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「アイヒマン 悪の陳腐さについて」   文科系

2014年09月02日 04時32分57秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 最近の金子勝ブログの一文が阿修羅掲示板に掲載されていました。戦前ドイツの女性哲学者ハンナ・アーレントがナチスのアイヒマン(裁判)について解説した「友人ジャーナリスト」の紹介記事です。あのアウシュビッツの「主人公」ですね。以下、金子が付けた文章の題名は「内なるファシズムに負けない」というものです。


【  2014年08月30日 13:47

安倍政権が特定秘密保護法案に邁進している頃、尊敬する友人のジャーナリストから一つの文章が送られてきました。1986年元日の「朝日新聞」に掲載された劇作家・木下順二の「小さな兆候こそ」という文章です。木下は、丸山真男が『現代政治の思想と行動』の中に紹介しているエピソードを題材にして、こう書いています。

ナチスが政権を取った年のある日、ドイツ人の経営する商店の店先に『ドイツ人の商店』という札がさりげなく張られたとき、一般人は何も感じなかった。またしばらくしたある日、ユダヤ人の店先に黄色い星のマーク(ユダヤ人であることを示す)がさり気なく張られた時も、それはそれだけのことで、それがまさか何年も先の、あのユダヤ人ガス虐殺につながるなどと考えた普通人は一人もいなかったろう。
つまり、「ナチ『革命』の全過程の意味を洞察」できる普通人はいなかったのだ。
きのうに変わらぬきょうがあり、きように変わらぬあしたがあり、家々があり、店があり、仕事があり、食事の時間も、訪問客も、音楽会も、映画も、休日も――別にドイツ一般民衆の思想や性格がナチスになったわけでは全くないのだが、気のつかない世界(=ドイツ社会)の変化に、彼らは『いわばとめどなく順応したのである』。そしてナチスが政権を獲得した1933年から7年がたって、あのアウシュヴィッツが始まったというわけだ。

ふり返って考えてみれば、『一つ一つの措置はきわめて小さく、きわめてうまく説明され、“時折遺憾”の意が表明される』のみで、政治の全過程を最初からのみこんでいる人以外には、その“きわめて小さな措置”の意味はわからない。それは『ほんのちょっと』悪くなっただけだ。だから次の機会を待つということになる。そう思う自分に馴れてしまっているうちに、事態は取り返しがつかなくなってしまった


最近ずっと、安倍政権の動きを見ながら、なぜ多くの人々が必死に抵抗せずにナチスに順応していったのか、その理由を考えていました。その点で、木下の「小さな兆候こそ」の内容は腑に落ちました。
麻生太郎財務大臣が言っていた「ナチスの手口を真似ろ」というのは、きっとこのことを指しているのでしょう。

たしかに、当時の知識人たちは、まさかヒトラーのような人物が権力を掌握するとは思っていなかったと言われます。今も、まさか安倍晋三のようなレベルの人間が・・・と甘く見ている知識人も多いかもしれません。実際、国会答弁を見ても記者会見を見ても、この人は質問にまともに答えない、いや答えられずに、自分の言いたいことを繰り返すだけです。このような人物が「強い意志」を持つ首相として堂々と振る舞える社会になったからこそ、恐ろしい状況であると考えるべきなのです。

しかし、「小さな兆候こそ」だけでは、なぜナチスに積極的に協力する人々が生まれたかはわかりません。熱狂的に支える追随者がいなければ、ナチスも成り立たなかったからです。

改めてハンナ・アーレントの『イェルサレムのアイヒマン:悪の陳腐さについての報告』を読み返してみました。アーレントは透徹した論理で、ユダヤ人を強制収容所に移送した責任者であるアイヒマンの裁判を分析します。アーレントは、アイヒマンを極悪非道な人物にしたいユダヤ人の友人たちの意見を否定しました。アイヒマンは検察側が主張する<倒錯したサディスト>ではなく「実に多くの人々が彼に似て」おり、「恐ろしいほどノーマル(正常)だった」と。
そしてアーレントは、アウシュヴィッツ強制収容所の大虐殺において、アイヒマンは「ちっぽけな歯車」でしかなかったという弁護側の主張も、「事実上の原動力だった」という検察側の主張も退けます。
アイヒマンは「無思想性」ゆえに「自分の昇進にはおそろしく熱心だったということのほかに彼には何の動機もなかった」。そして「想像力の欠如」によって、「彼は自分のしていることがどういうことか全然わかっていなかった」だけでした。
アーレントがアウシュヴィッツの大虐殺をみて行き着いたのは、ごく当たり前の「悪の陳腐さ」「凡庸な悪」です。

ひるがえって、日本の現在の状況を考えてみましょう。過剰同調圧力が加わる日本の会社組織や官僚組織においても、自分の昇進だけが最大の関心事になれば、実は、誰でもアイヒマンになりうるのです。
私たちの前に、重い問いが立ちはだかっています。
特定秘密保護法が成立し、集団的自衛権の解釈改憲が行われ、武器輸出禁止3原則の見直しなど「戦争する国作り」が進められる中で、「国家犯罪」によって国際法上の人権が著しく侵されている人々がいないだろうか。
過剰同調圧力によって、その人権侵害を見て見ぬフリをする社会になっていないだろうか。
福島は史上最悪の環境汚染に襲われ、福島第1原発事故から3年半たった今もなお、10万人以上の人々が故郷を失いかけています。
原発関連死は1700人に達し、イスラエルのガザ攻撃による死者2000人に近づいています。死にいたる時間が、瞬時か緩慢かの違いだけです。
小児甲状腺癌は、疑いが濃い人も含めて103名に達しました(2014年8月発表)。これで10万人あたり30名になります。にもかかわらず、データが意図的に隠されたり、不作為で取られていなかったりすることで、原因は特定できない状況が作り出されています。

私は、これだけの人権侵害を目の当たりにしながら、「色」がつくからと、原発事故やその被害に口を閉ざす知識人たちの保身の道はとりたくありません。それでは、民主主義が決定的に損なわれる時に、沈黙する「民主主義」者にとどまるか、アイヒマンになるしかないからです。まさにナチスの歴史はそうでした。

他者について考える事をやめ、自らのまわりのごく当たり前のことを繰り返す「凡庸な悪」に染まったら、内なるファシズムに負けてしまうのです。
たとえ力は限られていても、この立憲民主主義と平和主義が壊れていく状況だからこそ、福島における史上最悪の環境汚染問題を解決し、多くの人々がゆえなく命と健康が脅かされることがなくなるように努力したいと思います。

アーレントは、アイヒマン裁判の過程を見ながら、シオニストのユダヤ人にナチ協力者がいたことをも暴くことで、ユダヤ人の友人を失います。彼女は、「ユダヤ民族を愛さない」という非難に「私はどの一つの民族も愛さない。私は友人を愛する」と答えました。それゆえ、ユダヤ人だからと人間を否定し虐殺したナチを人類に対する犯罪と断ずることができたのです。
今日になって、シオニストの人造国家イスラエルによるガザ攻撃というジェノサイドを見るかぎり、アーレントの透徹した論理は正しかったと言わざるをえません。

アーレントがいうように、私たちも最悪の事態に陥らないために、自分に何ができるか、考え抜かなければならない時が来たようです。残念なことですが…。】

コメント (5)
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