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小説 俺の連れ合い 2   文科系

2020年06月09日 03時15分00秒 | 文芸作品

 初めての同窓会が互いの喜寿祝いというこのクラス会をきっかけとして、我が夫婦の山火事問題、その分析と対策に我ながら真剣に取り組み始めた。この年になってこれも初めての畳み替えをきっかけに我が書斎のリニューアルを果たして、人生の最後にさあ向かっていくぞとしている俺が、何回も家出するような夫婦関係をそのままにしておいてはどうしようもないではないか。そもそも俺は、陽だまりでにこにこと何か美味しい物の談義でもし合っているような老夫婦が望みだったのである。俺らの過去を振り返ってみたりしながらあれこれ考えてみたし、パーキンソン病に罹ったコーちゃんの体操を励ますために定期的に松本家に通って行った折などにも、いろんな相談を投げかけたものだった。

 思えば、こういう激しいやり取り、その世界というものに我が人生で初めて直面したのは、あの時だ。彼女の家に通い始めて皆と親しくなった頃、あそこで見た五人兄弟姉妹のけんかの激しかったこと! 俺の家はみんな静かで激しいやり取りなんぞは俺と父の間にしかなかったことだから俺はとても激しい性格と考えていたのだが、あの家の誰にも俺が負けていると観たもんだ。あの家の例えば部屋の模様替えなど共同作業の時! 唖然、呆然、とにかく驚いた。と言っても、あの頃の俺はまー世間知らずのボンボン丸出し、こんな俺とあの母子家庭の長女、権力者にして筆頭出火原因である連れ合いとでは、まー変な行き違いもしょっちゅう起こるよなー。
 あれは、つきあい始めて一年も経たない頃だったか……。ある日彼女が以降も度々起こったことだが、「付き合うのを止める」と言ってきた。理由を訊ねてもなかなか言わない。やっと語り始めて分かったことが、まーこんな笑い話だ。「デイトの時のいろんな支払いをその日持っている方が払うと暗黙の内にやってきたが、払っているのは私ばかり……」ということで、これは完璧な俺の負け。彼女が、母子家庭長女として六人家族の生活費までを稼いでいたのに対して、俺のアルバイト収入は時々一人で入る馴染みの寿司屋の付けにほとんど消えていたようだから、仕方ない。双方実入りの良いアルバイトでお金は持っていて、彼女が奨学金を目一杯貰っていたにせよ。負けを認め、正していく潔さはまー持ち合わせていた上に、俺にとって彼女がクラス一の憧れの女性だったのだから、どうしようもなかったのである。なんせ、俺らの結婚式の実行委員六人が作った分厚い写真集にこんなコメントを付けた親友もいるのだ。
『吾はもや 安見児得たり 
   皆人の 得かてにすとふ 安見児得たり』
 なお、この六人に俺らを加えた八人は、その時既に結婚していた松本夫妻以降順に実行委員会を務め合って、四カップルを世に出しあったという間柄だ。この八人の内、連れ合いとサーちゃん、そして、一学年下のもう一つのカップルという四人が、同じ文学部国文学科の出なのである。

  大学二年生の終わりの試験勉強を二人で始めたときには、こんなことがあった。あれは、二人の性格の違い、と言うよりも考え方、思考が全く正反対のタイプと鮮やかすぎるほどに教えられたものだ。と言うよりも、「こんな変な勉強スタイルがあるんだ」と、お互いにショックを受けたほどの事件だった。
 先ず俺が、こう提案した。
『この社会思想史の授業ノート一年間の目次を作ってみたけど、その全体を眺めると、ここが結論。この結論からもう一度目次を初めから見直すと、結論の証明に当たる最も大切な部分が、こことここ。目次中のこの三箇所を勉強しとけば先ず「良」は間違いなし』
 提案を聞き終わった彼女は、
『私は全部を何回も読み通すやり方だけど、「ここ」も「こちら」も重要なんじゃない?』
『自分がやった一年の講義の結論と、結論に関わる重要部分と以外の所から問題を出すのなら、そんなの試験のための試験。悪い先生だ』
『でも、やっぱり心配だわー』
 と何度も言い返してくる。このように、彼女は勤勉で、努力を惜しまない人だ。迷路遊びの終点から入り口目指すような俺の思考に対して、その入り口から何度でも試行錯誤を繰り返すことができるから結局最も遠くの出口まで到達できるというような態度、思考の持ち主なのである。それで、俺は俺のやり方、彼女は俺のやり方に自分流をプラスすることになり、その結末はと言えば共に「優」。社会思想史のこの先生は真理に忠実な「良い先生」と、我々二人に鮮やかに判明したのだった。

 双方同時定年後五年ほどして俺が独力で我が家を使って開き始めた、春夏秋冬年四回のギターパーティー。あれがまた二人の性格の根本的異なりを現している。あれは一種まー、俺の歴史的な恨みさえこもっていた家庭イベントなのだ。彼女ははっきり言って他人を家に呼ぶのが嫌いだが、俺は「そういうこと」が好き。が、自分だけではパーティーなど到底無理なのに、彼女が怒るからずーっと諦めてきたもの! 彼女が怒るのは異常でも何でもなく普通の当たり前のことなんだが、彼女の「他人嫌い」をずっと恨んできたというのもまー俺の自由だよな。やがて、献立も、料理も、買い物も全部俺一人でできるようになって、堂々と開き始めたのがあれだ。ギター同門の友人らによる料理とワインとのこの会は、他の人々の協力も加わっていろいろに形を変えて発展し、一〇数年後の今も続いている。

 同じ類いのことだが、俺には理解できぬと驚いたこんなこともあった。ここが現在出来上がっている分担「孫の世話は先ず爺。だから孫はまず、爺好き」への分かれ道になったはずだ。娘のマサの家に第一子の女の子、ハーちゃんが生まれた九年前、俺の提案で土曜日ごとの乳母車散歩が始まった。春夏秋冬ほぼ休みない昼の外食付きお散歩だ。これに、連れ合いにも最初に声を掛けたが断られて、以降たまに誘っても一度も来たことがない。若夫婦とハーチャンと俺、四人のこの散歩が二年も続いたろうか?
 そんなわけで、彼女が積極的には作って来なかったし、俺ほどにはとうてい味わえない、こんなしみじみした人生の幸せも今の俺の生活には満ちあふれているのだ。同人誌に書いた随筆なのだが。

『  孫はなぜ面白くて、可愛いか
「じい、今日は満月なんだねー、いつも言うけど本当に兎がいるみたい……」。
 小学三年生になったばかりの孫のはーちゃんがしばらく夜空を仰いでいたが、すぐにまた「馬跳び」を続けていく。綺麗に整備された生活道路の車道と歩道とを分け隔てる鉄の棒杭をぽんぽんと跳んで行く遊びで、俺はこの光景が大好き。確か、四歳ごろから続けてきたものだが、初めはちょっと跳んで片脚だけをくぐらせるような下手だった……。我が家から五百メートルばかり離れた彼女の家まで送っていく道の途中なのだ。それが今では、学童保育に迎えに行って、我が家でピアノ練習、夕飯、宿題の音読に風呂も済ませて、俺は一杯機嫌で送っていく日々なのである。こんなことを振り返りながら。

 学童保育でやってくる宿題や、一緒にやる音読は好きだからよいのだが、ピアノ練習は大変だった。これがまた娘も俺も、勉強以上というか、ここで勉強の態度もというか、とにかく物事に取り組む態度を身につけさせようとしているから、闘争になってしまう。憎しみさえ絡んでくるようなピアノ闘争だ。はーちゃんは娘に似て気が強く、『嫌なものは嫌』が激し過ぎる子だしなー。ピアノの先生の部屋でさえ、そう叫んであそこのグランドピアノの下に何回潜り込んでしまったことか。そんなふうに器用でも勤勉でもない子が、馬跳びや徒競走にはまー凄い執念。
 と、最後を跳び終わった彼女が、ふっと、
「じいが死んだら、この馬跳びやお月様のこと、きっと良く思い出すだろうね」
 俺が死んだらというこの言葉は最近何回目かだが、この場面ではちょっと驚いた。死というのは俺が折に触れて彼女に口にして来た言葉だから? またこの意味がどれだけ分かっているのか? などなどとまた考え込んでいた時、「孫は、何故これほど面白く、好きなのか」という積年の問題の答えがとうとう見つかった。
「相思相愛になりやすい」
 一方は大人の力や知恵を日々示し、見せる。他方は、それに合わせてどんどん変化して行く姿を見せてくれる。それが孫と爺であってみれば、それまでの人生が詰まってはいるが寂しい晩年の目で、その人生を注ぎ込んで行く相手を見ているのである。これは人間関係に良くある相思相愛の良循環そのものだ。(以下略)』

 ここまで来て、ふっと考え込んでいた俺がいる。〈ギターパーティーにしても、この「我が家の孫係は俺」にしてもそうなのだが、そもそもの始まり「デイトの支払い事件」なんかでは特にはっきりしているのだけれど、彼女との山火事を考えることはどうも、いつも俺自身を考えることでもあるらしい〉
  これは俺にとって、なにかとっても重大な発見のように思えた。それで、彼女と最も異なると思われる俺自身の生い立ち、そこで形成されたらしい感性のような部分までを思い出し思い出しして、あれこれ考えつつまとめてみることを思いついて、つい先日のことなのだが、こんな同人誌随筆が出来上がった。

 

(その3、終回に続く)

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