この23、24日、自民党広報の標記のことが新聞を賑わせている。自民党や(おそらく世界中の)右翼とこの論議とは昔から親密なのであって、日本でのその歴史は明治期までさか上ることができると、当ブログでは幾度も繰り返してきた。明治の東大総長・加藤弘之がこんな議論を展開して、戦前日本外交戦略の基礎理論としたからである。
『ダーウィン進化論における「優勝劣敗」の人類闘争のなかで、我々東洋人は現在の優者たる白人国家にどう対処していきうるか。天皇の下に一致団結して富国強兵を図ることによってのみ、その道が開かれるであろう』
これが世に言う社会ダーウィニズム。これと同類の思想を自民党広報が今回また憲法改定目指して掲げ直したわけだが、二階幹事長はマスコミ批判に対してこう開き直って見せたものである。「ダーウィンは喜んでいる」。こういうダーウィン「誤用」に対して当ブログでは、ずっとこんな批判を繰り返して展開してきたので、一部をご紹介したい。
『・・・・さて、戦争違法化が、二十世紀になって世界史上初めてその国際組織と法が生まれたりして着手されたが、地上から戦争はなくせるのだろうか。この問題で極めて簡単な正しい理屈が一つある。戦争はずっとなくならないと語る人は「その方向」で動いていると言えるのだし、なくせると思う人はそういう方向に「参加していく」のである。つまり、戦争が未来になくなるか否かという問題とは、人間にとって何か宿命的に決まっているようなものではなく、今及び将来の人間たちがこれをどうしようと考え、振る舞うだろうかという実践的な問題なのである。世界の政治課題というものは、人間が決めるものだと言い換えても良いだろう。ところが、人間が決めるものだというこの真理を意識せずして否定する以下のような「理論」に最も多く出会えたのだと理解してから、僕の頭はすっきりした。
社会ダーウィニズムという今は誤りだとされた社会理論がある。その現代版亜流の世界観が存在するようだ。「動物は争うもの、人間もその国家も同じだろう。そうやって、生物は己自身を進化させてきたのであるから」。この理論で言えば夫婦ゲンカも国同士の戦争も同じ(本質の)ものになる。そして、夫婦ゲンカは永遠になくならないから、戦争もそうだろうと、大威張りで確信できるわけだ。
『動物の争いは永遠になくならないのだから、人間も永遠に争うものである』
『人間は争うものだから、国家の戦争も無くならない』
これが、ネット右翼諸氏の世界と政治を観る無意識の出発点なのである。最近、そう気付いた。対案はこれしかない。「二十世紀には人類史上初めて戦争違法化に向けた国際法、国際組織も生まれたではないか」などの歴史的事実と戦争はなくせるという世界観とを広めていくこと。その実を例え少しずつでも、粘り強く作り広げていくこと。
以上ありふれて見えるようなことを書いたが、正面からは案外批判されてこなかった誤った戦争に関わる信念が巷に溢れていると言いたい。この日本には特に広く。集団主義ムラ社会の中で激しい競争を演じてきた団塊世代以降では、自然に持つ世界観なのかも知れない。』