてみてください。貴方も親しいと感ずるのではないかと恐れています。 】
コメント (13)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする