九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

琉球日報

2014年09月15日 09時30分12秒 | Weblog
普天間問題を含む在沖米軍基地の整理縮小を阻んでいるのは、米側ではなく、日本政府の硬直的な思考だということがはっきりした。
 1995年の少女乱暴事件当時の駐日米大使だったウォルター・モンデール氏の証言によると、米政府は事件直後、在沖米軍の撤退や大幅な縮小を検討していたという。しかし、日本政府が在沖米軍を撤退させないよう米側に求めていたことが明らかになった。

昨今の政府の動向をみていると、さもありなんと。
なんと売国的な・・・


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「フクシマ」、悪行一覧表(2)  文科系

2014年09月15日 00時08分04秒 | 国内政治・経済・社会問題
 昨日の続きです。

【 保安院の大罪(90)「フクシマ」、悪行一覧表(2) 
   2012年11月13日 | 国内政治・時事問題

2 事故処理経過での「失敗」とか「工作」とか

今回の一覧表は事故処理経過における数々の「失敗」とか「工作」とかをあげてみたい。こんなに違う2つの言葉を並べなければならぬのは、こういうことなのである。福島の事故処理経過を観ていくと、失敗なのか確信犯つまり隠蔽などの工作なのか、その区別が全く付かないのである。単なる天災のようなものならば、こんな執拗に僕も追わなかったろう。「失敗と言い合わせてはいるものの実は確信犯」ばかりに見える。こんな重大事故処理にあまたの頭脳が関わっていて、失敗と言うには単純すぎることばかりが目立ち過ぎるのである。すべてが責任回避とか、ガス抜きのように思えて、あまりにも国民を国民と扱っていないような無責任な政治ばかりが目だって、どんどん腹が立ってきたのである。

①スピーディの非公開は、北西方面に逃げた人々に多大な放射能を浴びさせた。該当町長の一人が、「これは殺人ですよ!」という有名な言葉をのこした事件である。国の責任者は後にこう述べている。「公開という考えが及ばなかった。反省している」。
 ところで、中日新聞がこの2月頃情報公開請求で入手した文科省資料にはこんな文章があったと報道された。
『文書には「世界版SPEEDIの試算結果は、関東および東北地方に放射性雲が流れるという結果。これらをみて、三役(文科相、副大臣、政務官)は一般にはとても公表できない内容であると判断」と記されている』

②高濃度汚染水の垂れ流しも過失ということになっている。それも、こともあろうにこんな言い訳が開陳されたものだ。海への流出口の目視箇所が瓦礫に覆われていて長く気付かなかった、と。これらの「失敗」が、最近の次の報道の大元になったのは間違いないだろう。原発から北20キロも遠くでとれた海底棲息魚などの放射能濃度が一向に下がらないのである。
 昨年5月13日の拙稿を抜粋する。
【 以前2号機が高濃度汚染水を垂れ流しにしていたと、大問題になったことがある。ところが、その2号機の垂れ流し目視点検が、4月20日で打ち切りになったのだという。そして酷いことに、こんなことが書いてあるではないか。
『福島第1原発3号機から11日、高濃度の放射能に汚染された水が海に流出していることが分かり、ほぼ同じ状況で流出した2号機の二の舞となった』
『11日昼に作業員がこの立て坑に水が流れ込んでいるのを見つけた。水位は上がっておらず、近くの海に漏れ出していると判断した』
 そして、今回の何よりも唖然とした話が、こうだ。
『3号機の立て坑は開口部にがれきが積み重なった状態で、11日に取り除くまでそもそも目視確認を一度もしていなかったことも分かった』 】
 一体この高濃度汚染水垂れ流しは、、いつから5月11日まで続いていたのだろうか。

③福島県立医大の副学長が本年1月、日本甲状腺学会会員の医師にこんな文書を出したらしい。
【2次検査の対象にならない子どもの保護者からの問い合わせや相談には「次回の検査を受けるまでの間に自覚症状が出現しない限り、追加検査は必要がないことをご理解いただき、十分にご説明いただきたく存じます」】
 これは、事故時18歳以下であった子ども36万人対象のうち、線量が高かった警戒区域13市町村、38,114人の子どもの検査結果発表にまつわるものである。チェルノブイリに詳しい医師などから大きな反論を喰らった文書だった。
 被爆児童の甲状腺追跡をなるべく福島だけに囲い込みたいということなのかなどと、勘ぐりたくなる。

④これは最近のことだが、「東北地方計約700カ所の放射能測定ポストすべてに10%ほど測定値が低くなるような過失があった」と報道された。原因は、計測器組み立て方のミス。なんでも脇に置いた電池関連の鉛が一部の周辺放射能を遮っていたというのだ。個人などの測定値に比べるとあまりにも数値が低いと話題になったところから調査、発見させられた「ミス」ということであった。10%低かっただけとは誰にも信じられていないのが、悲喜劇的な光景に見える。

(この項2は、⑤以下まだ続く)】
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調査報告 イラク戦争死50万人  文科系

2014年09月15日 00時02分45秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 久しぶりにフクシマをエントリーしたら、たちまちコメント反応があって嬉しい限り。何?僕の以下が疑問だって。では、この前半だけを先ず答えましょう。昨年10月31日の拙エントリーね。後半も明日反論します。

『うわー、日本代表サッカーのことを少し書きに来たんだけど、これか。デマは極力やめてくださいよ、デマは。普通にネットに5年10年と残るわけですから。 ・・・・あとはイラクの戦死者を50万人とか?……完全に眉唾物でしょう。朝日や毎日や中日にどうして50万人と大々的に報じないのか電話して聞いてみるべきだよ。福島第一原発が津波の前の地震だけで危機的状況に陥っていたとかも……そんなことをいっているのは下っぱの作業員ひとりだけじゃないの?』


【 イラク戦争の死者数  文科系  
   2013年10月31日 | 国際政治・時事問題(国連・紛争など)

 『 ナショナルジオグラフィック
  2013年10月17日 15:47

イラク戦争の犠牲者は推定50万人 

 2003~2011年のイラク戦争によって、イラクでは約50万人の命が直接的、間接的に奪われたことが、同国の1960世帯を対象とした画期的調査によって明らかとなった。公衆衛生専門家が行った同調査によると、戦争による暴力行為は2006年と2007年がピークだったという。

 2003年3月19日、アメリカ主導の連合軍がイラクに侵攻して地上戦を開始、首都バグダッドを速やかに制圧し、サッダーム・フセイン政権は崩壊した。戦闘終結後、連合軍がイラクを占領していた2011年までの間、度重なる爆破やアルカイダの関与する反乱、民兵の戦闘などにより、人口3260万人の国では多くの血が流された。

 シアトルにあるワシントン大学の公衆衛生専門家エイミー・ハゴピアン(Amy Hagopian)氏率いる国際チームは、イラク全土の世帯で家族やきょうだいに関する調査を実施した。イラク保健省の関係者も参加したこの調査は、イラク戦争に関連して、過去の調査より新しく正確な推定死者数を導きだすことを目的に行われた。
「死者は約50万人と推定している。これはおそらく控えめな数字だ」とハゴピアン氏は述べる。「戦争という決断がどれほどの人的被害をもたらすのか、我々は知る必要がある」。

 調査に対する回答から、2003~2011年のイラク戦争が原因で亡くなった人の数は約40万5000人に上ると推定される。さらに、イラクを離れることを余儀なくされた家庭からも最低5万6000人の死者が出ているとみられ、これも犠牲者数に加える必要がある。調査によると、2003~2011年に犠牲となった男性、女性、子どもの60%以上は、銃撃や爆破、空爆といった直接的な攻撃によって命を落としたという。それ以外の人々は、ストレスによる心臓発作、衛生設備や病院の破壊といった間接的な原因によって亡くなっている。

「戦争は銃に限らず、あらゆる形で人の命を奪う。そして、その犠牲は侵略される側だけでなく、侵略する側にも生じる」とハゴピアン氏は述べる。イラクの侵攻と占領に伴い、アメリカ、イギリスなどからなる連合軍にも推定4804人の死者が出ている。

 これまでに発表された戦争によるイラク人の犠牲者数は、調査によって大きく異なる。告発サイト「ウィキリークス」に公開されたアメリカ軍の記録では10万人余りとなっているのに対し、ロンドンの調査会社オピニオン・リサーチ・ビジネスが手がけ、大きな批判を浴びた調査では、2007年までに120万人が亡くなったとされる。
 今回の調査では、「イラク人のスタッフを使って家庭を戸別訪問し、質問に回答してもらった」とハゴピアン氏は述べる。回答率は98%に上ったという。調査では世帯主に対して2001年以降に家族に出た死者の数を、また、その世帯の各回答者には、自身の兄弟に出た死者の数を質問した。

「これは非常に重要かつ信頼性の高い調査だ」と、ニューヨークにあるコロンビア大学の疫学者レスリー・ロバーツ(Leslie Roberts)氏は述べる。ロバーツ氏自身、コンゴやジンバブエ、そしてイラクで戦時中の死者数の調査を指揮した経験をもつ。「実際に起きたことを正確に記録するのは非常に重要なことだ」とロバーツ氏は述べ、2005年に当時のジョージ・W・ブッシュ米大統領が行った、戦闘によるイラク市民の犠牲者数はわずか3万人ほどだという発言を引き合いに出した。

 戸別調査に基づく推定死者数は、おそらく控えめな数字だという点については、ロバーツ氏もハゴピアン氏と同意見だ。この数字は家族の不完全な記憶に基づいたものであり、また、難民キャンプや国外で生活していたイラク人110万人はほとんど計算に入っていないためだ。
 調査の結果、戦闘行為の犠牲になって亡くなった人は、特にバグダッドに集中していることが明らかになった。そのうち35%が連合軍の攻撃によるもの、次いで32%が民兵によるものだ。また調査によると、戦闘が特に激しかったのは2007年で、翌2008年には数字が大幅に下落している。

 悲しいことに攻撃は今なお続いていると、世界保健機関(WHO)の公衆衛生教育研修協力センター責任者サルマン・ラワフ(Salman Rawaf)氏は、今回の研究の付随論評の中で述べている。フランス通信社(AFP)の推定によると、2013年には爆破や銃撃によって5000人ほどのイラク人が命を落としているという。宗派の対立による攻撃が再び増加していることで、「現在のイラクでは、もはやこれまでに出た死者の数ではなく、今後どれだけの死者を防ぐかが問題となっている」とラワフ氏は述べている。

 今回の研究は、10月15日付で「PLOS Medicine」誌に発表された。』 】
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