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現代世界最大の一侍の命運が、近く決まる  文科系

2020年09月10日 20時25分10秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)

 「マスコミに載らない海外記事」のサイトに、ウィキリークス創始者・ジュリアン・アサンジの近況が載っている。イギリスにおける、アサンジをアメリカに引き渡すかどうかをきめる裁判が大詰めを迎えているのである。アメリカのネット元締めに対する米政府の世界的盗聴強要を暴いて人生を終えたに等しい目に遭わされているエドワード・スノーデン(彼の記事はこのブログに多いです)と同じく、現代アメリカ最大の悪の恥部を暴いた男。それゆえに、国際指名重大犯人としてウォンテッドになった正義の勇者。もしアメリカ合衆国がその暴虐と経済破綻の故に大国から滑り落ちていく道をたどるならば、その最大功労者として歴史に名を残すこと間違いない人物である。現代のナイト、侍というべきご両人として。彼らを追いかけ、見てくると、この惨めな金融・マスコミ・曲学阿世らの暴力やりたい放題という世界でも、人間捨てたもんじゃないという勇気がもらえるのである。

【 ジュリアン・アサンジのスターリン裁判。貴方はどちらの側? 2020年9月7日 ジョン・ピルジャー johnpilger.com

 10年以上前、私が最初にジュリアン・アサンジに会った時、私は彼に、なぜウィキリークスを始めたのか尋ねた。彼は答えた。「透明性と説明責任は、国民一般の生活とジャーナリズムの本質であるべき道義的問題です。」 私は発行人や編集者が、このような形で倫理観を引き合いにだすのを一度も聞いたことがなかった。アサンジは、ジャーナリストは、権力ではなく、人々の代理人だと信じている。我々は、我々の名において行動していると主張する連中の最も暗い秘密について知る権利があるのだ。もし権力者たちが我々にウソをつくなら、我々は知る権利を持っているのだ。彼らが内輪では、あることを言い、人前では反対のことを言うなら、我々には知る権利がある。ブッシュとブレアがイラクを巡ってしたように、彼らが我々に対して共謀し、それから民主主義者であるふりをするとき、我々は知る権利があるのだ。この倫理観が、世界の多くを戦争に陥れたいと願い、ジュリアンを生きたまま、トランプのファシスト・アメリカに埋葬したいと願う権力者の共謀を大いに脅かすのだ。

 2008年、極秘のアメリカ国務省レポートが、アメリカが、この新しい道義的脅迫といかに戦うか詳細に記述していた。ジュリアン・アサンジに対して密かにしかけられた個人中傷工作で「暴露[と]刑事訴追」を起こすのだ。狙いはウィキリークスと創設者を黙らせ、犯罪化することだった。次々と、たった一人の人間と、まさに言論の自由と思想の自由と民主主義の原則に戦争がしかけられた。帝国の突撃隊は、自身をジャーナリストと呼ぶ連中だ。いわゆる主流メディアの強打者、特に、反体制派の周辺をマークして、パトロールする「リベラル派」だ。そしてまさにそれが起きたのだ。私は50年以上記者だったが、このような中傷工作を私は全く知らない。クラブに加入するのを拒否した男に対する、でっちあげの人身攻撃。ジャーナリズムは、決して権力者ではなく、大衆に対するサービスだと信じた男。

 アサンジは彼を迫害する連中に恥をかかせた。彼は次々とスクープを報じた。彼はメディアや、アメリカの戦争殺人癖に促進された戦争、独裁者たちの腐敗、グアンタナモの悪の詐欺をあばいたのだ。彼は欧米の我々に鏡を見るよう強いたのだ。彼はメディアで公式の真実を語る連中が協力者であることを暴露した。私がビシー・ジャーナリストと呼ぶ連中だ。彼の生活が危険にさらされていると警告した際、これら詐称者の誰もアサンジを信じなかった。スウェーデンでの「セックス・スキャンダル」は、ワナで、アメリカの地獄のような場所が最終目的地だった。彼は正しく、繰り返し、正しかった。

 今週ロンドンでの犯人引き渡し審理は、ジュリアン・アサンジを葬る英米キャンペーンの最終行為だ。それは適法手続きではない。それは当然の復讐だ。アメリカの起訴は明らかに不正操作されており、明らかな見せ掛けだ。これまでのところ、審理は、冷戦時代のスターリン主義者の裁判を思い出させる。我々にマグナ・カルタを与えてくれた国イギリスは、今日、自身の主権を放棄し、悪意ある外国の影響力が司法を操ることや、ジュリアンに対する邪悪な心理上の拷問を可能にしたことで際立っている - それがその犠牲者をブレークすることに最も効果があったから、ナチに洗練された国連専門家が、外に、向けた、ニルスMelzerとしての、ある形式の苦悩。

 私がBelmarsh刑務所にアサンジを訪問した時は、いつも、この拷問の効果を見た。私が最後に彼に会った時、彼は10キロ以上体重が減っていた。彼の腕には筋肉がなかった。信じられないことに、彼のひねくれたユーモアのセンスは損なわれていなかった。

 アサンジの祖国オーストラリアは、国民的英雄として称賛されるべき自国民に対し、政府は密かに共謀し、縮み上がった臆病しか示さない。ジョージ・W・ブッシュは、オーストラリア首相を彼の「副保安官」に無駄に選んだわけではないのだ。今後三週間、ジュリアン・アサンジに何が起ころうとも、欧米の報道の自由を何ら減少させず、破壊もしないと言われている。だが、どの報道機関だろう? ガーディアン? BBC、ニューヨーク・タイムズ、ジェフ・ベゾスのワシントン・ポスト? いや、これら組織のジャーナリストは自由に呼吸できる。ジュリアンをもてあそび、彼の画期的な仕事を利用し、財を成し、それから彼を裏切ったガーディアンのユダどもには、何も恐れるべきものはない。彼らは必要とされているので、安全なのだ。

 報道の自由は、今や高潔な、ごくわずかな人々にしか残っていない。例外だ、どのクラブにも所属せず、金持ちでも、ピューリッツァー賞を獲得してもいないが、素晴らしい、従順でない、道義的なジャーナリズムを進めるインターネット上の反体制派分子、ジュリアン・アサンジのような人々だ。当面、まだ自由が可能だと信じている我々全員を彼の勇気で鼓舞してくれる正真正銘のジャーナリストを支持するのが我々の責任だ。私は彼に敬礼する。

 @johnpilgerのtwitterで、ジョン・ピルジャーをフォローする。

記事原文のurl:http://johnpilger.com/articles/the-stalinist-trial-of-julian-assange-whose-side-are-you-on- 】

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喜寿ランナーの手記(309) ブランクからの回復法  文科系

2020年09月10日 17時20分59秒 | スポーツ

 年寄りランナーには、故障や病欠など長期ブランクが付きもの。7月から8月にかけて1か月休んだ空白が、1か月半近くかかってやっと回復できたんじゃないかというところまで来た。かってなく回復が遅れたから、「そもそも、この年で、戻るのか?」と大変不安だったのだけれど。本日30分制限があるジムのマシンで4・2キロと4・5キロまで行った。そして、まだ余力もあったので2・3キロ走って、合計11キロにして帰ってきた。また、前回8日の4・1プラス4・4(プラス1・5キロ)の合計10キロから中1日でこれだけ出来たので、体力、スタミナも完全に戻ってきたということだろう。まだ、後半の30分を5キロ近く走れないと完全回復とは言えないだろうが、中1日で走って好調維持となれば、それも見えてきたのではないか。走れる回数が増えれば、自ずから走力は付くのだから。

 今後のために、ブランク時の回復の仕方で自分への注意点を書いておく。
①故障明けはとにかくゆっくり進む。ゆっくりの目安は、スピードをゆっくりは当然だが、それ以上に大切なのが、心拍数。前と同じ速度でも故障明けは心拍数が非常に高くなっているから年寄りは特に故障を起こしやすいのである。例えば、前の最高持続スピードよりも1キロ時ほど遅い速度の心拍数が以前と同じ程度にならなければ、それ以上はスピードを上げない方が良い。故障をしないためにも、ブランク明けは平時よりもさらにLSDが基本。長時間(long)、ゆっくりと(slow)、距離(distance)を走り、筋肉よりも心肺機能の回復を待つというやりかただ。
②身体が硬くなっているから、走る前後のストレッチが特に必要。そうでないと、筋肉も回復していかない。また、自分が今できる最高スピード近くで走ったら、最後にそれよりも3割以上スピードを落として整理体操ランを1キロほどはしておくと良い。翌日の疲れが全く違い、回復がとても早くなるからすぐにまた走れる。年寄りには特に、そしてブランク明けはさらに、このクールダウンが必要。凄く疲労回復効果が高くなるということだ。
③年寄りのブランク明けで痛めやすいのは、細い筋肉など。アキレス腱など足首関連とか、足底筋膜とか。これがちょっとでも痛くなったら、すぐ速度を落としたり、走るのを止める。それでも痛みが残るようなら、冷やしてその部分をストレッチ。ちなみに、ランナーの故障に関してはこの本を僕は活用してきた。「ランニング・トラブル解決ブック」(枻(えい)出版社 14年3月発行1200円)。筋肉や骨の図がたくさん入っていたりして非常に分かりやすく、かつ、箇条書きなどで説明しているのでとても活用しやすい本である。

 中1日で十分過ぎるほど走れるようになったし、色んな回復・復活方法も身につけてきたみたいだし、当面6月18日の30分4・6キロはすぐ超えられるとして、1月19日の4・9キロまで、この秋には届くだろうか? なお、近年は16年を最高として、病気ブランク続きで記録が落ちたままだが、16年のこんな記録に戻すことはさすがもうできないだろうな。16年1月11日の後半30分は、5・3キロだったのである。それ以降の病気ブランクとは、今年は白内障手術、昨19年夏には癌の疑いで胃腺腫粘膜下層剥離術という検査手術、16年から17年にかけては前立腺癌陽子線治療などなど・・・。でも、中一日置きで走れるようになったのなら、一度これを挑戦してみるのも一興! この年でもこんな挑戦が出来るというなら、それはそれで幸せなことだから。

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